2026/10/09号 8面

わが点鬼簿 4・中野幹隆(四方田犬彦)

わが点鬼簿 四方田犬彦 第4回 中野幹隆(一九四三―二〇〇七)  前回の続きで、今回は中野幹隆さんについて書いておきたい。  中野さんは伝説的な編集者だった。『パイディア』でフーコー特集を組み、『現代思想』『エピステーメー』と、さまざまな現代思想雑誌を創刊し、現代思想の蓄積を応用して、月刊誌『モノンクル』と新書シリーズ『週刊本』というユニークな企画を実現させた。科学と人文科学の統合点に立って哲学書房を起こすと、『季刊哲学』を立ち上げ、西洋古典の刊行に情熱を注いだ。わたしの記憶のかぎり、彼がもっともうれしい顔を見せたのは、都立西高校に「エピステーメー読書クラブ」なるグループがあり、文化祭で発表をするという話を聞いときだった。彼を畏怖するデザイナーや編集者は、こっそりと「乾隆帝」と呼んでいた。中華文明の栄華を極めた清朝皇帝のことである。  中野さんが最初に出してくださったわたしの本は、『リュミエールの閾』(1980)である。仲間内で出していた同人誌『シネマグラ』に寄せた映画批評を中心に、20歳代の中ごろに執筆したエッセイを集めたものだった。同時に刊行されたのが同じ大学院にいた西成彦のゴンブロヴィッチ論である。続いて植島啓司の『男が女になる病気』と細川周平の『音楽の記号学』。中野さんはこうした20歳代の駆け出しの研究家のデビュー作を、彼が「エピステーメー叢書」の一環としてどんどん刊行していった。本来はフーコーやバルト、デリダといった、フランスの現代思想を翻訳するために設けられた叢書である。彼はまた別に、丹生谷貴志の『光の国』という、怪物的な大著をも刊行した。  いつからかこのメンバーは「エピステーメー・チルドレン」と呼ばれるようになった。誰もがまったく無名という点で共通している。いったい中野さんはこの「チルドレン」をどのように見つけてくるのだろうか。さしずめ現代思想におけるジャニーさんである。わたしには、当時、団塊の世代がある種のルサンチマンのもとに考案した「ニューアカ」という言葉よりも、この方がはるかに自分には親しく、納得のいく綽名だと感じられた。  中野さんからはいきなり電話がかかってくる。実は大竹しのぶのヘアヌード写真集を出すにあたってデリダに帯文を依頼したのですが、何を勘違いされたのか、20枚以上の大エッセイが送られてきたのです。これを掲載してしまうと、ヘアヌードを見たい一心の読者は怖がって写真集を手に取らなくなってしまうし、といってせっかくのデリダ先生の原稿を没にすることもできないし、ヨモタさん、いったいどうしたものでしょうか。  わたしは何と返事しただろうか、よく憶えていない。  わたしは結局中野さんに、『マハーバーラタ』論を含め、6冊の本を作っていただいた。実現を見なかったものが二冊ある。ひとつは『女体開眼』と題し、わたしがポルノ作家の川上宗薫に性の奥儀についてインタヴューするもの。次は『おまえはわたしを』という、如月小春との共同執筆。前者は性豪作家の急死で頓挫し、後者は如月の多忙ゆえに途中で放棄された。  あるとき山と積まれた新刊に著者献呈の署名をしているとき、「そういえば」と中野さんがわたしに訊ねた。「もう四方田さんとも長い付き合いになりますが、そういえば最初に四方田さんをわたしに引き合わせてくださったあの方は、いったいどのような方だったのでしょうか。」  信じられないことだが、あの高橋老人はまったく面識のない中野さんのところに、わたしを連れて行ったのである。「どこかお顔が道元に似てらっしゃる方でしたねえ」と、中野さんは懐かしそうにいった。何ということだろう!(よもた・いぬひこ=映画誌・比較文学研究家)