百人一瞬
小林康夫
第99回 太田達(一九五七― )
二〇〇二年春、桜満開の京都大原の古知谷、無心庵に哲学者のマッシモ・カッチャーリさんを伴って参上した。
当時、わたし自身、茶道にはまったく無縁だったのだが、前回触れたようにカッチャーリさんが来日するなら、ぜひ日本独特の「エートス」を味わってもらおうと、大学の教え子の一人を通じて京都上七軒の老舗和菓子店・老松のご主人・太田達さんに茶会をお願いしたのだった。
茶室で抹茶一碗でも……と考えただけだったのに、とんでもない、庵に着くや否や、カッチャーリさんもわたしも着物と袴を着付けられた。途端にわれわれ二人神妙な面持ちになって躙を潜り茶室に入る、すると迎えてくれた床には墨痕鮮やかに「願わくば 花の下にて われ死なん」……西行法師のあの歌の掛け軸。うーん、これこそ、なんという「エートス=エロス」!と、カッチャーリさんに歌を翻訳しながら、その瞬間――(直後に太田さんに書いた礼状によれば)――「死の危険をいったんすべて外に置き去りにして、茶の一事の上に、ただただ主客ともに生きてある、こうして会ってある、という一瞬をひとつの〈華やぎ〉として生きるのが茶の本意だ」とわたしは勝手に摑んだのだった。
しかも、お軸はこの茶会のために太田さんが用意してくれたもの。後からうかがった話では、一般に、和尚たちは西行の句は書きたがらないところ、無理を言ってこの如月望月の茶会のために、大徳寺の和尚さんに書いてもらったのだと。なんという「歓待」か! 感動した。
「一瞬」の特別な、特異な「モーメント」のためにすべてが用意され、そこに「無心」の出来事が降りてくる!
そう、お正客のカッチャーリさんが、手にした茶碗を口に運び、濃茶の気の遠くなるような滑らかさにびっくりして一言「Bonito!(おいしい!)」と呟く。静かに華やいだその一言をみんなが静かに受けとめた。
この「一瞬」が契機となって、わたしの人生に「茶」という「場」が生まれ、太田さんをはじめとしてたくさんの「茶の友」を得た。そして、それがいくつもの予想外のクロスオーヴァーを織りなしていった。
無心庵茶会から四年後、ヴェネチア市長に復帰していたカッチャーリさんが今度はミラノのプラダ財団主催で日本近代思想の再検討をテーマとするシンポジウムにわたしを呼んでくれた。そしたら、わたしの発表が岡倉天心の『The Book of Tea』の百周年にちなんで「A Cup of Humanity」について語るものだったこともあって、いつのまに、なんとミウッチャ・プラダさんの私邸で茶会を開くこととなり、わたしは太田さんをはじめとするわが「茶の友」たちに声をかけて一緒にミラノへ行ったのだった。
この時も太田さんはわざわざ岡倉天心の書簡をお軸にしたものを用意してくれたのだが、茶会の詳細は拙著『知のオデュッセイア』(東京大学出版会)に委ねよう。それよりもいま触れておきたいのが、わたしのそのミラノ講演を読み返してみたら、西行のあの歌が引用されていたこと。そこでは、天心は「花のもとにて春死なん」とする日本的美意識を、西欧的な「永遠」――「We are on to Eternity」――へと転換する過激な「交差」の思考を実践したのだ、と論じているのだった(拙著『こころのアポリア』、羽鳥書店)。
京都の西行から天心を通ってミラノのプラダ邸へ……茶の「一碗」が運んでくる地球規模の「交差」……そう、「無」とは激しい「交差」のことなのだ!
なお、太田さんはいまでは立命館大学食マネージメント学部教授でもある。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)
