2026/01/23号 3面

人びとの社会戦争

人びとの社会戦争 益田 肇著 山田 朗  本書は、「社会戦争」という切り口で、一九一〇年代から五〇年代までの日本が、なぜ戦争への道を歩んだのかを解き明かそうとしたものである、と書いてもわかってもらえないだろう。そもそも「社会戦争」(social warfare)という言葉には馴染みがない。国会図書館蔵書検索システムで調べても、これまでに日本で刊行された単行本で、書名に「社会戦争」が入るのは、今のところ本書だけだ。本書で言う「社会戦争」とは、社会おける一般の人びとによる秩序意識、たとえばジェンダーや家族のあり方、共同体や国家のあるべき姿をめぐる日常生活上の争い・対立を指す。もっとも身近なものが「男らしさ」「女らしさ」など「~らしさ」をめぐる衝突である。  問題は、そうした人びとの日常生活をめぐるさまざまな争い・対立(社会戦争)がどのようにアジア太平洋戦争といった国家間の戦争へと結びつくかだ。本書の特徴は、まさにこの点を結びつけて論じたことにある。戦争というのは、政党勢力から権力を奪取した軍部が、国民を強権的に動員して無謀な中国への、アメリカ・イギリスなどへの戦争に駆り立てたものという歴史認識、「昭和」に入ってからの歴史は、恐慌・戦争・窮乏といった民衆がこれらの「災難」を一方的に被ったとみなす暗い時代とみなす時代イメージ、これらを覆すところに本書の狙いがあるだろう。そして、日本社会における社会戦争とその結果作られた時代の空気が戦争を後押しする、あるいは国家指導者たちの政策決定に大きな影響を与えた。普通の人びとの、日常的な行動(「敵」とみなす人びとへの社会戦争)が、次第にエスカレートして、国家の政策の選択肢を狭め、対外戦争をもたらし、その戦争がさらなる社会戦争を激化させる。このことを本書は強調するのである。つまり、日常的な人びとの争いの潮流が、国家レベルの争いを支える役割を果たしていたというのである。これまで、一般民衆の動向が国家の戦争政策を支えたとする、吉見義明氏に代表される「草の根ファシズム論」は有力な研究潮流として存在したが、本書はそこからもう一段と議論を進めたものと言える。  本書は、一九二〇年代を中心とした「解放の時代」(従来の「~らしさ」の強要に抵抗し、個人の価値を尊重する時代)が、三〇年代になると「草の根社会保守勢力」にその「解放」への反発・苛立ちが強まり「引締めの時代」になるとする。これが満州事変などの対外武力行使を支持する世論を形成するのだが、それはそうした対外侵略そのものへの支持というよりも「社会戦争」において「解放」を求める人びとを抑え込むためにはそうした状況が「社会戦争」を戦う人びとにとって都合が良かったからと見る。だが、日本社会における「社会戦争」は三〇年代に決着したわけではなく、日中戦争期においても「解放の時代」に生まれた社会運動や自由を謳歌する娯楽・文化は盛り返すほどの勢いを見せ、「草の根社会保守勢力」は戦いを強化する。そこで一九四〇年代は「戦いの時代」となる。欧米流のものはことごとく排撃され、多くの人びとが反英運動などの排外主義的な運動に参加するようになるが、そうした運動は「日本らしさ」を重視しないとみなされた国内の人びとへの強力な「社会戦争」として展開されることになる。欧米排斥の動きは、「日本らしさ」、断固たる決意と行動を示す「男らしさ」といった価値観をベースに社会に広がっていく。そして、そうやって作られた社会的な「空気」は、政治家や軍人たちに妥協的な政策や軍事行動を取らせにくくしていき、ついには対英米開戦にまで日本を押し流してしまうのである。  「社会戦争」という観点から歴史を見た場合、この「解放の時代」「引締めの時代」「戦いの時代」は概ね三〇年サイクルで繰返されていくというのが著者の見解である。そして、それらの「時代」は、特殊日本的なものでなく、ほぼ同時に世界中で起きていたことだと指摘している。  本書は、「社会戦争」という歴史を見る際の枠組みの問題で重要な新機軸を打ち出したことで特徴的であるが、歴史叙述の手法としてはむしろ極めてオーソドックスな一次資料に基づいた実証主義の立場をとっている。社会の「空気」を実証するというのは、決して簡単なことではない。しかも、普通の人びとの思いや行動が、国家の選択肢をも左右する結果となる、ということを示すのは、何段階もの実証のプロセスを踏まなければならない。それを膨大な一次資料、特に普通の人びとが記した日記類、手紙、投書、投稿された短歌・俳句、全国紙・地方紙、大衆雑誌やさまざまな団体の会報の類、右翼団体などの機関誌からさまざま「社会戦争」と戦う人びとの声・思い・叫びを、全国的に拾いあげる。この部分に多くの読者は圧倒されるであろう。もちろん、こうした声は、有名・無名の様々な階層の人びとからピックアップされており、実際にこの作業は果てしないものであるが、著者は、絶妙のバランス感覚でこの作業を進めている。こうした多数の声を土台に置いて、外交文書・政府文書、政治家・軍人・官僚・社会運動家らの日記・回想録など幅広い一次資料が駆使されて歴史叙述がなされている。資料の引用はかなりの長さになり、実に大部な著作であるが、決して飽きさせない。  本書は、「社会戦争」という枠組みを設定して価値観・秩序意識の相剋から歴史を読み解き、叙述したもので、この後の歴史学研究に大きな影響を与えるものであることは間違いない。「草の根社会保守勢力」は伝統的価値観への回帰を目指すものではあるが、その「伝統」とされるものも時代によって、あるいは対抗する潮流の影響もあり、変化していくものであろう。そういった点では、さらに広がり、深まりが期待できる研究だと思う。  また、著者は戦後においても「解放の時代」「引締めの時代」「戦いの時代」のサイクルは続いているとしている。そこでは、二〇一〇年代が「解放の時代」、二〇年代が「引締めの時代」としているが、三〇年代が「戦いの時代」となるのかどうか、本書は宿命論を説くものでは決してなく、私たちが歴史を考え、現在の私たちの生活や社会を考える上での大きなインスピレーションを与えてくれるものである。(やまだ・あきら=明治大学文学部教授・日本現代政治史・天皇制研究)  ★ますだ・はじむ=シンガポール国立大学准教授・日本近現代史・20世紀アジア史・アメリカ外交史。著書に『人びとのなかの冷戦世界』など。一九七五年生。

書籍

書籍名 人びとの社会戦争
ISBN13 9784000245623
ISBN10 4000245627