新・読書人WEB、友の会始動
鼎談=山本貴光×吉川浩満×大澤聡
四月一日より「読書人友の会」を立ち上げ、読書人WEBにて、創刊以来六四年間分の紙面バックナンバーの公開をスタートした。それを機に、文筆家の山本貴光氏、吉川浩満氏、批評家の大澤聡氏に、データベース活用についての作戦会議をお願いした。(編集部)
論壇・文壇の可視化機能
大澤 私は『批評メディア論』の第一章で、文壇はまだしも論壇に実態などなく、論壇時評こそが論壇を成立させているのだと書きました。今回、「週刊読書人」のデータベースを眺めながらあらためて気づかされたのは、書評紙もまた論壇や文壇を成立させてきたのだということです。ある時期以降の1、2面は基本的にインタビューや対談記事ですよね。そこに添えられた写真のビジュアルに訴える力は馬鹿にならなくて、誰が載っているのかが論壇を可視化させるようでした。今回、通覧こそかないませんでしたが、小さなサムネイルを、バーッとスクロールしていきながら実感したのはそのことです。そうか、ここに論壇や文壇があったんだなと。雑誌には1面という概念がなく、表紙に固有名が並んでいるだけです。だけれど、新聞の場合、表紙代わりの1面の顔写真が書店や図書館のラックで目をひきます。日刊紙の1面トップの大見出しに相当するものとして人物の顔が機能する。
吉川 論壇、文壇の風景の可視化とはまさにそうですね。これから検索機能が充実していくと、また別の使い方が可能になると思いますが、いまの状態でもすでに興味深いのが、ビューワーで六四年分の紙面そのものを見られることです。歴史や文化の研究者は、新刊案内の広告まで、記事以外の部分も貴重な情報として扱うでしょう。「ALL REVIEWS」のような書評データベースとは違う、メディアとしての書評紙研究が可能になると思います。紙面そのものがあることで、論壇、文壇の風景の可視化はもとより、出版業界の風景、時代性の可視化もできるのではないかと。
山本 大澤さんの専門ではありますが、私も書評の歴史が気になって調べていました。有名なところでは、ヴァージニア・ウルフは一九三九年のエッセイの中で、書評と批評を明確に分けているんですよね。書評とはもっぱら新刊書について書くものである。一方、批評とは新しいかどうかではなく、価値のあるものに注意を向けるものだと。ウルフに限らず、欧米方面では、書評と批評を明確に区別することがままあるように感じます。
そういう目で見ると「読書人」には、書評と批評が混在している。書評紙ですが、新しい本の話ばかりをしているわけではないことが、ひとつの特徴です。
吉川 面白かったのは、昭和三三(一九五八)年の創刊号1面に「批評のない国」という佐藤春夫の文章があったこと。「読者の批評精神を刺激するのが好ましい書評だ」とか。とてもいいですよね。
大澤 創刊してすぐに政治の季節に入るわけですが、そんな中で書評紙はオピニオン紙としても機能します。その時々の政治的な意見や批評、事件に関する検証を週刊ペースで届けるメディアとしても存在感を発揮しました。創刊当初の1面は新刊本のインタビューではない場合の方が多かった。それが新刊本のインタビューや対談にシフトしていくのはいつなのかについて今回は追跡できませんでしたが、このあたりも考えてみる必要があります。
それから、吉川さんが挙げてくれた創刊号の文章が物語っているように、媒体の性質上、「読書とは何か」「批評とは何か」といった特集が1面で定期的に組まれます。私は一九六三年に花田清輝が「批評」について書いている記事に目を止めました。それにしても、これほどまでに「読書」や「批評」をキーワードにするメディアも珍しい。そういった観点から通覧していくのも面白そうですね。他のメディアの通覧ではすぐにはできない読書観や批評観の変遷の抽出が可能になる。たとえ「読書」や「批評」という単語が見出しに含まれていなくても、読書論や批評論になっている記事は無数にありますから、これからの改良作業で上手にタグ付けしてもらえるとありがたいです。属人的な解釈が入ってしまうから危険なところでもあるんですが。
