2026/04/24号 6面

「読書人を全部読む!」28(山本貴光)

読書人を全部読む! 山本貴光 第28回 哲学の不振  「読書人」を創刊号から隈なく読むということに取り組みながらこの連載を書いている。かれこれ30回近く回を重ねてきたわけだけれど、まだ創刊翌年の1959年はじめあたりをうろうろしている。毎号面白いものと出合うこともあり、なかなか先へ進まないのである。  などという言い訳はさておき、今回は第262号(1959年2月16日)の2面に出ている「〝変革の哲学〟への道――唯物論哲学の今日の課題」という記事を眺めてみたい。記事の冒頭には、『プロレタリア科学』『プロレタリア科学研究』『唯物論研究』『民主主義科学』『理論』といった雑誌の写真が配されている。  リード文によれば、「思想の科学」の再刊や「東京唯物論研究会」の発足など、哲学にかかわる動きがある一方で、「哲学の不振」が論じられているともいう。それはなぜかというので、「唯物論哲学の今日の課題を探ってみよう」という趣旨である。ここでは「哲学=唯物論哲学」という前提が置かれている様子が窺えるが、当然といえば当然のことながら、哲学の位置づけや環境もいまとは違っていたはずで時代を感じるところ。  記事全体を要約すればこうなろうか。戦前の日本で生じた唯物論哲学の動きは、当時の日本の現実に、鋭く切り込んで行った」が、戦間期には戦争協力に手を染め「堕落」した。そうした過去のあり方を反省し、明らかにすることなくして戦後に再発足した日本の唯物論哲学が衰退したのは当然である。唯物論哲学は、新たに道を切り開く必要がある。例えば、大衆化と言われる目の前で生じつつある社会現象をどのように評価できるかはその試金石だ。  書き手は「(Y・K)」と署名している。唯物論哲学の歴史や現状に通じている様子から、文中に何度か現れる古在由重(1901-1990)をつい連想してしまうが定かではない。この書き手が、記事の冒頭近くで引いている「戦前から一貫してた団体が戦後になって『話変りまして』というので別な仕事を始めるのではだめですよ」という言葉は、戦前戦後の唯物論哲学に限らず、いまにいたるまで日本の文化をはじめとするあちこちに該当することのように思う。言い換えれば、現在の条件である歴史、なにがどうなって現在の社会や文化ができてきたのかを軽視する態度と言おうか。  ところで、先ほどの引用は、東京唯物論研究会創立総会の席で久野収(1934-1999)が述べた言葉だという。これを受けて「『話変りまして』でやっているかぎり、過去の成果を新しい世代に伝えることが困難になると同時に、新しい世代が過去の誤りや偏向から現在の教訓を学びとることも事実上不可能にしてしまうのである」と指摘するY・Kに同感である。  これを現代の課題としてもう少し言い換えるなら、日々絶えず動画や投稿を耳目に入れ続け、虚々実々の情報を脳裡に通過させて生きている私たちの意識や記憶のなかに、いかにして相対的に確度の高い歴史を共有できるか、となろうか。こう書きながら、いまさらそこからですかと思わなくもないけれど、国を率いる政治指導者のなかにも歴史の覚束ない者が散見される昨今、何度でも立ち返って確認してもよい基礎の一つであるとも思う。 (やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)