2025/11/28号 4面

国替の誕生

国替の誕生 藤田 達生著 河内 将芳  辞典(『精選版 日本国語大辞典』小学館)によれば、「国替」とは、「豊臣秀吉、徳川幕府による大名の配置替え。大名統制策として、慶長・元和・寛永(一五九六―一六四四)のころにもっとも多く行なわれた」と説明される。  また、その初出として、奈良興福寺多聞院の日記『多聞院日記』天正十五年(一五八七)十一月十一日条にみえる「国替これあるか、雑説これあり」という記事をとりあげている。つまり、秀吉の時代以降に国替は始まったと理解されてきたわけだが、そのような理解に対し根本的な問いかけをおこない、その再構築をこころみたのが本書である。  具体的には、その始点を織田政権におき、それを豊臣政権が継承したとみるところに特徴がみられる。そのことが詳述される「第一章 織田政権の国替」によれば、織田政権における「本格的な国替のはじまりは、天正三年の越前一向一揆の殲滅による柴田勝家の越前北庄(福井市)への国替」であり、それは、「一向一揆はもとより守護・守護代をはじめとする在地勢力による旧来の支配体制を根底から否定する」ものであったという。  「国替は、近世領知制のもとではじめて誕生したの」であり、その近世領知制は、「秀吉が独自に構想した」のではなく、織田政権において「基礎が築かれたことが判明する」との主張は印象的である。  本書「第二章 豊臣政権の国替」によれば、国替には三類型があったとされる。すなわち、占領型国替・人事異動型国替・改易型国替である。占領型国替とは、「天下統一戦に関連する国分に伴う国替」であり、「城請取と仕置のために大名軍隊が進駐、多くは検地以前の国替」であったという。  また、人事異動型国替とは、「国家的戦略にもとづく国替」であり、「加増や減封が原因の場合もある」とされ、そして、改易型国替とは、「改易による城請取のために、幕府上使とともに対象地周辺の大名あるいは対象大名の親戚大名の軍隊が進駐」する国替であるという。  おのおのの国替が多くおこなわれた時期としては、占領型国替が「天下統一期」、人事異動型国替が「文禄・慶長年間、江戸時代中・後期」、改易型国替が「江戸時代前期」とされ、このような「国替が執行できたのは、段階的にではあるが天下人が一定領域を占領して国分を断行し、城割・検地すなわち仕置を実施して領知権を掌握したから」であったという。  「国替を全国的におこなうためには、天下統一戦を強行し、仕置を執行して石高制を導入し、近世領知制を成立させねばなら」ず、それは「信長にはじまり、秀吉で三類型が出揃」ったとされる。  「第三章 徳川政権の国替」では、改易型国替が「天下再統一」と「近世領知制の確立」と結びつけられて詳述され、また、「第四章 国替と近世領知制」「むすび」では、江戸時代中・後期にみられる人事異動型国替が「交替型領知替、三方領知替、四方領知替」として展開していく状況が説明される。  いずれの章においてもその叙述の基礎をなしているのは、これまで著者の藤田達生氏が公にしてきた多数の著書であることは、参考文献をみれば一目瞭然である。そういう意味において、本書は、藤田氏による「中世から近世への大転換の謎解き」に対するひとつの解答とみることができるのではないだろうか。(かわうち・まさよし=奈良大学文学部教授・日本中世史・近世史)  ★ふじた・たつお=三重大学名誉教授・同教育学部特任教授・日本近世国家成立史。著書に『藤堂高虎論』『天下統一論』『近世武家政権成立史の研究』など。

書籍

書籍名 国替の誕生
ISBN13 9784827331264
ISBN10 482733126X