2025/10/03号 4面

1964年ブラジル・クーデタと民主体制の崩壊

1964年ブラジル・クーデタと民主体制の崩壊 橘 生子著 菊池 啓一  冷戦期のラテンアメリカでは数多くの軍事政権が誕生し、ブラジルでも一九六四年から一九八五年まで軍部が政権を掌握していた。ストロエスネルが三五年間(一九五四年―一九八九年)大統領を務めたパラグアイやピノチェトが一七年間(一九七三年―一九九〇年)君臨していたチリとは異なり、一人の独裁者が統治し続けるという形ではなかったものの、二一年にもわたる長期軍事政権であった。では、具体的な暴力革命の脅威が無かったにもかかわらず、なぜブラジルでは一九六四年に民主体制の崩壊が生じたのであろうか。また、なぜ「イレブン」と呼ばれる組織に対する政治的弾圧が容認されたのであろうか。本書は第一の問いについては連邦レベルに、第二の問いについてはブラジル最南端に位置するリオ・グランデ・ド・スル州にそれぞれ焦点を当て、アメリカ人外交官の外交通信記録などを用いながら検討を加えた研究書である。  本書の議論によれば、義弟のブリゾーラ議員の圧力を受けたゴラール大統領(一九六一年―一九六四年在職)が急進的な農地改革に踏み切ったことが一九六四年のクーデタを招いたとする通説とは異なり、大統領令は大規模な遊休地のみを収用する内容に過ぎず、その実行も憲法改正をめぐる左派の人民動員戦線との議会での対立により進んでいなかった(第二章)。しかし、クーデタ自体はモウロン・フィーリョ将軍やムリシー将軍の個人的動機が切っ掛けであったものの軍部の不満を背景に成功し、国家安全保障ドクトリンを構築してきた「ソルボンヌ派」のカステロ・ブランコ将軍が大統領(一九六四年―一九六七年在職)に就任した(第四章)。  このような一連の流れの中で保守派や軍部による政治的弾圧の対象となったのが、人民動員戦線を率いていたブリゾーラが人々に結成を呼び掛けた「イレブン」と呼ばれる(その名の通り一一名からなる)同戦線の草の根組織である。一九六五年大統領選に向けた自身の支持基盤の強化やクーデタを許さない民衆の力の結集がブリゾーラの目的であったものの、保守派や軍部はその存在に脅威を感じ暴力的な取り締まりを行った(第三章)。というのも、ブリゾーラはリオ・グランデ・ド・スル州知事時代(一九五九年―一九六三年在職)に「土地なし」農民運動とも連携し、農地改革をはじめとする様々な社会政策を実施していたからである。これらの政策はブリゾーラの任期前後に知事を務めた保守派のメネゲッチ(一九五五年―一九五九年、一九六三年―一九六七年在職)によって白紙撤回されたが、ブリゾーラが今度は連邦レベルで同様の政策を推進する可能性があることは保守派にとって大いなる脅威であった(第五章)。保守派の知事や地主らがクーデタを望んでいるのは明らかであり(第六章)、アメリカも同国企業を収用したブリゾーラを敵視していたゴードン大使の口添えもあり、クーデタの軍事支援を行った(第五章)。このような状況下において、一九六三年時点から「イレブン」をゲリラとみなした弾圧が始まり、軍政下になると州軍警察による不当逮捕や拷問がより強化されていった(第六章)。そして、ブリゾーラの復権を恐れる軍部は、クーデタ前後に州都のポルトアレグレで発生した「連続」爆弾事件が未解決事件であることなども利用して、改革派に対する弾圧を正当化した(第七章)。  様々な資料の検討から知見をまとめる際にやや論理の飛躍が見受けられる点や軍政が数年間ではなく二一年間続いたことについての検討が不足している点などが惜しまれるが、人民動員戦線の機関紙であるO Panfletoやアメリカ人外交官の外交通信記録を巧みに利用している点は特筆に値しよう。 あとがきにおいて、著者は本書を二〇二五年七月に刊行した主な理由として、一九七〇年代の軍政下における政治的弾圧をテーマとし昨年アカデミー国際長編映画賞を受賞した『アイム・スティル・ヒア』の日本公開を挙げている。ただし、本書の重要性は同作品の理解に資するという点にとどまらない。クーデタ企図の罪などに問われていたボルソナーロ前大統領らに対して二〇二五年九月一一日に有罪判決が下されたことが示唆的であるように、民主主義の維持や政治参加の拡大をめぐる衝突は一九六〇年代から現在まで続く問題であり(一八頁)、政軍関係が極めて今日的な課題である点にこそ求められよう。(きくち・ひろかず=アジア経済研究所主任調査研究員・ラテンアメリカ政治論)  ★たちばな・いくこ=津田塾大学助教・埼玉工業大学・神田外語大学・駒澤大学非常勤講師・国際関係学・ブラジル政治史。

書籍

書籍名 1964年ブラジル・クーデタと民主体制の崩壊
ISBN13 9784763421821
ISBN10 4763421824