山本 それと、ひとつうれしかったのは、一九五〇年代の紙面に、「文学芸術」「社会科学」と同列に「自然科学」の書評欄があったことです。二〇世紀前半や戦後ほどなくの書評紙誌が、国会図書館デジタルコレクションのおかげで、見られるようになっていますが、それらにもやはり、いまでいう自然科学や機械工学といった理系の本の書評が載っているんです。最近は大新聞をはじめ、その手の本は取り上げられることが少ないのですが、物理や生物学、数学の本の書評が載っているのはいいことだと思います。これも時代ごとの批評的なものの位置を示すものかもしれませんし、文系と理系とが分かれていく経過が、紙面上で追跡できるかもしれません。
大澤 戦前の日刊紙の学芸欄や文化面を通覧していると、唯物論ブームや戦争との関係もありますが、自然科学関連のコーナーがどんどん大きくなっていく様子がはっきりと見て取れます。学芸欄が盛り上がっていた最中の一九三七年に「日本読書新聞」が創刊されるんですが、まさに日刊紙の学芸欄を独立したようなメディアで、そこでもやはり自然科学のコーナーは大きな一角を占めています。人文系の書き手が自然科学にアプローチしていたのも重要です。夏目漱石がはじめた「文芸欄」の系譜だけでない、自然科学をも包摂するような場として文芸欄を捉え直したい。その意味では、学説史や学問史だけでは見えてこない、日本の学芸ジャーナリズムの輪郭を再考するのに、「読書新聞」や「読書人」のような媒体のバックナンバーは貴重なサンプルです。
山本 他の専門的な媒体や文芸誌では見えない、当時の書物や「読書」を中心とした、価値形成のなされ方が浮かび上がってくるんですよね。現代の私たちはさらにごちゃごちゃした中にいるので、いま現在の学術や出版界を、改めて考え直す手がかりも、与えてもらえる気がします。
書評紙の独特の位置
大澤 自然科学と人文科学の乖離の時代を経て、さらにそれを融合させる仕事を吉川さんと山本さんはしてこられたわけですが、二〇〇四年には本紙の「ニュー・エイジ登場」というコーナーに初登場していますね。当時読んだ記憶があります。現段階では、この手の記事も検索ではヒットしないんですが。
山本 よく覚えてますね!
大澤 このコーナーは開設当初まだ院生だった東浩紀さんも出ていたりと、その後各方面で活躍する書き手の若き日を知ることができる、意外と貴重な欄です。みんな写真も若い(笑)。なにより、若さゆえでしょう、他所であまり話さないエピソードが飛び出します。お二人は最初の本『心脳問題』が出た直後の登場ですが、いま読み直してみると、これから書く予定の本のタイトルが七、八作ずらずらと列挙されている。
山本 覚えてる?
吉川 覚えてない。
大澤 本人たちも覚えていないものがアーカイブには詰まっている(笑)。これから書かれる可能性は否定できませんが、いまのところそのリストは「未刊行図書目録」に終わっているものも少なくない。なにより、お二人の野望が垣間見えてほほえましいです。
「読書人」にはそんなふうに出版企画のハブになったり、新人をフックアップしたりする機能も備わっていたんですよね。いま挙げた「ニュー・エイジ登場」に限らず、書評や文芸時評や論壇時評の書き手に、まだ無名の若手を実験的に登用するなど、リクルーティング機能も果たしている。
山本 それは週刊新聞の特質でもあるのでしょうね。週刊の新聞というメディアだからこそ、そこまでハードルが高くなく、新人を登場させてみることができる。一回出してみて何かに繫がればいいし、一回きりで退場しても構わない。そういう舞台は、いまはウエブに移りつつあるのかもしれませんが。
週刊の書評紙は、月刊誌とも書籍とも違う器なんですよね。意外なところで意外な人が物を書いていたり、他のメディアではなかなかトレースし難い痕跡が残っている。
