2026/04/10号 3面

論潮・4月(高原太一)

論潮 4月 高原太一  目まぐるしく世界が動いている。そんな中でもこのひと月の間、脳裏から消えなかったのが、イラン最高指導者であるハメネイ氏らを一瞬で殺害したミサイル攻撃の暴力性とバンカーバスターと呼ばれる兵器の恐ろしさだった。しかし、私たちはミサイル攻撃の傍らで日々進行している暴力と破壊についても考えなければならない。そのことを、『地平』に収載されたルイーザ・カンチェッロさんの「東エルサレム―イスラエルによるパレスチナ人追放作戦」は教えてくれる。  カンチェッロによれば、エルサレム旧市街南部にあるパレスチナ人居住区シルワンで行われているのは、ガザのような爆撃による破壊ではなく、イスラエルが主張するところの「通常の行政手続き」としての破壊、という事実である(六一頁)。同報告には、住居を破壊されたパレスチナ民衆の声が記録されている。「ここでは取り壊しは日常のことだよ」(六二頁)、「イスラエル当局は、誰の家を壊すか、無作為に選んでいるわけではない」(六五頁)、「声を上げる者、組織化する者、告発する者を標的にしている」(同上)。シルワンのアル・ブスタン地区の広報担当者で活動家でもあるアブー・ディアブは、 2024年に二度家を破壊され、二回目はアメリカ大統領選挙中の「国際的な注目がよそに向いている隙に攻撃」(六四頁)されたが、「瓦礫だけを見れば彼らが壊しているものは家だと思うでしょう。でもそうではない。彼らは人々を破壊したいんです。心理的に、経済的に、社会的に。これがここで起きている戦争です」(六六頁)と語る。  このような戦争が起きているなかで、私たちは何を考えればよいのか。米谷匡史さんの「戦後日本における植民地主義批判の生成」(『思想』)は、戦争のなかで連帯と抵抗のために雑誌を創刊した人びとの思想的軌跡を再検討した論考である。  米谷は、鶴見俊輔と鈴木道彦という「急進的な自由主義、あるいはアナーキズムの立場で思想・運動を展開していった哲学者、文学者」(四〇頁)による植民地主義批判が生成されていく経緯と文脈に分け入っていく。両者に共通するのが、アルジェリア戦争やベトナム戦争といった目前で進行する事態に触発されながら、アジア・アフリカ、とりわけ朝鮮に対する日本の植民地主義、加害の問題を論じるといった思考過程だった。つまり、同時代の反戦運動に関与することで、日本の歴史、とくに戦前から戦後へと持続する「植民地主義と差別」についての認識を深めたその足取りを追った。  ここで先月同様、私の経験を持ち出して恐縮だが、今回は石垣島へと旅するなかで、米谷論考や『地平』を読んだ。石垣には、2023年3月から陸上自衛隊の駐屯地が開設され、八重山警備隊のほか、第7地対艦ミサイル連隊や第7高射特科群が配備されている。駐屯地が置かれているのは於茂登岳(おもとだけ)という沖縄県内最高峰の山麓で、島の中央部にあたる。配備にあたっては、住民投票を求める運動があり、有権者数の三割をこえる署名が集まったものの、その請求は市議会によって否決され、石垣市住民投票を求める会も、24年11月に解散したが、個々の活動はかたちを変えて続いている。  この一週間にも満たない旅の経験(聴き取り)のなかで共通してぶつけられた言葉が「差別」だった。石垣や宮古あるいは与那国といった「離島」において、国防や安全保障、台湾有事といった言葉に乗っかるかたちで、そこに住む者たちの声を聴かず、あるいはそこに住む人びとを分断するかたちで東京から自分たちの生きる基本的な条件が作られていく(その最たるものが閣議決定だ)のは「離島差別」ではないかと問われた。  ここで先月号で書けなかった総選挙(二月八日実施)の結果にも触れたいが、『世界』と『地平』において、「オール沖縄」の全敗について分析した論考が収められているのは偶然ではなく、それぞれの編集部の危機感の現われといえるだろう。  「「オール沖縄の行方」―再生へ向けた展望と課題」(『地平』)のなかで、小松寛さんは、同選挙によって辺野古の新基地建設反対を訴える沖縄選出議員がいなくなったことを受けて、「沖縄の基地問題の根幹は、その意思決定過程に沖縄側が参画できないことに他ならない。これは宮古・八重山諸島で進められている自衛隊配備についても同様である」(一二三頁)と指摘する。私なりの言い換えになるが、総選挙の結果が、あるいは石垣の例でいえば、市議会での結果が、住民や国民の声を反映していないということではなく(もちろん制度的な問題などは多分にありつつ)、それ以上に、その声が票数として把握され、それに支えられ進められる政治が「差別」になっていないかと、小松は問いているのではないか。それが現在にとどまらず歴史的に継続してきた「差別」と重なると考えることで、米谷が開いた植民地主義批判の文脈にもう一度接続したい。  ベトナム戦争に派兵される韓国軍から脱走し、日本への亡命を求めつつも、出入国管理令違反によって逮捕され、刑務所での懲役を受けたあと、大村収容所に送られ、銃殺刑の危険性がある韓国への退去強制を待っていた金東希(キムドンヒ)。結果、金は、鶴見らによる市民運動の高まりによって強制送還こそ免れたが、日本への亡命は認められず、平壌へと向かった。この出来事について、米谷は「日本政府が排外的な姿勢をとり、加害者の立場に立っていることは、解放前の植民地主義と差別が、戦後にも持続していることを意味する」(四三頁)と、政府の決定を支える政治の本質になにがあるかを言い当てる。つまり、植民地主義と差別である。  このような差別に抗するために生まれたひとつの雑誌が『朝鮮人―大村収容所を廃止するために』だった。世界で戦争が起き、「差別だ!」という声が否応なく自分にも向けられていく状況のなかで、かつての人びとに学びながら出来ることはないか。  米谷は、同論考のなかで「植民地主義と差別」に抗するために「反戦運動の国際連帯」が縦横無尽に展開された歴史を記してもいる。短い旅のなかで石垣市議会を傍聴したさいに審議されていたのは「イランへの軍事攻撃の即時停止と中東地域の平和的解決を求める意見書」であった。難儀という言葉がふさわしい緊張した言葉のやり取りの最後に、この意見書が可決されたことの重みと「離島差別」という言葉の厳しさは、いまの世界の政治状況や反戦を求める運動の質とまっすぐ繫がっていると感じた。同時に、軍隊は民衆を守らないという沖縄戦の教訓が継承されていることも改めて思うところであった。  先月は山形県の農村の「出稼ぎ」経験から鍛えられた批判的政治意識に触れたが、今月もまた同様の結論になる。地域での粘り腰の取り組みから世界へと連帯していく政治が生まれる。それならば、私は、東京発の論壇誌(すべての発行元が千代田区にある)は、その政治の生成にどのように参与していくことができるのかが選挙結果とともに問われている。(たかはら・たいち=成城大学研究員・戦後民衆運動史)