2026/07/31号 7面

文庫本アンケート「私にとって思い入れのある1冊」

文庫本アンケート 「あなたにとって思い入れのある1冊」 編集者・ライター 円満字 二郎 庄司薫著『さよなら快傑黒頭巾』  庄司薫の「薫くんシリーズ」四部作が、若者たちに絶大な支持を得てベストセラーになったのは、一九六〇年代から七〇年代への変わり目。そのほとぼりは、ぼくが大学生活を送った八〇年代の後半になっても続いていた。知り合いの誰かの影響でぼくも四部作を一気に読み、そこに描かれた青春のまぶしさに、目がくらむような思いがしたものだ。ただ本作だけは、あまりピンと来なかったのを覚えている。  その印象が一変したのは、フリーランスになった四〇歳のころ、仕事上で再読した時だった。この作品の末尾では、夜明けの淡い紫色の空の下、荒野に横たわる男たちのなきがらという形で、青春の挫折が象徴的に描かれる。その幻想的な情景に、妙にリアリティを感じたのだ。青春は必ず挫折して終わるものだが、青春のまっただ中にある時には、そんな当たり前のことが信じられない。すぐれた文学とは時限爆弾なのだ、と改めて思い知らされたのだった。(えんまんじ・じろう=編集者・ライター) 写真家 インベカヲリ★ 田中康夫著『なんとなく、クリスタル』  1980年、私が生まれた年に刊行された小説なので、読んだのはずっと後のゼロ年代だった。女子大生の主人公が何を食べ、何を買い、誰とデートしたという軽薄な日常を描くだけで、こんなにも面白い物語になるのかと感動した。しかも、その頃の若者は今のシニア世代なのだ。  当時、私は20代で、近い世代の女の子たちをよく撮影していた。精神科に通院している子が多く、片手いっぱいに処方された向精神薬をザラザラと口に放り込み、副作用で手が震えている子もいたし、いきなり閉鎖病棟に入って連絡が途絶える子もいた。そんな女の子たちと過ごしながら、私はいつか現代版『なんとなく、クリスタル』を書きたいと思っていた。彼女たちの「当たり前」を、深刻な社会問題としてではなく、平坦な日常として描いてみたかった。  その後、ノンフィクションを書くようになったが、結局、小説は書かなかった。すっかり「若者」ではなくなったし、私が見ていた「現代」は、あまりにも速く過ぎ去ってしまった。(いんべ・かをり=写真家) 編集者・研究者 服部 円 向田邦子著『眠る盃』  二十代のころ、私は向田邦子にずいぶんかぶれていた。知的でユーモアがあり、観察眼が鋭く、生活の美意識を手放さない。仕事をし、自分で暮らしをつくり、ひとりの人生を面白がる。その姿は、当時の私にとって「こんな大人の女性になれたら」と思わせる憧れだった。  本書は、向田邦子の二冊目の随筆集である。表題作では、少女時代に覚え違えた歌の一節から、戦前のサラリーマン家庭の空気が映し出される。なにげない日常の記憶を、ふいに人生の核心へ結びつける手つきが鮮やかだ。そしてこの本には、猫の話も出てくる。父が名付けたシャム猫の伽俚伽やタイで出会ったコラットと呼ばれるブルーグレイの美しい猫。新聞の猫取材にはしゃいだかと思えば、勝負服の回では猫のための服の扱い方を指南する。  猫好きの作家は多く、猫随筆も山ほどある。向田邦子は人や社会については驚くほど鋭く、少し意地悪なくらい冷静な目を向けるのに、猫のことになると途端に言葉が平凡になる。人はなぜ猫を飼うのか。その問いにきれいな答えはない。ただ、猫のことになると向田邦子もまた、ごく普通の猫好きになるのである。(はっとり・まどか=編集者・研究者) 哲学 谷川 嘉浩 藤野可織著『ピエタとトランジ』  好きな文庫というと、やはりミステリだ。たとえば、P・D・ジェイムズの『女には向かない職業』やアシモフの『はだかの太陽』。前者はバディの喪失から始まり、後者は人間とロボットのバディによるSFミステリなのだが、多様な探偵ものには共通するトーンがある。知性で道を切り開くことの矜持、他人から侮られることへの苛立ち、関係者から獲得する信頼、事件を解決できても事態は元に戻らないことの憂鬱。探偵の事件解決は、希望とともに、取り返しのつかなさを直視させるのだ。  そうした探偵ものの文法を破壊的に応用したのが、『ピエタとトランジ』である。殺人事件を誘発する体質がきっかけで、世界に狂気と死のにおいが充満していく特殊設定なのだが、例のトーンは共通している。バディの二人は、黙示録的世界が到来した後になって、自分たちの曖昧で名前のない関係性を引き受け直せた。