吉川 書評紙の独特の位置については私も思うところがあるんですが、日本のいわゆる大新聞の書評欄って変じゃない? 書評の文字数がすごく少なくて、これで何が書けるのかと、いつも思うんです。話題の本を一般読者のアンテナに引っかかるように紹介する、という機能は果たしていて、それもひとつの価値だけど、本についてきちんと評するのは、とても無理な字数です。The New York Review of Booksの一万字書評とまではいかないにしても、書評にはできればたくさん文字数が欲しい。ある程度の文字数で書かれた書評が読みたいし、普通に書評を書こうと思ったらそうなると思うんです。「読書人」や「図書新聞」には、そうした本来の書評を掲載する機能があって、ただその書評のあり方は、日本では傍流にあるということも、独特ですよね。
山本 書評がいつからあるのか、これにはいろいろな捉え方がありますが、ヨーロッパでは一六六五年に、フランスとイギリスで立て続けに学術雑誌が誕生しています。フランスではJournal des Savantsという雑誌が、それからちょっと遅れてイギリスでは、王立協会の機関誌としてPhilosophicalTrans―actionsが出ています。特に前者のJournal des Savantsは、著述家のドニ・ド・サロという人が、自分用に書いていた読書メモを公開しはじめたものです。
その当時の書評の働きとはどのようだったかというと、いまと出版状況は違うとはいえ、それでもどんどん本が出るようになって、本の情報を追うことができない。それで、まずは本の存在を知りたい。そしてそれは読むべき本なのか、その価値を知りたいと。書評が、大きくいうとその二点を共有する、情報のフィルターの役割を果たしていた。
そうした書評の基本に戻って考えたとき、本のフィルタリング機能として、「読書人」のバックナンバーを見て感じることはありましたか。
吉川 私は年末の「今年の収穫アンケート」を、毎年楽しみにしているんです。あれはいつ頃始まった企画なんでしょうね。大新聞にも同じような企画がありますが、「読書人」はより様々な分野の人が執筆しているので、面白いんですよね。
山本 その一年間、それぞれの執筆者がたくさん読んだ本の中からえりすぐった、選書の中の選書だけに、情報の価値も高いですよね。「月刊みすず」や同誌のウエブへの移行後には単独で発行されている、新春の読書アンケートにも、やはり同じ楽しさがありました。
論争を走らせるのも書評誌の役割のひとつ
大澤 経年のアンケートのデータの蓄積も財産ですよね。一九五〇年代、六〇年代どころか、出版が起こった明治期からすでに「出版洪水」という単語が使われています。洪水は灌漑施設を整備して水路づけする必要があります。だから、交通整理することに特化した雑誌や月報のようなメディアが、明治期にどんどん登場出てくるようになる。
先ほど山本さんが触れたウルフの話は、豊﨑由美さんの『ニッポンの書評』の巻末対談で私も触れた記憶があるんですが、そのときも補足したように、戸坂潤はウルフとは反対に批評の基本はブックレビューなのだと強調しています。それで『唯物論研究』はブックレビュー欄が分厚い。ちなみに、同時代の小林秀雄らの『文學界』もそうです。現代では書物を介さず、現実について自分の意見を発信することがインターネットによって可能になっていますが、かつては間に出版を挟む以外に方法がなかった。書物について書評することで論争が可能になったわけですね。書物を介して理論が作られていく。そのことへの圧倒的な信頼というか不可避性が、かつての書き手たちにはあったのでしょう。
書評する行為と、批評する行為と、社会に物申す行為とが混然一体となっていたのが、いつから切り分けられ、棲み分けられるようになったのか。このことは山本さんや吉川さんの関心である、学問ジャンルの生成過程の問題とも重なるとところです。
書評紙なんだから有益な新刊情報や書評だけ読ませろ、という読者のニーズに媒体側が応えていく中で、メディアの存在意義を過剰に内面化するサイクルに入っていってしまったのかもしれません。学生運動の時代に刻々と変化する状況とそれに関するオピニオンを拡散していく上で書評紙の果たした役割はとてつもなく大きかったわけですが、分量的に日刊紙に載せられず、月刊誌だと鮮度が落ちてしまうようなネタを、かつての「読書人」のような媒体が週刊という適度なぺースとスペースで載せていきました。つくづく特異なメディアですよね。
