かたちのない民藝をもとめて
表 萌々花著
安嶋 是晴
バックパッカーとして世界中を旅した経験のある著者は、「なぜ旅に出るのか」を自問自答する。そして一般的な「民藝」という言葉の意味に違和感を抱きつつ、旅を通じてその答えを「かたちのないもの」として再定義していく。本書『かたちのない民藝をもとめて』は、写真家である表萌々花が二〇一六年から二〇二五年にかけて巡った、メキシコ、ベトナム、モロッコ、エチオピアでの旅の記録である。訪問先の過酷な自然環境や経済的に厳しい実情を体感しながら、地域固有の文化に触れ、つくり手と出会い、思考のゆらぎのなかである一つの核心に行きつく。本書では、その旅を通じて揺れ動いた著者自身の思考プロセスを、彼女のレンズが切り取った風景とともに追体験することができる。
特筆すべきは、随所に挿入された写真の力だ。プロの写真家としての眼差しが反映されたそれらのカットは、単なる記録を超え、現地の気候や土の匂い、人々の生活の営み、そしてつくり手の熱意までもを鮮明に伝える。読者はページをめくるたびに、著者が対峙した異国の生活の中に身を置くような感覚を抱くだろう。
本書を読み解くキーワードは「死生観」と「祈り」である。旅の出発点となったメキシコでは、一日にわずか八センチしか織り進められない織物や、家族の絆として作られる儀式用のろうそくに出合う。治安の悪化により「当たり前に人が消え、死ぬ」という緊張感漂う地で、著者は「民藝とは、それぞれの人の考えや想いで選び取る暮らしそのもの」という言葉を授けられる。それは、ものとしてのかたち以前に、過酷な現実の中で「今、ここ」を生き抜こうとする人々の切実な祈りの集合体であった。
この「生」と「死」の根源的な結びつきは、ベトナム北部の山岳地帯でより鮮明になる。結婚式のために牛を捌き、日常として鶏を絞める人々の姿を前に、著者はかつて自身が狩猟で鹿を殺した記憶を呼び起こす。しかし、そのとき抱いた罪悪感さえも、死を「生の一部」として受け入れ、弔い、感謝して生きる現地の人々の姿に重なっていく。死を忌むべきものとして遠ざけるのではなく、生を支える尊い犠牲として受け入れる。その「生きる覚悟」に触れたとき、著者の民藝に対する考えはさらなる深化を遂げる。
旅の後半、エチオピアでの体験は本書において極めて重要な位置を占めている。八十を超える民族の品が並ぶ店舗で、購入品がどの民族のものか尋ねる著者に対して、オーナーは「ものが語ってくれる」という。この言葉は、著者の頭に鮮烈に刻まれることになる。特定の「つくり手」という正解を追い求める以上に、目の前にあるものが、それが経てきた時間や使ってきた人々の祈りを雄弁に語り出すという考え。わかりやすさを求めすぎていた自らの安直さを自覚したとき、著者の思考は「かたちのないもの」のさらに深層へと進んでいく。ものの背景にある目に見えない精神性を丸ごと受け入れる境地へと、彼女の民藝観は更新されたのである。
これらの追体験は、決して読者に「旅に出よう」と押し付けるものではない。著者が訪れる場所は、一般の旅行者が安易に選択できるような土地ではないからだ。むしろ本書が提示するのは、物理的な移動としての旅ではなく、精神的な思索の旅である。最終的に、彼女にとっての旅とは「生きること」そのものであり、他者や異文化への敬意を通じた心の転換であった。
私たちは本書を通じて、著者が辿った経験や思いを共有し、自分自身の足元を見つめ直すことになる。ものに溢れた現代社会だからこそ、今一度、背景にあるかたちのないものが何かを考え、目の前にあるものや生活に祈りを込めてみよう。本書は、そうした心の持ちようで、世界との向き合い方を静かに変えてくれる、誠実な生き方の指南書である。祈りや敬意を通じた前向きな挑戦、そして「かたちのない民藝」をもとめる旅は、今、私たちの暮らしの中でも始まっている。(やすじま・ゆきはる=富山大学学術研究部芸術文化学系准教授・文化政策論・伝統産業論・地域経営論)
★おもて・ももか=写真家。海外でのボランティア活動をきっかけに、写真を撮るようになる。帰国後アシスタントを経て独立。著書に『沈黙の塔』など。一九九八年生。
書籍
| 書籍名 | かたちのない民藝をもとめて |
| ISBN13 | 9784867931318 |
| ISBN10 | 4867931314 |
