2026/06/26号 6面

「もの派」とは?

「もの派」とは? 中井 康之著 秋丸 知貴  もの派は、現在国際的に注目される、一九七〇年前後の現代日本美術の動向である。最小限の加工による石・木・鉄等を即物的に提示する傾向のため、一般に同時代の西洋のミニマル・アートの日本版と見なされることが多い。  もの派は、二〇一〇年代に関連展覧会が国内外で盛んに開催された。そうしたもの派再評価の機運を作り出したのが、二〇〇五年に国立国際美術館で開催された「もの派―再考」展である。著者の中井康之はその中心的企画者であり、本書執筆の端緒もその時の準備過程に遡るという。  本書の主な問題意識は、もの派の成立過程、構成要員、芸術理念を明らかにすることである。そのため、同時代の美術雑誌等を丁寧に辿り、当時の言説空間を再現する方法論を取っている。  まず、もの派の成立過程については、起点となった関根伸夫の《位相―大地》(一九六八年)の誕生を巡る状況を取り上げている。そこでは、高松次郎の直接的影響により、関根が位相幾何学の作品化の過程で《位相―大地》を作り出したことが丹念に調査されている。  また、もの派の構成要員については、その関根と《位相―大地》の制作を補助した小清水漸と吉田克朗に、《位相―大地》の解釈に新機軸を打ち出した李禹煥が加わり、さらに定期的な議論に参加した成田克彦と菅木志雄を含めた六人が、一九七〇年二月の『美術手帖』の座談会を通じてもの派の中心メンバーと見なされるようになった経緯を詳細に分析している。  そして、もの派の芸術理念については、当時の李の初期論考を子細に読み込み、後に通説化する素材性の美学ではなく、世界との現象学的邂逅を核心的なものと考察している。  本書は、一般にもの派として知られる作家や作品について基本情報を目配り良く整理している。また、現在入手しにくい当時の記事を網羅しているため、文献一覧表としても重宝する。ただし、あとがきに書かれているように、執筆開始後に不意に病を得たためだと思われるが、引用されている研究文献は主に二〇一二年までであり、その後の研究蓄積がフォローされていない。そのため、現在のもの派研究の水準においては不十分さが感じられる。  例えば、関根の位相幾何学への関心には老子の水概念との類比があり、《位相―大地》には銀閣寺庭園の向月台の影響があったことが既に明らかになっている。また、関根や小清水は自分の制作には日本の伝統的自然観が反映していると証言している。そうしたもの派の芸術理念の本質に関わる重要な問題が、本書では全く言及されていない。そのため、本書で抽出された限定的な内容だけがもの派の来歴と帰結であるかのように誤解させやすい問題がある。  何よりも問題なのは、「『もの派』という運動が単一の原理へ還元されない」と結論付けていることである。つまり、各々の作家は絵画や彫刻という既存のジャンルが解体する中で、《位相―大地》にそれぞれ別々の新たな表現原理を見出したのであり、もの派とはその試みの同時代的交差に事後的に付けられた呼称に過ぎないとする。突き詰めれば、それはもの派として分節される美術動向の存在否定に繫がりかねないだろう。  確かに、もの派は作家達自身が名乗ったグループ名ではないので、メンバーそれぞれの創意工夫には個別性がある。しかし、もの派の基本原理を、それまでの主流であった高松が代表する視覚的観念性から、《位相―大地》が示す触覚的実在性への表現における重心移行と捉えれば、もの派と呼ばれるべき美術動向は実体を持って存在したと言える。  そうであれば、もの派には、先行するもう一つの国際的な現代日本美術の動向である、物質の特性を露呈させようとする具体美術協会との内在的連続性はもちろん、素材と人間の協働を重視する日本の造形的伝統との一貫的連続性も見えてくる。文化多元主義の現在、現代日本美術研究に求められているのは、そうした西洋のミニマル・アートの論理に回収されない東洋的感受性の独自の価値の国際的発信ではないだろうか。  とはいえ、もの派については、これまで半世紀以上も一冊で基本情報を見渡せる研究書が存在しなかった。今後、本書はもの派の美学的・美術史的な意義を改めて議論するための出発点として価値を増していくだろう。(あきまる・ともき=滋賀医科大学非常勤講師・美学美術史)  ★なかい・やすゆき=元国立国際美術館副館長。主な企画展に『もの派―再考』(二〇〇五年・国立国際美術館)など。共編著に『野生の近代 再考―戦後日本美術史 記録集』など。

書籍

書籍名 「もの派」とは?
ISBN13 9784801010079
ISBN10 4801010075