百人一瞬
小林康夫
第100回 安藤忠雄(一九四一― )
「一瞬」とはたんなる瞬間ではなく「モーメント」、他者との交差的出会いの〈刻〉、そしてそれはまた、回帰する〈刻〉でもある。ならば、この連載も最終回、わたしもちょっと「回帰」をplayしてみようか……と遊び心が動いたか、長年理事をつとめさせていただいている三宅一生デザイン文化財団に無理を言って、昨年の春、東京渋谷区で竣工した、安藤忠雄さん設計のMDS―3という建築を見学させてもらうことにした(去年は海外にいて見学会に参加できなかったのだ)。
道路に沿った三階建てのコンクリート打ちっぱなしの壁。その壁に大きく三角のスリットが入っている。中を案内してもらうと、ああ、懐かしい!まさにTadao-Andou空間。わたしの記憶のスクリーンには、九四年だったか、はじめて建築について文章を書くために大阪の「光の教会」を訪れたときの時間が回帰してきた。あのとき、わたしは、教会らしい正面の十字架のスリットのほうではなく、「教会堂の右手の壁に大きく開けられた開口部から差し込んでくる光の不思議な優しさ」について感動を書いていた(拙著『建築のポエティクス』、彰国社)。それと同じく、ここでもコンクリートのハードな構築に三角のスリットを通して差し込む外の光の不思議な優しさ・懐かしさを感覚したのだった。
最上階の回廊のような空間の壁に一生さんの写真が掲げられていた。その前に立って暫時、一生さんを偲ぶ(そう、本連載第一回は一生さんだった!)。するとわたしのスクリーンに浮かびあがるのが、一生さんと安藤さんが並んで茶を喫している姿、場所は利休の「待庵」……⁈
安藤さんは一九九七年に東京大学工学部の教授となった。それなら、とわたしはすぐに駒場キャンパス(教養学部)にお招きして講演をしてもらった。さらに、旅のついでに国内また海外の安藤さん設計の建築を見て回ったりもした。そう思えば、――(自覚はなかったが)――安藤さんは、一生さんと並んで、わたしが(わずかにしても)「追っかけ」をした人だったのかもしれない。
二〇〇三年、安藤さんは東大を退職する。その退職パーティーにわたしも参加。そして前回、語ったようにその頃「茶」に目覚めたわたし、無謀にも安藤さんに、「利休の待庵を模した〈ベニヤの茶室〉をお作りですよね? 茶室なんだから、わたしに茶会をやらせてもらえませんか?」と頼んだのだった。
安藤さんは「いいよ」と快諾。では誰をお正客に?となって、やはり安藤さんの親友の一生さんとなる。一生さんにきいてみると、こちらも快諾で大阪まで来てくださる、と。早速、わが「茶の師」である太田達さん(前回参照)に連絡したら、太田さんは釜師の十六代大西清右衛門さんをはじめとする最強・京都〈茶会〉チームを結成してくれた。
太田さんはこの時も、わざわざ伏見の栄春寺から利休の「消息」のお軸を借り出してくれて、ベニヤなれど「待庵」! 京の茶人一同、身が引き締まる。
一生さんは、にこやかに微笑みながら、「このために袴をデザインした」と軽いしなやかな袴で登場。そこに近くの事務所から安藤さんが「ここは所員の宿泊場所や」と言いながらやって来たのだが、その頭には、なんと阪神タイガースのキャップがのっていた。
なるほど、〈ベニヤの茶会〉だ!……と「利休」も脱帽!したかどうかはわからないが、仕掛けたわたしには、忘れられない「一期一会」。いまでも、わたしのスクリーンには、二畳のベニヤの「待庵」、外から差し込む光のなかに坐す阪神タイガースのキャップが見えるのだ。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)
