2025/10/24号 3面

市村弘正著作集 上・下

市村弘正著作集 上・下  市村 弘正著 河野 有理  「1972年頃に時代状況と切り結ぶさまざまのせめぎ合いが終息し、社会と精神の状態が一変したとき、私にはそれが一つの「敗戦」感覚とともに到来した」。今回刊行された市村弘正著作集の下巻『読むという生き方』(原著2003年刊行)に記された一節を読んで、なんとなく「ああ、なるほど」という気がした。  急いで付け加えれば、この「ああ、なるほど」は「そうか、分かった!」の意ではない。市村弘正は私にとっては長くよく分からない書き手だった。その印象は、『「名づけ」の精神史』(1987年)や『小さなものの諸形態』(1994年)といった彼の代表作が収められた上巻を今回読み直してみても、さほど変化はない。だが、下巻収録の、これまで未読だった、この自伝風の文章を読んでみてはじめて、分からないままに、その分からなさの「文脈」がつかめたような気がしたのだった。  市村が藤田省三の、特にその「経験」の哲学ともいうべきものに深く学んだ人であることはいまさら言うまでもない。だが、その市村は「「戦後経験」という言葉を目にし耳にするたびに、私はある疎外感をおぼえる」(「経験の「古典」化のための覚え書」『小さなものの諸形態』)と書いていた。藤田省三や鶴見俊輔にとっては感覚的に自明だった「戦後経験」が、敗戦の年に生まれた市村にとって、もはや生々しい形では「経験」されえないということ。その後に続くエッセーの趣旨は、そうした「確かな感触をもたない経験」に対して、それを「「古典」として働きかける営み」の大切さを強調するものではある。だが他方、その前提として生々しい「戦後経験」と、自分の「感触」とのあいだの距離の感覚を市村が強調していたことに、冒頭引用の一節を読んだ後になって改めて気づかされたのである。  それでは、市村にとって1972年の「敗戦」の方は生々しい「感触」や確かな手ごたえをもったものとしてあったのだろうか。おそらく違うのではないか。そうではなかったところがミソではないか。  市村の著作には「喪失」や「敗北」にまつわる語彙が頻出する。その意味で、市村は「終わり」の思想家と言ってよい。だが、「終わり」を嘆き、慨嘆するという姿勢だけならば、これは市村に限られない。むしろそれは60年代から70年代にかけての幾多の評論家が弄したクリシェとも言い得る。そうした「喪失」の論理が持つ問題については、かつてある批評家が他の批評家について「すべてを「喪失」と見做し、「喪失」を生きるための糧とする」かのようなその姿勢には、すべてを最初から放棄するが故の「必勝の論理」が実は孕まれていると喝破したことがある。率直に言えば、この言は市村の姿勢にも妥当すると評者は思ってきた。国家や政治の側、つまり「秩序」の側にではなく、そうしたものから疎外され、排除された「小さなもの」の側に立ち、そうしたものたちがたまさかに取り結ぶ「社会」の可能性に賭ける。こうしたアナキズム的な構えのなかにも、秩序の希少性問題を現実の国民国家に預けながら安全な敗北の美しさに耽溺するいわば「負けるが勝ち」の論理が、隠されてはいないか。そういう疑問が、市村の著作を読むたびに湧き上がる。評者にとっての市村の「分からなさ」の一部を具体的に言えばこうなる。  今回、著作集上下巻を通読して、こうした疑問が氷解したのではない。だが、市村にとっては、「喪失」や「敗北」はそれに耽溺するよりもむしろ、その「経験」を経験する方法を模索するべき(この言い回しが奇妙ではないことは読者には了解いただけるだろう)類いのなにものかであり、そのことが市村を理解するうえで重要であることがおぼろげながらに分かってきたのである。  確かな感触や手応えを持たない「1972年頃」の「敗北の経験」を「経験」し尽くすこと。市村の知的営為は、おそらくひとえに、このための「方法」的な努力に費やされたのではないか。「戦後経験」を「古典」とすることはもちろん、1920年代と1970年代とを重ね合わせ、その距離を測ること。文化文政期の江戸、明治期の日本、1920年代、そこからはじまった何かの大きな円環の「終わり」として〈今〉を捉えること。80年代に入って新刊本を意識的に読むことを止めたという挿話も、もっぱら自らの「敗北経験」としての70年代を「経験」し直すための方法的努力の一つとして見ることが可能なのだろう。  自伝風の回想『読むという生き方』を読んでもう一つ感じたのは、日本の思想史における市村の位置づけはおそらく長谷川如是閑に似ているということだ。「三業地」――市村のデビュー作における「裏店」はここへ連なるのであろう――のなかの職人の棟梁の家に生まれ、本と縁遠い少年時代を送ったこの思想家は、やはり浅草の奥山の職人の棟梁の家系に生まれた如是閑と同様、本や文字、そして言葉というものについての違和感を手放そうとしない。  「喪失」や「敗北」の経験に、言葉や「名づけ」が人間にとって持つ意味に、それぞれ執拗にこだわるこの思想家の文章を内在的に理解するのはかなり困難が伴う。だが、その理路を追おうとするとき、時々、異様に明晰な一節が登場することがある。「思想史」ではなく、「精神史」を標榜する著者が2000年代の「思想」について述べた次の一節はそのようなものだ。   時代の緊急課題を担うという装いのもとに「思想」が姿を現わす。時代を相手取るだけに、それはしばしば論争的過程を通して造形され、コミットメントを要請する。その緊急性への対応において「真面目さ」は疑う余地はない……問いの立て方を検討し、「問題」を解きほぐし分担しあい協力しあうという作業を省略して、取り組み方の態度決定を迫るという強迫的な思考スタイルが露出する。言葉としてほとんど死後と化していたはずの陣営や党派性という感覚が復活するだろう。(下巻、273頁)  80年代を迂回して、70年代の「精神」にこだわり続けた市村の思考の射程は、「思想」の再臨の時代としての21世紀をおそらくするどくとらえている。  カタログ的な参考文献リストを網羅的に「読破」していくスタイルは市村の忌むところであり、自らの「文脈」を見定め、その途上で出会う本たちを味読するのがそのスタイルである。その顰にならうなら、市村の著作集と出会う「文脈」がようやく整いつつあるのだろうか。(こうの・ゆうり=法政大学教授・政治学・日本政治思想史)  ★いちむら・ひろまさ=法政大学名誉教授・批評家・思想史家。著書に『「名づけ」の精神史』など。一九四五年生。

書籍

書籍名 市村弘正著作集 上・下
ISBN13 9784087890198
ISBN10 4087890198