吉川 先日、山本くんと収録したYouTubeのテーマが「ジル・ドゥルーズ生誕一〇〇周年記念」だったので、そういえば「読書人」にもドゥルーズの本の書評はたくさん出ていたと思って検索してみたんです。そうしたら、翻訳にものすごく文句をつけている書評が出てきました。出たばかりの新刊なのに、ぜひに改訳を希望すると(笑)。そういう批判も大新聞の書評にはないので、健全だなと思いながら読みました。
山本 私も「書評」という言葉で検索をかけたら、全く予期してなかったのですが、「○○氏の書評に反論する」という、書評を書かれた人が書評した人に物申す記事が出てきたんです。五〇~六〇年代の書評は、紙面でバトルしていたのだということが見えてきて、ではいつから書評の中で批評や議論をしなくなってしまったんだろうと。かつての書評は、歯に衣着せぬ、率直なやりとりがいいんですよね。無駄に喧嘩する必要はないけれど、吉川くんの話のように、翻訳がまずいと思ったら、それはやはり指摘した方がいい。
大澤 いまは商業ジャーナリズムでは書評がパブ(宣伝)としてしか認識されていません。褒め評以外はほとんど存在できない構造になっている。そんな中、書評紙にはまだかろうじて批判評の伝統が生存している。
喧嘩という話で言うと、論争の交通整理をするのも書評紙の役割のひとつでした。後の時代の「××論争史」が見落とすような関連記事がじつは「読書人」などにはたくさん含まれている。それからお二人の言うように、書評や時評での言及に物申す系の反論文やさらにそれへの再反論といったかたちで、同じ「読書人」紙上で小競り合いが展開されることはつい最近までよくありました。これは編集者の腕の見せ所で、反論文を載せる度量が場を成り立たせていたんですよね。
僕が学生の頃にマルクス研究の的場昭弘さんが時評で思想史研究の米谷匡史さんの論文をとりあげて、数ラリー交わされるという論争があったのを覚えています。時評の場合、スペースの都合で個々の対象への言及がどうしても言葉足らずになってしまう。
こういうやりとりにも書評紙は場所を提供していて、あとの時代の人間はそれをトレースすることができる。ですが、いまはSNSでダイレクトにやってしまいますから……。私たちは週刊の媒体の発行のペースすら待てない人間になってしまった。ですから、環境的には、ネットが論争を消したと言うことができるでしょうね。
もちろん、もうひとつには、編集者のコンプラ意識やサラリーマン意識が強くなった結果、論争を周到に回避するようにもなっています。面倒は勘弁というわけです。ですが、昔の編集者はむしろ自分から論争を仕掛けていたところがある。編集者は一般的には黒子ですが、実際にはプレイヤーとして、この出版界というサークルの当事者意識をもっていたわけでしょう。
「読書人」を通覧してみるとわかるとおり、九〇年代半ばには、そうしたサークルも急速に消滅していきます。文人気質がジャーナリズムから抜け落ちて、書き手全般が学者っぽくなっていく。一九八〇年代の知のポップ化の反動で九〇年代にはマジメ化が進行したことも原因のひとつです。
山本 かつてと同じかたちでは望むべくもないけれど、論争はあるべきだと思いますか。
大澤 当事者としてはストレスでしかないでしょうけど、論争が理論的なものを前進させた歴史があったことは確かです。むかし、谷沢永一に『論争必勝法』という本がありましたが、論争の「作法」のような不文律がもはや理解されなくなって、その結果、論争のていをなさないのでしょうね。
山本 専門の分化が進んで、一人一人の守備範囲が狭く深くなっていることで、摩擦の生じる可能性が減っているということもあると思います。かつては博学者というような人々が多くいたので、いまよりすれ違ったりぶつかったりする確率が高かった。そこで、より真理に近づくための論争が、紙上でも盛り上がった。互いの守備範囲が小さくなると、ぶつかることがなくなり、お互いのチェックが働かない状態になっていくのだろうと。それは懸念点です。
