2025/08/29号 3面

子どもは誰のものか?

子どもは誰のものか? 嘉田 由紀子著 関 礼子  2024年に民法が改正され、離婚後の子どもの親権は、父母どちらかの「単独親権」とするか、「共同親権」にするかを選べる時代になった。  単独親権のもとでは、親権のない親と子どもとの面会や交流が制限・拒絶され、夫婦の〝縁切り〟が親子の〝縁切り〟になることも少なくなかった。本書は、〝縁切り〟を当然視してきた社会に変化を迫り、子どもが〝縁をつなぐ〟ことのできる、離婚後の新しい家族論を描き出す。  日本では、「とるか、とられるか」の親権争奪戦のなかで、子どもを連れて家を出る「連れ去り」、もう一方の親に会わせない「引き離し」が、ごく普通に容認されてきた。同居して子どもを監護していることが、親権獲得に有利に働くからだ。その結果、子どもを奪われた親の自死という最悪の悲劇を招くこともあった。離婚と自死には相関関係があるという調査結果もあるという。離婚当事者の「声なき声」に、子どもから引き剝がされた親の慟哭を知る。  単独親権は子どもの利益にかなわないばかりか、片方の親に捨てられた、見放された、嫌われたと子ども自身が思うような危険性をはらんだ、「情のない、残酷な仕組み」ではないか。  日本も加盟している「ハーグ条約」では、一方の親の同意なく国境を超えて子どもを連れ去ることは不法行為であり、相手国の法律によっては実子誘拐罪にも問われかねない行為である。児童の最善の利益に反する場合を除き、父母の意志に反して父母の双方もしくは片方から児童が分離されないこと、分離された児童が人的な関係や直接の接触を維持する権利を尊重するという「子どもの権利条約」にも反する。だが、日本国内では、国際的にみて非難される行為が、ごく普通に行われてきたのである。  今回の民法改正は、ガラパゴス化してきた日本の、離婚後の親子のあり方を変える一歩である。とはいえ「原則共同親権」を訴えてきた著者にとって、子どもが本来つながるはずだった親や祖父母などとの〝縁切り〟をもたらしてきた単独親権の呪縛を解くには、「選択的共同親権」では不十分で、「原則共同親権」が望ましい。離婚に際し、夫婦が対立し、攻撃し、あるいは自己正当化に終始する「高葛藤」を冷却する仕組みが必要だ。 「日本の家庭裁判所は、父母の不仲をもって共同での養育の終わりであると画一的に考えてきたようですが、父母が養育に関わってきた場合、それは子の利益にならないと思います。親は子を連れ去られると、奪い合いのための事件を申し立てて他の親を責めるしか方法がないのです。」  必要なのは、「離婚に直面した子どもの心に寄り添う道」を模索することだと著者は述べる。家族のかたちは変わるが、「何が起きても家族は家族だ」。離婚後の家族のあり方について、学ぶべき先例は、海外にも国内にもある。(せき・れいこ=立教大学教授・社会学)  ★かだ・ゆきこ=参議院議員。京都大学大学院博士後期課程修了。二〇〇六年滋賀県知事に初当選。二〇一九年より現職。一九五〇年生。

書籍

書籍名 子どもは誰のものか?
ISBN13 9784166614936
ISBN10 4166614932