2025/04/04号

「自由通商運動」とその時代

「自由通商運動」とその時代 瀧口 剛著 中村 宗悦  2025年1月20日、ドナルド・トランプ氏がアメリカの第47代大統領に就任した。そして、2月以降、関税措置発動を手札にして駆け引きを繰り返している。戦後の世界経済秩序は、第二次世界大戦を招いた一因としてのブロック経済化、持てる国と持たざる国の分断等があったことを踏まえ、アメリカが主導しながら自由貿易体制を拡大維持してきた。そして、グローバル経済化が進む中で古典的な関税政策自体の意義は後退してきた。その意味でトランプ大統領の駆け引きは時代錯誤だ。  しかし、本書が分析の対象としている第一次世界大戦後から第二次世界大戦終結までの時期は、まさに関税引き下げによって自由通商を求める動きと関税引き上げによって国内産業を育成・維持していこうとする動き、ひいては自給自足的勢力圏を作っていこうとする動きがせめぎ合っていた時代であった。本書は、この時代にあって自由通商推進の側に立って運動の主役を担った大阪財界とそこでリーダーシップを発揮した実業家・教育者・政治家の平生釟三郎(1866―1945)の思想と行動を中心に「自由通商運動」の分析をおこない、運動がもった射程と限界を明らかにしている。  「自由通商運動」の契機となったのは1927年にジュネーブで開かれた初の世界経済に関する国際会議であった。この会議には米ソを含めた50ヵ国、194名の各国代表、さらに150名の専門委員が参加し、日本からも志立鉄次郎や上田貞次郎ら「自由通商運動」の中心的人物も参加した。この会議の成果を受け、翌1928年に創設された自由通商協会は、機関誌『自由通商』を発行すると同時に、関税引き下げ運動などを通じて政府や関係省庁に働きかけていった。協会は、学者、ジャーナリスト、政治家、官僚などをメンバーに含む組織であり、かつ全国各地に支部を形成したが、とくに平生や村田省蔵などに率いられた大阪支部の活動が盛んであり、その中心的な位置にあった。大阪は、東京と比較して多様な産業基盤をもつ工業都市であると同時にアジア地域との通商関係が深いという性格をもっていたため、「自由通商運動」の支持基盤となったのである。東京での動きだけを見ていては見えにくい運動の実態を大阪から見直すことでこの時代の政治経済史を描出しようとしたことが、本書の特徴的な点である。  中央との関係で言えば、1920年代後半の政党内閣と協調外交の時代に井上準之助蔵相がこの協会の運動を積極的に支持していた。第二章、第三章では産業合理化運動との関係も含めて詳細な分析が加えられている。また補論一、二として収録されている武藤山治の実業同志会との関係や大阪帝国大学設置に関する大阪財界と民政党内閣との関係に関する分析も同時期の複雑な政治経済史を理解する上で重要である。  一般的には満洲事変以後、経済統制も強化されていき、やがて日中戦争が勃発すると本格的な戦時統制経済の時代が始まり、自由通商運動は衰退していったと考えられている。しかし、本書は通説的な理解とは異なり、経済統制が強化され対外通商摩擦が激化するという状況においても、協会が通商自由の原則を曲げなかったことを強調する。もちろん財界側の利害関係も常に一様であったわけではないし、論者によっても違いはあった。しかし、世界大恐慌や満洲事変を契機に自由通商が隘路に立たされていく時期、自由通商協会は2国間交渉による通商摩擦の調整と相互協定締結に貿易拡大の可能性を見いだそうとしていった。本書はそこに「自由通商運動」の連続性を見ている。現在でも世界的な自由通商を目指すWTOの枠組みが揺らぐ中、自由貿易協定(FTA)や経済連携協定(EPA)がそれを代替する枠組みとして現れている。そして、これら代替的枠組みが新たなブロック経済化をもたらすという批判もある。現代のこうした状況と当時の相互協定実現による自由通商維持の試みという経験とを重ね合わせて見ることも可能であろう。  ジュネーブ国際経済会議を発端とした日本における「自由通商運動」の展開を明らかにした本書の問題意識は、最近注目を集めている世界的なネオリベラリズムの思想的系譜をテーマとしたクィン・スロボディアンらの議論(『グローバリスト帝国の終焉とネオリベラリズムの誕生』白水社、2024年)とも通じる面があり、今後、国際的な議論の深化に期待したい。(なかむら・むねよし=大東文化大学教授・近現代日本経済史・日本経済思想史)  ★たきぐち・つよし=大阪大学名誉教授・日本政治史。一九五八年生。

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