吉川 どうしたらいいんでしょうね。大澤さんの話では、論争が成り立ちにくいメディア環境になっていると。それは、運営する側のコンプライアンス意識もあるし、メディアそのものが論争に向かないものになってもいる。何かあったら一瞬で沸点に達してしまうようなメディアが、いまはメインになっているということですよね。
週刊の書評紙には、沸点に達して四散してしまうことのない、論争が成り立つちょうどよさがあった。そのことが過去の「読書人」を読むとわかります。
論争のおかげでかたち作られるものがある。そうであれば、論争がある程度可能になるようなメディア環境が必要に思えますが、さてどうしたらいいのか。
本を間に挟んだコミュニケーションが生きる場
山本 ひとつは、大澤さんもよく登壇されている「ゲンロンカフェ」のような、異分野の人どうしがリアルタイムで集まって、直接論を戦わせるという方向ですよね。
あるいは一瞬の爆発で終わらずにとろ火の論争が中期間的に続くようなやりとりは、どういうトピックでならあり得るのかを考えてみる、というのはどうでしょうか。
アカデミアならアカデミアの、政治の現場なら政治の現場の、専門に分割された場でもいいので、その中で中長期的に考えられている論点を、紙面に再投入するという手はあるかもしれません。
大澤 「とろ火」はいいメタファーですね。必要なのは、うっかりしたことを言える場所なのではないでしょうか。「読書人」だからこそ漏らされた発言をインタビューから拾うことができます。案外それが重要だったりする。聞き手の技量やその人との関係性にもよるのだと思いますが、他所では話していない証言などをたくさん読めます。学会のレビューだと、じっくり準備して、間違いないお行儀のいいものになりがちだし、それはそれで生産的なのだけれど、週刊ペースの「読書人」だからこそ、生煮えの論を投入してみたり、実験的なスタイルの書評で遊んでみたりが可能になる。書き手の側にもサークル感のようなものがゆるく共有されているから、ポロッと書いてしまう。そのゆるさは場を成り立たせるために重要なもの。
山本 書評のスタイルは可能性や余地を含む、多彩な遊びがあっていいと、それを許容している媒体だというわけですよね。
さきほど吉川くんがドゥルーズの書評を調べたと言ったけど、実は私も全く同じ検索をかけて、蓮實重彥さんが訳した『マゾッホとサド』の書評を、詩人の天沢退二郎が書いているのを見ました。前半はほとんど自分の話(笑)。でもそれはけして無価値な書評ではなかったと、読んでいると思うんですよね。
大澤 たとえば××××さんの書評などはいまの若い人が読むと激辛口で、なんでこんなひどいことを書くんだと思うだろうけど、コンテクストがわかれば愛の表現だとも読める。
こうした手触りをどう伝えればいいのか。言語化が本当に難しい。そんなもの全部なくなってしまえという意見もあるだろうけど。せめて物書き志望や大学院生には今回のアーカイブ公開を機に「読書人」の通覧、とまでは言わないからぱらぱらと見て、いまでは失われた言論界の雰囲気や、理論の育てられ方を追体験してみてほしい。そのためのツールとしても有益です。
先ほどの大手新聞の字数問題にも通じますが、一般的な書評へは、ポイントをコンパクトに整理してほしいという要望があると思います。ネットにありがちなあらすじ紹介ですね。だけれど、ポイント整理ではない書評だからこそ、響くものがありもすれば、論争の種にもなるわけで、そこにはやはり本を介在した生産的なコミュニケーションがあったんだと思います。そのコミュニケーションを1面から8面にわたって、手を変え品を変え焚きつけてきたのが書評紙でした。
宝の山の使い方
山本 データベースやアーカイブとは、何らかの問題・関心をもっている専門家にとっては宝の山です。逆に言うと、検索フォームに好きにワードを入れて、面白く活用できるのは、研究者や物書きのような人で、一般読者はデジタルアーカイブがネット上にたくさんあっても、利用する取っ掛かりが見つけにくいという問題があると思うんです。一般の読者にも多様に使ってもらえるようにするにはデータの山に対して、何らかの取っ掛かりを作っておく必要があると思います。ガイドしすぎてもよくないですが。
