2026/09/04号 5面

文芸・9月(松田樹)

文芸 9月 松田樹  八月半ば、広島に来ていた。夕方、通りに漂うソースの香りにふらふら誘われ、駅裏のお好み焼き屋に入った。鉄板の向こうのテレビを眺めながら、「なんでまた戦争があるんかなあ」と店主のお婆さんはぼそりと呟く。被爆二世で、母は放射能の後遺症で亡くなった。叔母に至っては広島電鉄で少女運転士をしていて――戦中は男性が徴兵されたため女学生が業務に従事した――、原爆ドームのすぐ隣で亡くなったとのこと。翌日の深夜、市内を歩きながら街並みにお婆さんの言葉を重ねてみる。今は見通しの良い道路は何もかもが焼けたから。駅裏は闇市があって売春地帯を通るのが怖かった。せんじがらを揚げる匂いにあの頃を思い出す。そんな言葉と眼に見える風景が、過去の戦災と現在の政治情勢が混じり合い、ふとどこにいるのかわからなくなる。  道中、加藤典洋「不思議の国のカトウ・ノリヒロ 『敗戦後論』をめぐる英語圏からの批判への遅ればせながらの応答」(『群像』)を読んだ。論争の渦中に書かれ、生前には発表されなかったテキスト。改めて『敗戦後論』の趣旨が「侵略戦争で命を落とした非英雄的で、よごれを刻印されている日本の戦争の死者たちをきちんと悼むこと」と明言されている。が、過去との繫がりの回復が後世の日本人による主体的な決断にのみ託されていることに違和感が残った。いくら国民の再統合を目的とするものではないと説明を重ねたところで、北米の研究者の「当事者」意識の欠落を批判し、「「よごれ」を引き受ける」とあたかも元来は無垢であるかのような戦後世代による主体的な決断を促す、その論の運びがナショナリズムを払拭し切っているかは疑問である。過去の記憶は自身の預かり知らぬところから不随意的に襲ってくることもある。汚れと無垢はそんなにすんなり割り切れないはずだ。あえて文学の領域へと迂回して戦争の記憶の扱いを考えるのであれば、対峙の仕方にこんな幅があっても良い。  記憶の不随意性。松浦寿輝「記憶の遠景」(『新潮』)がそこに迫ろうとする。「老いが深まりつつある今いよいよ強く、肌と肌を接するような粘っこさ、息苦しさとともに迫ってくるこれは、このものは、いったい何なのか」(傍点原文)。一四作が収められたこの散文詩の中で繰り返されるモチーフは、水、粘液、蛍や精霊飛蝗といった飛翔のイメージ、テニスの壁打ちやエコーのような一人遊び、匂いや手触りなどの触覚。過去は谺のように寄せては返し、またどこかへと去ってゆく。粘り気のある感触だけが割り切れない余韻として残る。松浦によれば、こんな記憶のままならなさを「特権的な「点」」に結晶化させることを試みた詩篇。吉本隆明『背景の記憶』のオマージュである。加藤もまた吉本を参照していたが、吉本ら戦後思想家が問うた「よごれ」にはこんな風に主体の意志に還元されない余剰もあったはずだ。加藤による記述の単純化は彼の議論が無垢な戦後世代による過去の清算に重きを置き、割り切れないアジアへの加害をいつまでも俎上に載せることができなかったことに対応している。  井上荒野「それがなんだというのだろう」(『すばる』)、大濱普美子「地下の森」(『文學界』)も、その身に纏い付く臭気を印象的なモチーフとして用いる。前者は米軍病院周辺で幼少期を送った「私」が、臨終の最中でかつて街に漂っていた「アメリカ兵の死体を焼く臭い」を回想する話。死臭は今、「私」の身をも穏やかに包み込む。後者は高級住宅街で清掃業を務める移民労働者「マエ」が、異国に降り立った場面が象徴的。「未知の国に足を踏み入れて吸った空気は、臭気が極めて稀薄だった」。翻って、「この地は汚染されている」と追い立てられてきた故郷は「土のにおい」と「干し藁のにおい」で記憶され、彼女が強姦された過去も「ひとりひとり間違いようもなく異なるにおい」に印象付けられていた。故郷の記憶を否認し、洗浄液に塗りつぶされた世界を寿ぐラストは皮肉。  対照的に、本谷有希子「ここはふれあいランド」(『すばる』)は、クリアランスされたこの世界に臭気を復活させる。駅ビルの服飾店で働く「私」は、同僚の赤いニットの女性エグチが乳房を防火扉に押し当てる不思議な光景を目撃する。「あの力の込め方には覚えがあった。ちょっとずつ膨らんでいく自分の胸が気持ち悪くて、私もラップを何重にも巻きつけて無理やり小さくしようとしたことがある」。が、エグチは「駅ビルになることだけを考えて」おり、女性性の拒否とは「私」の願望の投影である。「私」は次第にエグチに重なり、無機質な駅ビルは様々な欲を凝縮した動物園のような空間と化す。「駅ビルは生き物の臭いがこもっている。ここはふれあいランド」。  あえて「よごれ」を引き受ける」と大見得を切らなくても良い。私たちは人間である限り、その身に纏い付く臭気や汚れと付き合い、この不随意性を乗りこなしてゆくしかないのだから。(まつだ・いつき=文学研究・批評・愛知淑徳大学創作表現専攻講師)