2026/07/17号 6面

「読書人を全部読む!」38(山本貴光)(6)

読書人を全部読む! 山本貴光 第38回 大江健三郎『われらの時代』評  大江健三郎(1935―2023/24)の『われらの時代』(中央公論社、1959)が、発表当時、批評家から酷評されたとは聞いていたものの、そういえば同時代の批評を読んだことがなかったかもしれない。そう思い当たったのは第285号(1959年7月27日)掲載の山本健吉(1907―1988/52/文芸評論家)による書評を読んでのことだった。  「観念的四分五裂」という見出しからは肯定的か否かは分からない。そこに添えられた「作者自身は〝性的劣等感〟の中にある」という文句から、これはネガティヴな書評かもしれないという気配を感じる。そう思って書評本文に目をやると、文章はこう始まる。  「これはこの作者の最大の悪作だと思われた」  開口一番袈裟斬りである。ここで後世の読者としてちょっと気をつけたいことがある。私たちはその後の大江を知っているだけに後日の姿を投影しそうになる。この時点での大江は、大学在学中に発表した「飼育」で1958年の第39回芥川賞を受賞し、おおいに注目を集めていたとはいえ、その後書き継がれてゆく作品の数々から振り返れば、まだ駆け出しの時期だった。  といっても、1958年だけでも『死者の奢り』(3月)、『見るまえに跳べ』(10月)といった短篇集や初の長篇『芽むしり仔撃ち』(6月)を刊行している。また、芥川賞受賞の際には「読書人」でも浅見淵(1899―1973/59/文芸評論家)が芥川賞・直木賞の受賞作を評した文章で「こんどの芥川賞が大江健三郎に授賞されたことは、誠に意外な気がした。他に受賞作品がなかったからだろうが、大江は既に流行作家である。芥川賞の幅が広くなったというが、といって、今の大江ぐらいの実力者は新人としてそうザラに出現するものではない。さっそく次の芥川賞の選衡に当って困るのではないか」と述べている(第235号、1958年7月28日)。  話を戻せば、山本健吉が「最大の悪作」と評したのは、右に挙げた著作や雑誌に発表された短篇類を念頭に置いてのことだと思われる。  書評は、印象に残った要素に触れながら評価を挟むというスタイルを採る。小説の冒頭は、主人公の南靖男(大学仏文科学生)が頼子という中年の女性と性交しながら脳裡では自己嫌悪とともに先の戦争の時代に生きた人びとのことなどを考えているという場面から始まる。「よほど作者は、女陰によって被害を受けたのかと、考えたくなる。異性について、おそろしく精神主義者であることの、逆説的表れであろう」と、作品評に作家評を重ねるスタイルは、この頃ではあまり見かけない類かもしれない。  同作で性と並んで大きなテーマである政治についても主人公の言動に触れて、その観念のあり方は、一方で石原慎太郎に、他方で堀田善衞につながろうとしているものの、それを書いている作家の「首根っ子を押えているのは」江藤淳らしい、だが作家は性的劣等感の中にいるのではないか、四分五裂である、とやはり作家評を重ねてみせる。「どうしてこの若い有能の作家が、こんなひどいことになったのか」と結ばれる書評が当時どのように読まれたかは分からないが、私などはかえって再読したくなった口である。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)