たとえばデジタルアーカイブの上に、データと利用者の間を取りもつインターフェイスとして、こういうフィルターの掛け方がありますよ、というような事例があるといいですよね。この時代には、吉本隆明がともかくいっぱい出てくるとか、大江健三郎がたびたび登場するとか、そうした大きな流れを感じられるようなフィルターをいくつか設定すると、探索する楽しさを知ることができるのではないかと。
大澤さんの検索した履歴を残しておいて、使用例を追体験できるようなものも面白いかもしれない。
先ほどの自然科学の書評欄についても、この当時は、唯物論的なマルクス主義も含めた思想潮流が盛り上がっていて、マテリアリズムは自然科学とも非常に近しいものであった、というような時代の文脈が添えられるだけで、データベースを散策する手がかりが増えると思うんです。
吉川 無責任な発言ですが、「読書人」のアーカイブを見ていくと、論争の空気や論壇の雰囲気を感じたり、あるいは一風変わった書評が読める。単純に読み物として面白いですよね。あと、我々くらいの年代だと、アーカイブを見ても業界の衰退や縮小のことばかり考えてしまいがちなところがありますが、若い人は出発点が違うから、このアーカイブを見て、我々とは全く違う可能性を見出してくれるかもしれません。
大澤 アーカイブとセットで使用例を提示するのは鉄則です。例えば、データベースを使った架空のアンソロジーをユーザーに編んでもらうというのはどうでしょう。吉川さんの言うように思いもよらない観点からのキュレーションが出てくるかもしれない。とりあえずのものでいいので、何かしらの目的意識をもってデータベースを使ってみることが重要です。十年くらい前に「読書人」に文字化してもらった山本さんとのトークイベントでは、オリジナルの索引を作ることの効用の話で盛り上がりました。あれはようするに漫然と本を読んだり、サービスを利用したりするだけでは集中がとぎれがちだから、何でも構わないからミッションを自分に課すといいよという観覧者へのアドバイスのつもりでした。作業やゲームをひとつかませるだけで対象の見え方が全く違ってくる。
吉川 このデータベースにはすでに「お気に入りブックマーク」の機能があるけれど、今後それをSpotifyのプレイリストのように、共有できる仕組みができたらいいと思う。実際の紙面を共有するのではなく、リンクだけだから、著作権的にも問題ないですし。
山本 いいね、プレイリスト。「大澤聡のこんな発言リスト」とかタイトルをつけたりしてね。音楽を作れなくても、楽器が弾けなくても、好きな曲を並べたリストを作ることで創意を発揮できる。同じように、読書人データベースのリストも、作って共有してもらうというのは、とてもいいアイデアですね。
吉川 サブスクの音楽メディア配信みたいに、ノリで作れるようになったら面白い。
大澤 ブログを使って、坪内祐三リストとか絓秀実リストとかを作成して、公開している人がいるんですが、けっこう有用です。いろいろな媒体に当って、見出しを抜き出して、書誌を編む行為を楽しんでいる人は結構いる。もう一段踏み込んで、自分なりのアンソロジーを作ったら、それだけでも編集的な批評性になると思う。オープンからしばらくは「友の会」の人たちに、試行版へのダメ出しをどんどんやってもらって、それと同時に、お二人の言うような、ひとり架空編集会議みたいなことをやってもらうのもいい。何か新しい企画が本当に生まれるかもしれない。
データベースから討議を始める
山本 アーカイブの年代を区切って、「〇〇年代、前半/後半はどんな時代だったのか」を話してもらう機会を設けて、その記事をアーカイブの入口案内のひとつにするのもいいかもしれません。
大澤 資料共有がやりやすくなったので、これをきっかけとした共同討議の実施は、私も提案しようと思っていました。思想や文芸の流れを再確認しつつ、同時に「読書人」というメディアの果たしてきた意義を自己検証する。その過程で、最初に吉川さんが言った広告など論説以外の情報も自然と目に入ってくるし、当時は何でもないものが時の経過によって価値をもつということにも気づける。今回のデータベースを使って何ができるかを考えること自体、そのまま「書評とは何か」「書評紙とは何か」の再検討にもなると思います。
