今はない世界のこと
I・J・シンガー著
篠 直樹
人間が抱える記憶の曖昧さ、扱いづらさについての一文からはじまる『今はない世界のこと』は、ユダヤ系作家・ジャーナリスト、イスラエル・ジョシュア・シンガーによるメモワール[回想録]である。「ユダヤ系作家」、「シンガー」と聞き、イディッシュ語[主にロシア・東欧のユダヤ人が使用した言語]作家として初めてノーベル賞をうけたアイザック・バシェヴィス・シンガーが頭に浮かぶかもしれない。そう、本作の作者であり語り手、I・J・シンガーはアイザックの兄であり、訳者によれば、もともとユダヤ人読者の間では文筆家として、知名度も評価も兄ジョシュアの方がはるかに高かったそうだ。ジョシュア・シンガーが語るのは、彼が少年時代を過ごしたポーランドのユダヤ共同体シュテットルにおける生活だ――「今はない世界」とはホロコーストによって壊滅させられた東欧のユダヤ文化そのものである。
舞台の大半は、ワルシャワ近郊の「ちっぽけな共同体」レオンチンであり、そこは町というよりも「村と呼んだ方がよかった」という。シンガー一家は、父ピンハス・メンデルがラビ[ユダヤの律法学者]として彼の地に赴任することから、生活をはじめた。敬虔なハシド[ユダヤ神秘主義者]の父は金銭的なことには無頓着な夢想家であり、母バスシェヴァはより実際的で理性的だ。当時を思い返すシンガーの胸中には、両親の対照的な性質、敬虔さと実際性に対して複雑な想いがあるようだ。父母に対する心的距離――愛着対象へのアンビバレンス――が彼のジャーナリスティックな観察眼を育んだのかもしれない。
村全体の様子や周囲の自然を鮮やかに描きつつ、シンガーの記憶が辿るのは村で関わった人々の姿だ。言及される人々は数えきれないほどで、彼らの「名」を結び目として、関連人物は網の目のようにひろがっていく。ラビ、職人、農民、主婦や子どもはもちろんのこと、「奇矯な風体の人」、「物乞い」、「障害者」たちもまた、村で生活を送る。もちろん、貧富の差はあるし、女性は抑圧されている。だがそれでも、シュテットルという周縁的共同体の内部で周縁的存在が不可視化されない点、彼らが互いに(程度の差はあれ)慈しみの精神を抱く点は注目に値する。「ぼく」という少年の目線を通して、読者はイディッシュ文化という(日本人にとってはとりわけ)「遠い」他者と遭遇するのだ。あるいは、遠ければこそ想像力は強く駆動され、精密かつ写実的に描写されたレオンチンが現前するかのような瞬間があるかもしれない。シンガー少年が「人々や動物や生あるところを恋焦がれ」、友人と野原を走り回るとき、読者もまた子ども時代を「思い出す」にちがいない。
東欧のユダヤ人は長らく、ポグロム[当時頻発したキリスト教徒による組織的暴力]に曝されてきた。本作においても、彼らはいわれない中傷や迷信の対象となる。また、物語が進むにつれて世界は日露戦争やロシア革命という混迷の歴史へ突入していく。時代は不穏となり、暴力は日常化し、「完全な絶望の気分が共同体を包み込」む。そして、作中語られることのない二つの大戦が、ホロコーストが迫り――シュテットルは文字通り消滅する。眼前の、共同体における素朴ながらも豊かな生は徹底的に破壊されるのだ。こうした過去の不在は、「現在のなくなりつつある世界」を、蹂躙される人々の姿を照らし出すだろう。「空想より実利を」、「目の前のことを」と喧伝される現代にあって、そうした「リアリズム」を乗り越える方法とは、シンガーが活写するような「遠い他者」への想像力ではないだろうか。中東情勢――とりわけガザの人々に思いを馳せるとき、私には本書がそうした読みを要請しているように思えてならない。(大崎ふみ子訳)(しの・なおき=関西外国語大学助教・ユダヤ系アメリカ文学・文化理論)
★イスラエル・ジョシュア・シンガー(一八九三―一九四四)=作家・ジャーナリスト。ロシア領ポーランドのユダヤ人町でラビの息子として生まれる。一九三四年以降はニューヨークに定住し、イディッシュ新聞『フォルヴェルツ』に『アシュケナジー兄弟』等の長篇小説を発表。
書籍
| 書籍名 | 今はない世界のこと |
| ISBN13 | 9784896427714 |
