- ジャンル:民俗学・人類学・考古学
- 著者/編者: 髙田彩
- 評者: 藏本龍介
武州御嶽山の宿坊と労働
髙田 彩著
藏本 龍介
神社はどのように経営されているのだろうか。賽銭や祈禱料だけで維持されていると考えるのは早計かもしれない。本書は、東京都青梅市の霊場・武州御嶽山を、単なる信仰の場としてではなく、生き残りをかけた「家族経営される経営体」として捉え直し、そこで働く人々の「労働」がいかにして聖地を存続させてきたかを解明する野心的な一冊である。著者は、祈禱や儀礼といった表舞台に立つ男性神職(御師)ではなく、食事の支度や清掃、接客など、生活面を支える「裏方の労働(シャドウ・ワーク)」に光を当てることで、従来の宗教研究が見落としてきた「聖地維持のメカニズム」を鮮やかに浮き彫りにしている。
本書は三部からなる。第Ⅰ部では、御師が「神職」と「宿坊経営者」の二つの顔を併せ持ち、「講」と呼ばれる信者集団を経済基盤として管理してきた構造が示される。第Ⅱ部では、明治以降の鉄道開通による観光客の流入、昭和四〇年代の「林間学校」ブーム、平成の「ペット同伴参拝(おいぬさま)」といった、時代ごとの環境変化に対する柔軟な生存戦略が描かれる。彼らは信仰(聖)と観光(俗)を対立させるのではなく、両者を巧みに組み合わせることで、経営体としての存続を図ってきたのである。
本書の白眉は、著者のフィールドワークに基づく第Ⅲ部である。著者は自ら宿坊でアルバイトとして働き、皿洗い・清掃・接客などを経験した。その視点から描かれるのは、宿坊を支える女性たちの劇的な役割変化である。昭和の初め頃まで、御師の妻は住み込みの使用人に指示を出す優雅な「奥様」であった。しかし、昭和四〇年代の林間学校ブームによる多忙化と、産業構造の変化による使用人の不在に伴い、妻たちは自ら調理場に立ち、現場を指揮する実務的な責任者「おかみ」へと変貌を遂げた。また、外部からの労働力も、かつては花嫁修業を兼ねた住み込みの「お手伝いさん」が担っていたが、時代とともに賃金と社会経験を目的とする通いの「アルバイト」へと変化していった。
著者は、環境に適応しながら自らの役割を作り変えていく女性たちの姿を、「受動的主体性」として肯定的に評価する。彼女たちは、教義を説く宗教者(夫)でもなければ、単なる信者(客)でもない「中間領域」に位置している。しかし、この領域にある彼女たちが、外部環境の変化を受け入れ(受動)、その中で自らの役割を再定義し行動する(主体)ことこそが、組織を存続させる鍵であった。聖地・御嶽山が今日まで存続できたのは、神々の加護や男性神職の権威だけでなく、台所で汗を流し、布団を上げ下ろしする「シャドウ・ワーク」があったからこそだという結論は、読者に深い納得感を与えるだろう。
一方で、その労働が担い手たちの内面においてどのような「宗教的意味」を持っているのかという点については、本書の記述からは判然としない部分が残る。著者は、宿坊での労働の意義を「自己実現」や「共同体への帰属意識」に見出しているが、これらはコンビニのアルバイトでも生じうる動機である。御嶽山という「聖地」で働くことの固有性が、教義(イデオロギー)のレベルでどのように正当化されているのか。たとえば、皿洗いは修行になるのか。客へのケアが神への奉仕(布教)になるのか。もっとも、これは著者の分析不足というよりは、日本の宗教風土そのものの特徴かもしれない。宗教組織の運営が、社会的慣習や「イエ」の論理、あるいは国法の中に埋め込まれてしまうのは、広く仏教寺院にも見られる特徴であるからだ。
宗教界における女性労働の重要性を再評価し、「家族経営」という視座から聖地の実像に迫った本書は、宗教に関心のある読者のみならず、組織論やジェンダー論、あるいはファミリービジネスの承継に関心を持つ一般読者にとっても、多くの気づきを与えてくれる良書である。(くらもと・りょうすけ=東京大学東洋文化研究所教授・宗教人類学)
★たかた・あや=國學院大学日本文化研究所客員研究員・大正大学非常勤講師・宗教社会学。
書籍
| 書籍名 | 武州御嶽山の宿坊と労働 |
| ISBN13 | 9784881254097 |
| ISBN10 | 488125409X |
