2025/11/28号 3面

山本武利著作集 第七巻 米国の対日工作

山本武利著作集 第七巻 米国の対日工作 山本 武利著 阪本 博志  本書は、全十巻からなる『山本武利著作集』の第一回配本として、本年七月二十九日に発行された。帯には「昭和百年・戦後八十年記念出版」とある。その下に記された文言は、広大なフィールドを開拓してきた山本氏の業績を端的にいいあらわしている。  「明治期新聞の暁光から、戦中の防諜・謀略、占領期GHQによる検閲、高度成長期の消費革命まで。第一次資料を駆使してメディアの功罪を問うてきた山本武利の集大成」。  本書もまた、アメリカ公文書館で博捜された膨大な一次資料を駆使して著されたものである。  「第一部 捕虜」では、こう述べられている。  「太平洋戦争の帰趨は武器や経済力での彼我の格差が決定したといわれる。しかしこうしたハード面だけでなく、諜報戦、情報戦といったソフト面での巧拙が日本軍の敗北を加速したこともたしかである。また一般にいわれる電波技術の優劣が情報戦を左右したのではなく、前線での軍機漏洩という単純な事態を軍幹部が見逃したことに、敗戦の根本的原因があったといえる」。  日本兵たちは前線まで日記や日誌あるいは手紙、遺書をポケットや背嚢に入れていた。作戦命令、作戦地図、部隊配置図などを持参して、アメリカ兵との白兵戦に臨むことが多かった。階級の高い兵士ほど、戦術的価値のある文書をもっていた。  かれらが戦死ないし病死すれば、その死体からは、文字の記されたものならなんでもとりあげられた。流れ出る血が文書を汚し文書の価値を低下させる前に瀕死の重傷者の肉体をまさぐる作業は、どの戦場にも見られた。「日本軍の撤退後の戦場には、あらゆる戦術的、戦略的価値を持つ文書が遺棄されていたといっても過言ではない」。  また捕虜は、洗いざらい自軍の情報を敵に提供した。持参の文書を手渡すだけでなく、それに解説、分析を加えることもおこなった。文書は捕虜の供述とくみあわされたとき、その諜報的価値を一段と増した。  いっぽう、大本営の参謀は国内での軍機漏洩にのみ気をつかっていて、前線からの漏洩、そして連合軍相互での漏洩情報の共有ならびに対日作戦での活用という事態を認識できなかった。また日系二世がATIS(南西太平洋連合軍翻訳尋問部隊)などの中枢を担っていることにも気づかなかった。  戦時と占領期の連続性について、山本氏は次のように指摘する。  「占領期の君主ともいえるマッカーサーその人は、日本人のパーソナリティを戦闘指揮から最も学んだ将軍であった」。「アメリカ軍は捕虜の供述や捕獲文書を通じ、占領後の日本ならびに日本人への対応のノウハウを学んでいる。したがってマッカーサーは占領後、天皇の戦争責任を追及しようとしなかったし、ワシントンもその方針であった。アメリカにとって、日本占領は日本人全体を捕虜にしたに等しかった」。  「第二部 ブラック・ラジオ」では、太平洋戦争時のアメリカの対日ブラック・プロパガンダが克明にあとづけられている。  「ブラック・プロパガンダ」とは、「ホワイト・プロパガンダ」の対義語である。「ホワイト・プロパガンダは、オーディエンスがそのソースを確認でき、メッセージも正確性、真実性が比較的高いものである」。これに対し「非公然のソースから出た作りごと、にせのメッセージを敵国のオーディエンスに伝える活動をブラック・プロパガンダという」。  一九四四年に陥落したサイパンは、日本でも中波の電波がキャッチできるところであった(日本政府は、国民に短波受信機の所有を厳禁していた)。一九四五年四月五日にグリーンズ・プロジェクトという作戦がスタートする。同年四月四日から八月十日までに三十分番組百二十四本が、グリーンズ・プロジェクトのブロッサム・プロダクション(サンフランシスコ)で制作された。  同年四月二十三日から、OSS(戦略諜報局)のサイパン・ブラック・ラジオがスタートした。アナウンサーは、日本人グループ「新国民放送局」を名のった。二部構成であった。  このブラック・ラジオには、三人の捕虜も参加した。「三人いずれも捕虜となって一年たらずであり、うち二人は一九四四年まで日本にいた。彼らの最大の貢献はスタッフがつくる番組に〝現実味〟を与えたことである」。  番組は第一回から第四回までは、硬派番組のみで構成されていた。第五回目から毎回第二部は、感情に訴える軟らかい内容となる。第一部がほぼ一貫して軍部批判と早期降伏の主張で貫かれているのに対し、第二部はかなりバラエティに富んだ構成となった。前線に夫を送りだした妻、恋人・兄弟を送った女性の悲しみや苦しみをさまざまのかたちであらわしたものが、最も多いという。  戦争で負傷したり死亡した日本軍の兵士が所持していた手紙、日記などは、押収文書として整理、分析され、そのリポートがサンフランシスコのグリーンズ・プロジェクトにも定期的に届けられた。これらが番組制作に活用されたのである。  「第三部 OSSからCIA誕生にかけてのアメリカの諸工作」では、山本氏が公文書館で発見した、SSU(戦略諜報隊)の「日本における戦後の秘密諜報計画案」が翻訳・紹介されている。  SSUとは、終戦直後に解体されたOSSの秘密工作部門が独立した組織で、OSSがCIA(アメリカ中央諜報局)に継承される戦後の過渡期、一九四五年末から一年間活動した米陸軍機関である。  上記「計画案」の「制作年月日の記載はないが、内容から見ると、一九四六年前半に作成されたと推測される。また五部作成されたtop secret(極秘)扱いの資料の一部である」。  「ともかくこの資料は日本占領下のCIA資料がまったく公開されていない現在において、日本への浸透工作を画策するアメリカ諜報機関が作成し、大統領かそれに近い最高幹部にまで届けられ、検討に付された極秘のマスター・プランとして貴重と思われる」。  「計画案」は、こう始まっている。現代日本に住むわれわれにとっても、重いことばである。  「今日の日本はアメリカが長期的な観点に立ち、平時に秘密諜報組織をはじめて浸透させる絶好な対象である」。  本書が、「昭和百年・戦後八十年記念出版」の第一回の配本として、敗戦から八十年目の夏に刊行されたことの意義は、きわめて大きいといえよう。(さかもと・ひろし=帝京大学教授・社会学・メディア史)  ★やまもと・たけとし=早稲田大学名誉教授・一橋大学名誉教授・社会学。著書に『近代日本の新聞読者層』『検閲官』など。一九四〇年生。

書籍

書籍名 山本武利著作集 第七巻 米国の対日工作
ISBN13 9784892536632
ISBN10 4892536636