2026/04/10号 4面

フェミニスト政治経済学

フェミニスト政治経済学 大橋 史恵・堀 芳枝編著 李 亜姣  十年前まで、欧米の排外主義やポピュリズムは、日本から見れば対岸の火事にすぎないと思われていた。しかし気がつけば、日本社会もまたその渦中にある。新自由主義的グローバル化の進行のなかで没落した中間層は、経済的不安定と将来への悲観に駆り立てられ、自由貿易やジェンダー主流化、さらには既成政治への不満を強め、排外主義やポピュリズムへと引き寄せられていく。「恵まれた移民」と「没落した中間層」という対立的言説は、非正規雇用の拡大、都市と地方の二極化、少子化といった、新自由主義政策がもたらした構造的問題を巧みに覆い隠してきた。そして、合理的経済人仮説を前提とする新自由主義政策を批判する局面において、主流派経済学は有効な理論的対抗軸を提示できないまま、むしろその正当化に加担してきたのである。  本書が取り上げるフェミニスト政治経済学(FPE)は、この時代の要請に応え、新自由主義的グローバル化を読み解くための有力な分析枠組みを提示している。まさに干天の慈雨と言うべき一冊であろう。  本書は、日本における初のフェミニスト政治経済学の体系的入門書である。FPEの基本的視角と理論的系譜を概観する第Ⅰ部に続き、グローバル経済における収奪と搾取の構造を分析する第Ⅱ部、生存の危機と抵抗の実践を検討する第Ⅲ部から構成されている。合理的経済人仮説では捉えきれない、支払われる労働と支払われない労働、そしてそれらをめぐる権力関係の不均衡が、本書全体を通じて多角的に検討されている。生産・再生産・金融の三領域接合論(第6~8章)、社会的再生産(第10章)、ソーシャル・プロヴィジョニング(第11章)といった理論的視角のもと、グローバル資本主義のもとで不可視化されがちな女性、自然、再生産労働が、経済分析の対象として改めて位置づけられている。こうした点に、本書の理論的意義がある。  一般学習者向けの教科書として編まれている一方で、フェミニスト経済学研究者にとっても参照に値する学術書としての側面を備えている点も見逃せない。国際フェミニスト経済学会(IAFFE)におけるFPE研究の長年の蓄積を紹介するにとどまらず、日本のフェミニスト経済学研究者による理論的展開や応用の成果も示されている。とりわけ、日本の家事労働論争を扱う第3章、日本のマルクス主義フェミニズム研究を踏まえつつFPEにおける「労働」概念を拡張的に再検討する第4章、さらに継続的本源的蓄積に作用する資本主義的家父長制の重要性を指摘する第5章などは、その代表例といえる。  また、日本の社会的再生産の枯渇――時間貧困や少子化など――を論じる第10章も、社会的再生産理論の具体的応用例として興味深い。少子化の要因については他の学問分野でも数多くの分析がなされてきたが、FPEはそれを、非正規雇用の増加や家事労働の不平等な分担に象徴される社会的再生産の枯渇の結果として捉える。  あえて本書の難点を挙げるとすれば、継続的本源的蓄積についての議論がやや簡略にとどまっている点である。農民や農業は取り上げられてきたものの、自然資源や農地そのものは意外なほど検討されてこなかった。しかし、2008年以降、アフリカ諸国や中国などの発展途上国では、大規模な土地収奪が急速に進行している。こうした問題との接続については、今後さらに議論が深められる余地があるだろう。  もっとも、こうした点を差し引いても、本書の意義が損なわれるわけではない。FPEの理論的枠組みを体系的に提示した本書は、日本フェミニスト政治経済学研究の一つの到達点を示すと同時に、今後の議論の出発点ともなるだろう。(執筆=大橋史恵・板井広明・伊田久美子・堀芳枝・平野恵子・足立眞理子・本山央子・マイルズ・キャロル・藤原千沙・徐阿貴)(り・あこう=宇都宮大学助教・中国地域研究・フェミニスト経済学)  ★おおはし・ふみえ=お茶の水女子大学准教授・中国地域研究・国際社会学・ジェンダー研究。  ★ほり・よしえ=早稲田大学大学院教授・国際関係論・ジェンダー研究。

書籍

書籍名 フェミニスト政治経済学
ISBN13 9784272350612
ISBN10 4272350617