ノンフィクション
武田 徹
ノンフィクションがフィクション性を帯びる最も顕著な点が、作品に「はじまり」と「おわり」があることだと思っている。
現実には「はじまり」も「おわり」もなく、色々な出来事を生起させつつ継続してゆく。にもかかわらず、ノンフィクション作品の多くが事件や出来事の発端を描き、それが至った到達点を「因果」の構図の下に大団円として描く。そうしたノンフィクション作品は作者が数多ある事実を取捨選択して配置し、想像力で上書きしたフィクションの「物語」とならざるを得ない。
このことがかねてより気がかりだった評者は、しかし、孤独を感じていた。ノンフィクション「業界」で同じ問題意識がなかなか共有されなかったからだ。
ところが小林篤『see you again』(講談社)を読んでようやく同志?に巡り会えたように感じた。
著者の小林は蕎麦屋の店内に置かれていた新聞を偶然手にして中学2年生の上之郷清人君が同級生十数人から暴行や恐喝を受け続け、1994年11月27日に自殺した事件の記事を目に止める。そして、そこに掲載されていた清人君の遺書を読んで思わず「なんだこりゃ?」と呟いていた。「とてもレトリックが巧みで、知的な文章である。……ではあるのだが、〈あ、そうそう!〉〈しくしく〉など、妙に軽い言葉が、どこかフィクショナルに思えたのが気にな」ったからだと書く。
文章に混じるフィクションの気配を敏感に嗅ぎ取った著者は「中学生いじめ自殺事件」の取材を始める。現場を訪ね、証言を集め続けた17日間の取材の成果は月刊『現代』で発表されたが、それは当初の予定に反して長期連載となってゆく。
その第5回目に小林はこんな宣言をする。「これから先は、東部中学校を離れて、清人君事件を書くことにする。清人君と上之郷家の家族に関することは、取材した事実そのままであるが、その他の部分に関しては一切がフィクションであることを断っておく」。
この時、著者は事件の深さと広がりに自分の手が届いていないことに気づいていた。聞き出せた証言、拾い出した事実は事件の一部分を構成するに過ぎない。それを手がかりに書かれた作品は、所詮は著者の見立てという角度をつけて事件を描き出すだけで、ノンフィクションと呼ばれる資格を持たない。そんな思いで選ばれた「フィクション」の言葉は、事件の真相を描き出したいと願うルポライターの著者がとりあえずの「中間報告」に与えた形容だった。
中間報告は、やがて真相がすべて明らかになった時にフィクションの蛹を破ってノンフィクションに羽化する、はずだった。旧知の編集者に清人君事件の単行本化を打診された著者は取材を再開し、当初の疑問だった遺書になぜフィクションを感じたかの理由を示すまでには至る。だが、それも氷山の一角だとしか思えず、著者は単行本編集者に「原稿執筆はやめにしました」と報告する。
この断筆宣言にたどり着くまでに10年の月日が過ぎている。それから更に7年が経ち、清人君の実兄もまた自殺を選ぶ。単行本化を一度は断念した著者だったが、兄もまた深い心の傷を負っていたことを知って一緒に旅をするなど多くの時間を共に過ごしていた。そんな兄が命を断つ直前に残したメッセージは著者の「心を狂わせるほど引き裂」く。そして、それまでに起きたこと、わかったことを著者は本書にまとめた。2段組900ページ越えの重量級の作品となったが、著者はそれでも中間報告のフィクションに過ぎないと再び書く。しかし今度は「どうやら禁断の完結編にとりかかる準備が整ったようだ」と最後に予告して筆を置いている。
現実をノンフィクションとして描く困難を痛切に感じている著者が、フィクションと称した未完の作品に、今年出たノンフィクション作品のどれにも勝るノンフィクションの手応えを評者は感じた。この逆説が理解されることを願う。
物語の化粧を整えようとする作者の「手つき」を気にせずに読めたという点では織田淳太郎『知的障害者施設 潜入記』(光文社新書)も同じだった。著者の織田は知人のツテで運転手として施設で働き始めたのに過ぎず、今までの多くの潜入ルポのように当初から告発の意図を持って取材を始めたわけではなく、潜入取材を終えて障害者施設が抱える問題を解決するための大胆な提言をするわけでもない。ただ、きめ細かな観察や施設の人々とのやり取りを通じて障害者施設の現状を淡々と伝えてゆく筆致は実情を知らない人に多くを教え、考えさせてくれるだろう。
前田啓介『戦中派』(講談社現代新書)は友が戦死してゆく中で、過酷な経験を経つつ自らは生き残った戦中派世代が、その後をどう生きたかを追うことに記述の重点を置く。物語のように終わらない現実を丁寧に描く筆致に『see you again』と通じるノンフィクションとしての手応えを感じた。
怪物的な大作とコンパクトな新書という両極にノンフィクションが偏在し始めている。そんな印象を持った2025年だった。(たけだ・とおる=ジャーナリスト・専修大学教授)
