2025/12/26号 13面

宛先不明

宛先不明 水田 宗子著 出口 菜摘  詩人でありフェミニズム批評の第一人者である水田宗子の『宛先不明』は、2024年刊行の自伝『崖の上の家』と連続性をもつ。前作が、戦中から戦後の揺れ動く日本社会のなかで、著者の疎開生活や、彼女を取り巻く大人たちの姿を、瑞々しいまなざしで描いたものであったのに対し、本作は、1960年代アメリカという激動のただ中で、著者が研究者としての立場を切り拓く過程を語る。「どこから来たのか」を問う前作に対し、『宛先不明』は「どこへ向かったのか」を語る続編といえるだろう。  『宛先不明』は、著者が渡米した1961年から始まる。第一章「イエール大学院時代の始まり」から「激動のアメリカとポオの研究」、さらに「さまざまな出会い」では、パートナーと彼の家族との交流、第一子の誕生が描かれる。「ロンドン、そして二つの旅」と「日本への帰国、獨協大学での教職経験」が続き、アメリカを相対化するまなざしが提示される。そして第六章「再びアメリカへ」では、1969年からメリーマウント大学の英文学科助教授として教鞭をとる生活が綴られる。ニューヨーク郊外チャパコアでの暮らしは、3人の息子を抱えつつ、夫婦ともに大学で教え、さらに博士論文の提出を控えていた著者にとって、多忙な日々だったに違いない。それでも、週末に庭の大きなリンゴの木の下で、家族とともに食卓を囲む光景は、あたたかな余韻を残す。  『宛先不明』が持つ稀有な魅力は、個人的な出来事を語る著者の呼吸のなかに、同時代の思想潮流や文化の移り変わりが溶け込んでいる点にある。ケネディ大統領の暗殺、公民権運動、第二波フェミニズムの高まりなどが、大文字のHis toryとしてではなく、日常の一部として織り込まれる。ホストファミリーが開いた食事会での原子爆弾の投下をめぐる会話、異国で生きる戦争花嫁たちの姿。また、詩人シルヴィア・プラスの死を前に、戦後アメリカの家父長制へと思索がつながっていく。スパイ容疑で死刑になったローゼンバーグ夫妻が収容されていた刑務所を、車窓から見る場面など、時代の影がさりげなく差し込む。  さらに、著者の文学研究が自身の体験に裏打ちされていることがうかがえる印象的なエピソードがある。大学院時代に図書館で研究に熱中するあまり、閉館後に閉じ込められてしまう一件だ。古代からの書物が何百万冊と所蔵された「人智の宝殿」の暗闇のなかで、著者はポオ文学の本質──登場人物たちが巨大な渦巻や閉ざされた空間といった日常から切り離された場所へ放り込まれ、超自然的な恐怖に直面するという構造──を見出していく。日常の経験が学術的な思索へつながる瞬間である。  本書が回想録を超え、時代の精神史であり批評史でもある点に、その重層的な奥行きがある。こうした多層性は、タイトルの『宛先不明』にも反映されている。著者は、心を通わせた大学院時代のクラスメートを、「住所不明の心の友、記憶の世界の友となって、私の世界に生き続けた」と回想する。再び会うことのない友に宛てた書簡として、語りには懐かしさがにじみ、その思いがタイトルにも響いている。同時に、このタイトルは、著者自身のあり方にもかかわる。渡米後、著者は何度か居を移してきたが、それ以上に、自身を「宛先不明」と語る姿に、存在のゆらぎを受けとめようとする態度が読みとれる。それは雪の日の一節からうかがえる。「イエールにいた時にも、雪の降る日に大学への道を歩いていると、同じような孤独を感じることがあった。それは寂しいという感情ではなく、自分の存在感が希薄で、宛先不明の居住者のように思える感覚だった。(中略)今は結婚もして子供もいる、一軒家に住む住人なのである。それは、だからこそ持つことになった存在の不確かさの感覚なのだったと思う。」自分がどこにいるのかを、俯瞰して問い直すような透徹した視線は、本書全体に息づいている。  そして何より、このタイトルは、本書が未知の読者に向けた手紙であることを示す。宛名が不明であるとは、メッセージが行き場を失うことではなく、多様な受け手へ開かれていることを意味する。読み手がいつ、どこで、どのような文脈で受け取るのかはわからない。時間をかけて、別の経路で届くことがある。この開かれた宛先こそが、『宛先不明』というタイトルがつけられた本書の豊かさを、もっとも端的に物語っている。(でぐち・なつみ=京都府立大学文学部教授・英米文学)  ★みずた・のりこ=詩人・比較文学・女性学研究者・批評家。著書に『ヒロインからヒーローへ』『フェミニズムの彼方』『女性学との出会い』『モダニズムと〈戦後女性詩〉の展開』『崖の上の家』など。一九三七年生。

書籍

書籍名 宛先不明
ISBN13 9784750359977
ISBN10 4750359971