ところで、今回のデータベースには朝日新聞や読売新聞のデータベースと同じく切り抜き機能があるでしょう。マーカーで囲むと切り取れる。昔、ゲームボーイに「クイックス」というソフトがあったんですが、あれを思いだしました。実際にはさみで紙の新聞を切る感覚に近いこの操作性の高さはちょっと珍しいんじゃないでしょうか。
山本 私も見たことないですね。The Times Literary Supplementの二〇一五年以前のデジタル版は、記事を選ぶと、自動で切り抜かれたものが画面に出るので楽ですけど、「読書人」の方は、切り抜いている感覚の面白さがありますよね。
大澤 院生のとき図書館でブランケット版の合本を使って「読書人」を通覧しました。残しておきたいものをどんどんコピー機にかけるわけですが、雑誌と違って版が大きい製本だから扱いが難しくて、毎回、破れるんじゃないかとひやひやしたものです。今回のデータベースではそれが家にいながらにしてネット上でやれてしまう。図書館員の冷たい視線を気にしながらがんばっていた当時の自分が知ったら、どう思うだろう。
スクラップブックをアーカイブ内でアレンジしたり、回し読みや共有ができたりするデザインが実装されたら、愉快でしょうね。いまの時代、ユーザージェネレイティッドなサービス設計は不可欠です。使いたくなるようなオプションを組み込む。
山本 同感です。ユーザーが自分の使い方を人に見せたくなったり、同好の人と繫がりたいと思ったりする、ソフトなソーシャルネットワーキングの仕組みがあるといいですよね。同じテーマを面白がる人たちが集まって議論したり、発見を報告し合ったりすると、雑誌メディアの初期に似た状態が生まれてくる気がします。「読書人」の記事の集積を間に挟んで、それを肴におしゃべりする、そういう場が作れたら、使い方も自ずと発見されていくだろうと。
いろいろ話してきましたが、具体的にこれからこのデータベースで何をしますか。
私は単純ですが、創刊号を前から順番に全部読んでみます。順番に読みながらインデックスを作って、書き込みもしたくなるはずです。そういう機能があればうれしいけれど、とりあえずは、スクリーンショットを撮りながらそこに書き込んで、書き込んだものをリンクしていくと思う。「頭から読むプロジェクト」です。
吉川 月並みではありますが、新しい年から「今年の収穫」を遡っていって、読み忘れた本を見つけたいと思います。
山本 いいですね。「収穫を収穫するプロジェクト」。
吉川 気にかけていたのに、すっかり忘れている本が結構あって。それが見つかりそうな気がします。
大澤 私は全部読む作業はアナログで一度やってしまったので、単行本未収録記事をあらためて発掘したり、本になりそうなアンソロジーを考えたりして、編集者を焚きつけますかね(笑)。まぁ、研究者たちはハイエナみたいなところがあるから、ほっておいても勝手にわっと群がって食いつくしますよ。雑誌の翻刻や新聞のデータベースが出るたびに見られた光景です。ですから、やっぱり研究者や編集者ではなく、一般のユーザーがどれだけ使ってくれるか、使いたくなるかがポイントでしょうね。
一九九四年十一月に中沢新一と岡崎京子が対談した記事があったけど、ああいった時代を象徴する対談が埋まっているのもいい。だから大宅壮一文庫の目録をブラウジングするみたいに、とりあえずパラパラと1面だけでも流し見して、興味をそそられたものからなんとなく読むのでもいい。他所では見たことがない、著名人の写真を発掘するのでもいい。
今回のデータベースはこの業界のひとつの財産です。今日もそういう話になりましたが、これをどう活用していくのがもっとも有効か、その手のことを考える役回りなのでしょうね。アーカイブの活用方法も含めて、言語化できない感覚を次の時代の人に手渡すにはどうすればよいのか、みんなでいっしょに考えられるといい。
吉川 そうですね。
山本 そうしましょう。(おわり)