2026/04/10号 3面

ドゥルーズ入門

ドゥルーズ入門 澤野 正樹著 ジル・ドゥルーズ 堀 千晶著 松本 潤一郎  二〇二五年は哲学者ジル・ドゥルーズ没後三〇年に当たる。関連催事挙行、論集・研究書・既訳諸新装版刊行などがあった。『ドゥルーズ入門』と『ジル・ドゥルーズ』も、この節目に照準を合わせて刊行された。  『ドゥルーズ入門』は三章から成り、各章でドゥルーズの主要概念を扱う。一章は「内在」、二章は「生成」、三章は「リゾーム」「フィローム」「アジャンスマン」「脱領土化」を俎上に載せる。一章ではドゥルーズ哲学の核心の一部を成す、道徳的「善/悪」から身体的「よい/わるい」へ価値を転換するニーチェと世界を内在的に捉えるスピノザが紹介される。道徳の超越性を差し引いた世界は内在的であり、そこではあらゆるものが同じ意味で(一義的に)存在するため、原則的には、あらゆるものが他のものになる(生成する)ことが可能である。二章では生成は女性、特に少女において際立つと主張される。少女は大人、特に男性に比べて、道徳化の度合が低いという。生成は模倣ではなく近似、近傍への跳躍である(七二―七四頁)。内在の哲学において精神を含むあらゆる物体は微粒子から成り、それらの離合集散によって様々な個物が組成される。或る個物への生成とは、その個物の組成に自らの組成を「近づける」ことである。「近い」とは物理的距離ではない。何が何にとってどう「近い」かは可変的だからである。こうした曖昧で抽象的な「近さ」を「近傍」概念によって規定した位相幾何学に、「生成」概念は想の一つを得ている。生成の事例として、宮崎駿監督アニメーション作品の少女キャラクター、歴史上の女性哲学者・科学者への言及に、かなりの紙幅が費やされる。三章では菌類学、森林生物学、昆虫学、地衣類研究、文化人類学の知見が披露され、菌類が植物の諸関係を媒介する仕組みがリゾーム的であり、地衣類の個体化がフィロームの一端であることが示される。リゾームは中間における中継を核とする反系譜学的ネットワークであり(一六三―一六四頁)、フィロームは従来の分類を逸脱する横断的な分類を指し、フィロームから分裂して抽出された集合がアジャンスマンであり、アジャンスマンにおいて個体化が成り立つ(一九四―一九六頁)。そして資本主義システムにおける脱領土化の事例として、マツタケ狩りと自動車販売に関する文化人類学からの報告が紹介されて本書は締め括られる。脱領土化もリゾームなどと連続的である。本書はドゥルーズの諸概念を著者独自の視点から実践的に示すという設計になっており、ドゥルーズの顰に倣い、ドゥルーズから遠ざかるほどドゥルーズに近づく(=生成する)ことができるという方針で書かれたと思われる。   *  『ジル・ドゥルーズ』は〈知の革命家たち〉叢書(二〇世紀欧米の文学・芸術・人文科学諸分野で革新的な仕事をした人びとのモノグラフ)の一冊である。「序」に彼の生涯と思索をまとめ、「参考文献」で主要著作を紹介し、本論で大著『シネマ』二巻を取り上げ、ドゥルーズにおける「映画批評〔を通した〕美学と政治〔の〕交叉」(七頁)を論じる。ドゥルーズの思考方法は他領域との交叉にあると著者は言う。各領域の「特殊性を極限まで引きのばしたうえで、その極限において――すなわち他領域との共通性がないところにおいて――、はじめて他領域と交叉させることである。たがいに遠く隔たったもの同士だけが、反響をかわしあう。〔…〕異なる諸領域は、それぞれの素材のなしうることの極限においてのみ交わる。つまり分離すること、極限まで引きのばすこと、共鳴を生みだすこと、変容を招き入れること」(二〇―二一頁)。どの領域の表現もその極限に各表現固有の〈表現されないもの〉を持ち、この〈ない〉において諸領域が交流する。諸領域はその固有性を保ちつつ、しかし〈ない〉点で識別不可能である。こうした視点からドゥルーズは、映画から哲学を、哲学から映画をとりだそうとする。本書はドゥルーズの思考を丁寧に辿り、映画作品の具体的な描写とともに、様々な論点を緻密に扱っている。米ソ両革命失敗後の映像と音響が分離した世界の中で、不在の民衆に呼びかけつつ民衆を創造するフィクションにおいて、芸術は政治的なものに出会うだろう。   *  スタイルはかなり異なるものの、どちらの著者も遠さに近さを感じるドゥルーズの転倒的感性に注目する。ドゥルーズは遠くから近くへという順序で自分を捉えるものとして〈左翼〉を定義した。左翼はその本性上、遠近法が転倒(倒錯?)している。従来の左翼の定義〈言葉を信じる者〉も〈言葉〉が理念、あるいは理想を指すと考えれば確かに転倒している。壊滅した今日の〈左翼〉の映像(イメージ)を更新し、音響との他なる結合を構想するにあたり、両書を承けて考えられる課題の一つは、遠近(法)の倒錯の仕組みを解明し、そこに看取される思考の型を分類することだろう。例えばドゥルーズはマゾッホの倒錯に、法的決断の中止と待機の姿勢を見てとる。これは法による裁き(決断)の停止を正義と見做すベンヤミンの議論に通ずる論点であると思われる。刑罰執行までの猶予をできる限り引き延ばし、ひいては決断を停止させること。時間を死(刑)までの猶予から赦罪へと転倒(倒錯?)させようとするベンヤミンの思考を、ヴェルナー・ハーマッハーは『ベンヤミン読解』で精緻に辿っている。ベンヤミンはヘルマン・コーヘンの微分論に触発されていたという。そのコーヘンを触発したザロモン・マイモンをドゥルーズが『差異と反復』で重視していたこと、またドゥルーズもベンヤミンもカントの時間論に批判的であったことなどに鑑みて、こうした思考の系譜(リゾーム的ネットワーク?)を仮説として立ててみることも、不可能ではないだろう。この系譜には、多様体論(リーマン)から相対性理論(アインシュタイン)におよぶ思考が並走しているようにも思われる。(まつもと・じゅんいちろう=就実大学教員・哲学・思想)  ★さわの・まさき=明治学院大学教授・社会思想史・犯罪社会学。明治学院大学大学院博士課程単位取得退学。著書に『不毛論』『絶滅の地球誌』など。一九六〇年生。  ★ほり・ちあき=立教大学ほか兼任講師・フランス文学。共著に『ドゥルーズ キーワード89』、訳書にラプシャード『ドゥルーズ 常軌を逸脱した運動』など。一九八一年生。

書籍

書籍名 ドゥルーズ入門
ISBN13 9784582860955
ISBN10 4582860958