その独特の爽やかさは何とも表現しがたく、何度も読み返してしまう。(たにがわ・よしひろ=京都市立芸術大学講師・哲学) 作家・一級知的財産管理技能士 友利 昴 H・G・ウェルズ著『ウェルズSF傑作集 タイム・マシン』  筆者は著作権、特許などの知的財産権が専門だが、発明や創作がもたらすロマンを教えてくれた作品といえば、H・G・ウェルズのSF小説である。一九世紀末の英国作家だが、なんと今年生誕一六〇年を記念して創元SF文庫から三冊も中短編集が発売されている。  「タイム・マシン」などは有名だが、併録の数十頁の短編が味わい深い。火星と通信する水晶、若返り薬、強壮キノコ、未来の新聞、身体活動が超高速化する薬など、不思議な発明・発見がもたらす悲喜劇がテンポよく描かれる。意外と悲劇の方に比重がある。 時代を先取りし過ぎた発明は、世の中を革新させる期待を喚起するが、人を幸せにするとは限らない。今日のAIツールがわれわれの日常を劇的に効率化しつつ、さまざまな社会不安や混乱をもたらしているのも、ウェルズの小説のようである。  前記三冊と、岩波文庫から出ている二冊の短編集を揃えれば、同氏の面白い短編はほぼ網羅できる。(阿部知二訳)(ともり・すばる=作家・一級知的財産管理技能士) 作家・主夫 周司 あきら ルナール著『にんじん』  嫉妬したくなるような本がある。読んでいるうちに自分も書きたいと思わせる類の本だ。『にんじん』もその一つで、いつか創作するならこのエキスを取り込みたい。  だが設定自体はなかなかひどい。まず主人公の名前からしてひどい。赤い髪とそばかすだらけの肌だから、あだ名は「にんじん」。母親から虐待され、兄姉からは手下扱い、父親は不干渉。にんじんの失態は近所の笑い物となる。  舞台は19世紀後半、フランスの片田舎。漏らした小便の臭い、小便入りスープの味、やまうずらを締め殺す手の感触、しらみが頭にまとわりつく痒み。それらは私の知らない感触だが、子ども時代の逃げ場のなさは痛いほど伝わる。  それをユーモアと軽快すぎる文章で昇華してしまっているのが本書だ。自伝的小説でここまでできるのかと、私は自身が蓋をしていたはずの過去まで遡って密かに感動を覚える。心ににんじんがいたら、大人になったルナールがいたら、なんとも心強いのではないか。(中条省平訳)(しゅうじ・あきら=作家・主夫) 編集者 林田 こずえ  「シェイクスピアの悲劇って、起承転結のバランスが悪くて、登場人物が死ぬ結末が多くない?」「じゃあワンパターンな結末担当がいる四人グループなのかもね」  学生時代に友人と冗談で立てたシェイクスピア複数人説が、もしかしたらアリかもしれない!? 本書を読んで驚いた。もちろんこの突飛な仮説は、「最強」でありながらも「ご都合主義」だとして否定されるのだが、束の間、同じ発想をしていた人がいる喜びを味わわせてくれた。  本書は、「田舎者のシャクスペアにあんな戯曲が書けるわけがない」という言説から始まり、シェイクスピアの正体に迫っていく。とくに七人の「別人説」を解説していく第一章第二節は、偽物の宝箱を開けながら、本物を追い求めて洞窟の深淵にはまっていくように、ページを繰る手が止まらなくなる。いったいシェイクスピアは誰だったのか。その真相はぜひ本書をお手に取って確かめてほしい。現在、電子書籍でしか読めないが、紙媒体での復刊を望む! (はやしだ・こずえ=編集者) ライター 堀川 夢 森茉莉著『私の美の世界』  子どものころ、汽車で街までバレエのレッスンに通っていた。駅に着いてからレッスンまでは少し時間があったので、駅前にある大きな書店でいつも時間を潰していた。  小学五、六年生のころだっただろうか。文庫コーナーをふらふらしているとき、「森茉莉」という作家の名前が目に入った。ちょうど、「茉莉花」が「ジャスミン」を意味する、と知ったところ。「ジャスミンさん?」と思って手に取ったのが、『私の美の世界』だった。 ページを開いて驚いた。厳しく確かな好みを持って、「これはいい、でもこれはだめ」と選別し、自分に必要なものだけを選び取る。自分の魂の形をはっきり自覚し、誇りに思い、自分が日本に住む女性だと思い出したときも心が日本に戻ることはない。なんと気高く、素晴らしい生き方だろう。  こうして、森茉莉に出会ってしまった私は順調にロリータ好き、古い映画好き、BL好き、ヨーロッパ贔屓へと歩みを進めるのだが、それはまた別の話。(ほりかわ・ゆめ=編集者・翻訳者・ライター)