ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 453
ジャック・ドゥミとトリュフォー
HK ジャック・ドゥミの映画の基盤に悲劇があるというのは、面白い観点です。しかし、『ロシュフォールの恋人たち』や『ロバと王女』は、あまり悲劇的な感じはしません。
JD はい。なぜならば、単純に悲劇もしくは喜劇と分類できるものではないからです。要するに、私が「悲劇」だと言っているのは、物語上の分類のことではありません。それは人生に対する態度について言っているのです。ドゥミの世界には、悲観主義のような側面があるのです。憂鬱でくよくよした雰囲気が、作品の中に漂っています。
『ロシュフォールの恋人たち』は、『ローラ』や『シェルブールの恋人たち』と比較すると、華やかな映画です。フランス映画を代表するミュージカル映画ですし、多くのスターが出演しています。カトリーヌ・ドヌーブが姉のフランソワーズ・ドルレアックと共演した唯一の作品であり、ダニエル・ダリューが出演しています。そして、アメリカのジーン・ケリーや『ウエストサイド物語』の役者の一人も出演しています。そうした出演者の顔ぶれを見ただけでも、何かしら過去に引きずられているようなところがあります。ドゥミは、マックス・オフュルスの『たそがれの女心』で主演を務めたダニエル・ダリューを、自分の映画に主演させたかったのです。
『ロバと王女』は、ペローの童話の翻案です。その原作は、近親相姦の関係から逃げ出す女性の話です。根本では、決して喜劇的ではありません。ドゥミの他の映画と同じく、不穏な空気が漂っています。そして、それを喜劇的な雰囲気、演出で包み込んでいるのです。ドゥミの映画でしばしば用いられるミュージカル風の仰々しい台詞回し、派手な演出、目につくトリック撮影が、とても効果的に機能しています。
HK 『ロバと王女』は、コクトーに対するオマージュの一面がありすね。ジャン・マレーが出演しています。
JD コクトーの映画とドゥミの映画を知っていれば、すぐにわかることです。映像の逆再生など、コクトーが好んでいた映画作りの方法が引用されています。
ドゥミの映画の源泉となっているものは決して多くはありません。オフュルス、コクトー、四〇年代、五〇年代のフランス映画やアメリカ映画、御伽噺などなどです。そして舞台となるのは、彼の見知った地域です。ドゥミには、一日中映画館に入り浸っているシネフィルのように、映画に関する多くの知識があったわけではありません。しかし、彼は優れた映画作家から「何が優れた映画なのか」を感じ取り、自分の世界を通じて、自分の映画を作ることに成功したのです。
HK トリュフォーに似た感じがあるということでしょうか。彼も自分の人生と映画を重ね合わせて映画を作ることに成功していました。
JD フランソワは、ドゥミよりも想像力に溢れていたと思います……。ただ、彼が、ジャン=ピエール・レオーと一緒に撮った一連の作品は、そのようにも言えます。なぜならレオーは、トリュフォーの分身のような役を演じていたからです。フランソワの映画が現在、世間において、そのように単純化されていることも知っています。しかし、彼の映画は非常に幅が広い。自伝のような映画から、SF映画、推理もの、映画についての映画、文学のような映画まで、異なる映画を作ることができていました。そうでありながら、各々の映画にはフランソワの〝筆跡〟が感じられます。
HK それと比較するとドゥミの映画は単調ですね。
JD 単調なことは単調なのですが、見るべきものがあります。彼の映画は、ゴダールやトリュフォーの映画と比較すると、重要度が低いですが、いずれにせよ見るべき映画監督の一人です。
今日のフランス映画でも、多くの映画作家が彼の影響を受けています。例えばクリストフ・オノレの映画は、ドゥミの映画を模倣していました。オノレの映画は、現在のフランス映画において、決して悪いものではありません。しかし、彼は、ドゥミの映画の根本にあるものは理解していないようでした。
〈次号へつづく〉
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテークブルゴーニュ)
