世界女帝事典
義江 明子・氣賀澤 保規・井野瀬 久美惠編
横山 百合子
本書は、企画から一〇年を経て今年五月に刊行された、事典と読み物を兼ねた書である。しかも、女性の天皇をはじめ、世界各地の女性の王や皇帝、共同統治者や摂政などの事例が二〇〇近く紹介されており、偶然とはいえ、まさにタイムリーな一冊といえよう。
本稿を執筆している今日、TVニュースは、男系男子継承を骨格とする皇室典範改正が、明日七月一六日に参議院で採決される見通しと報道している。衆参合わせて六時間余りの質疑のなかでは、男系男子継承の理由として「2600年以上守り抜いた皇統の伝統」(小林鷹之自由民主党政調会長)を挙げるといった、歴史学、考古学研究の成果を踏みにじる荒唐無稽な発言が展開されてきた。二六〇〇年前の日本列島が縄文時代の終期であったことなど、中学生でも知っているだろう。驚きと怒りがこみ上げる事態である。このような、神話を正しい歴史として教え込んだ戦前の皇国史観と変わらぬ誤謬に満ちた歴史意識に立ち、女性差別を増幅する今回の皇室典範改正は、後世失笑され、また興味深い歴史学研究の対象にもなるだろうが、このような異常な状況下で刊行された本書は、歴史的事実に基づいて過去をふりかえるうえで示唆に富む書であるともいえる。
本書によれば、世界の歴史において、女性を排除し最も牢固な「父子相続に基づく男系中心主義」を維持してきたのは中国だという。本書でも紹介されるように、日本をはじめ多くの地域や国家においても男系が優先されてきたが、男系が得られない場合に女性が王や皇帝となった事例は少なくない。これにたいして、中国では、唯一の女帝である則天武后を除き、帝位の厳格な男系男子継承が維持されてきた。宦官を置き、新たな皇帝が誕生する度に後宮を総入れ替えし、公主(皇帝の娘)とその夫には政務への関与を厳禁し、皇后と外戚の容喙や政権の奪取を防ぐため男子を産んだ妃に死を賜る(北魏の「子貴母死」)等々、女性、女系を排除するための数々の政治的・制度的技法を尽くして男系中心主義を維持し続けたのが中国であった。とはいえ、側室制度によってかろうじて維持された、近代日本の男系男子による皇位継承も、強固な男系中心主義という点で中国の皇位継承システムと変わるところはない。ジェンダー平等が喫緊の課題となっている二一世紀の日本において、そのような男系男子中心主義に国民の理解が得られようか。
しかし、もちろん本書の意味は、現実的課題への示唆にとどまるわけではない。丁寧な総論と、世界各地の地域概説が濃淡はあるにせよ網羅的に書かれたことにより、女性の王や皇帝についての考察の深化とグローバルな視座からの比較が可能になった点は評価すべきであろう。本書では、近年の日中韓の後宮やハレムの比較研究も意識され、東南アジア、南アジア、中央アジア・西アジア、古代地中海世界・マケドニア・ビザンツ、ポーランド・ハンガリー・ロシア、ドイツ・オーストリア、ベネルクス、北欧、フランス、イタリア、イベリア半島、イギリス、アフリカ、北米(先住民)、メキシコ・中米・南米、オセアニア(ポリネシア、ミクロネシア等)というまさにグローバルな視座から、女性の王、皇帝、政治指導者の実態が紹介される。もちろん、文字が解読されているかどうかを含め、史料の残存状況、研究蓄積の違いにより記述のレベルは異なる。かつて高校の授業で聞き、その後小説で読んだ歴史物語の繰り返しにとどまるものもなくはないが、全体として、具体的な人物紹介にとどまらず、それぞれの女性王が生まれた政治的、社会的背景に踏み込み、ジェンダー視点が意識されている点は画期的である。
たとえば、民主主義の創始とされてきたギリシア・ローマのポリス(市民共同体国家)では強固な男性優位が維持されてきた。その背景として、生産条件の貧困と富の蓄積困難という環境要因が指摘され、王・皇帝の有無と当該社会のジェンダー構造を関係づける視点が提示されることで、ギリシア/ローマ史の蓄積にジェンダー視点を導入することの意義と面白さが改めて浮かび上がる。また、合議などで王が選ばれる先史/古代などの時期を除き、多くの場合、王や皇帝の地位継承は血統―血のバトンを受け継いでいるかどうかが根本的かつ決定的条件となるため、双系的、父系的、母系的といった親族構造の特質や婚姻のあり方も地位継承を左右するファクターとなる。その点で人類学や社会学的研究との連携が意識されている点も、本書の重要な特徴であろう。
このように、本書は、研究の最先端をふまえ、事典でありながら歴史研究への新しい展望を提示するものであるが、そうなると、女王や女帝を切り口としつつ、さらなる掘り下げも望みたくなってくる。たとえば、多くの頁で、女王・女帝の登場と、支配層内部の政治的・経済的状況や宗教的・思想的ジェンダー規範との関係には目配りがうかがえるが、一般民衆におけるジェンダー構造との関係は、親族構造の視点以外からも気になるところである。また、二〇世紀に王制が激減するなかで、ヨーロッパの王室が国民国家に適応し、それが女王の登場とも深い関係をもつとされるが、この点もさらに詳しく知りたくなる。
本書が示す研究成果は、私たちが現在問われている日本国憲法と皇室典範が孕む世襲と平等の矛盾、男女平等の理念と男系男子継承を核とする皇室典範の矛盾を克服していく上で、重要な視点を提示している。同時に、本書を通して、読者も、新たな知識とともにさまざまな関心を喚起されることだろう。(よこやま・ゆりこ=国立歴史民俗博物館名誉教授・日本近世史・ジェンダー史)
★よしえ・あきこ=帝京大学名誉教授・日本古代史・女性史。
★けがさわ・やすのり=(公財)東洋文庫研究員・隋唐政治社会史。
★いのせ・くみえ=人間文化研究機構監事・甲南大学名誉教授・イギリス近代史・帝国史。
書籍
| 書籍名 | 世界女帝事典 |
| ISBN13 | 9784585300267 |
| ISBN10 | 4585300260 |
