精神分析の深みへ
藤山 直樹著
西 見奈子
昨晩、夢を見た。薄暗くぼんやりとした懐かしい感じのする夢だった。人は夢を見る。夢は無意識への王道と言ったのはフロイトである。著者はこう言う。「夢見ることこそが意識と無意識の区別そのものを生み出し、そのふたつを隔て、同時にそれらをつなぎ、互いに交流させる」と。私たちは現実から遠ざかるために夢を見るのではない。むしろ現実に触れるために夢を見る。夢を十分に夢見られるようにするのが精神分析なのだ。
日本を代表する精神分析家による精神分析の本である。精神分析と名の付いた本は巷に溢れているけれど、本当に精神分析について書かれたものは僅かである。稀と言っても良い。この一冊は紛れもなく精神分析について書かれたものであり、精神分析がこれ以上にないほどの適切な言葉で描かれているという点で比肩なきものである。その傑出した言葉選びは、著者が精神分析家であるとともに噺家であり、俳人であることと無関係ではないことだろう。
本書は、「どんどん精神分析家になりつづけてきた」10年間に書かれた論文や発表から選ばれたもので構成される。まず序章は2003年の書である『精神分析という営み』における「営み」という言葉の再考である。精神分析における「営み」、そして第五章で取り上げられる「空間」といった言葉が、日本の精神分析界隈で広まったところには著者の影響がかなり大きい。「営み」という言葉の意義深さとともに近年は「できごと」の方を好むようになったという理由も語られる。第一章はその「できごと」から精神分析が検討され、第二章は精神分析における心的変化の複数のモデルの提示と解説、そこで特に著者が注目する「夢見ること」は続く第三章でも詳しく取り上げられている。「金魚の夢」の症例とともに鮮やかな主張は深く印象に残ることだろう。第四章は精神分析家に「なること」を巡る論考であり、第五章では「空間」という視点から再び「金魚の夢」の症例が検討される。
第六章は精神分析の設定、特に頻度を巡る論考である。なぜ頻度が取り上げられるのか、一般の方は不思議に思われるかもしれない。理由が明かされるのが次の章である。第七章は2014年の学会での会長講演をもとにしたものであるが、実は戦後、日本でおこなわれてきた精神分析(的セラピー)のほとんどは週一回であった。その実践に資格は必要ない。しかし精神分析というのは本来、週四回以上の実践であり、精神分析家という資格を授与されたものが施行できる実践である。多くの臨床家はそのことを知りつつ、知らないふりをしてきた。週一回のセラピーをまるで精神分析のように語ることも、精神分析家の資格を持っていない人がまるで精神分析家のように振る舞うことも、見て見ぬふりがなされてきた。その状況は少しずつ問題視され、改善が試みられていったが、大きく状況を変えたひとつが著者による会長講演だった。かなりの衝撃を伴いその余波はいまだ続いている。けれどもそれが日本の精神分析の未来にとって極めて重要だったことは疑いようがない。彼によって日本の精神分析は救われたと思う。
第八章は週一回のセラピーと精神分析との違いがさらに明確に論じられ、終章は精神分析家になるための訓練という視点から精神分析の未来が語られる。
本書を読み終わったら、昨晩見た夢を精神分析家に聞いてもらいたくなった。私の精神分析は終わってしまったからもうそれは叶わないのだけれども。明日も明後日も精神分析があるのは幸せなことだった。夢を持て余しながらつくづくそう思う。
精神分析の思考に基づく、噓や誤魔化しのないその澄み切った文章は精神分析家として生きるものにしか書けないものだ。臨床家はもちろんのこと、夢を見たことのある全ての人にこの本をお勧めしたい。(にし・みなこ=精神分析家・京都大学准教授)
★ふじやま・なおき=精神分析家・精神科医。著書に『精神分析という営み』『続・精神分析という営み』『集中講義・精神分析 上・下』「精神分析という語らい』『落語の国の精神分析』、共著に『精神分析を語る』『愛と死』「認知行動療法と精神分析が出会ったら』、共編著に『こころを使うということ』『精神分析のゆくえ』、監訳書に『精神分析の再発見』『フロイト症例論集2』など。一九五三年生。
書籍
| 書籍名 | 精神分析の深みへ |
| ISBN13 | 9784772421454 |
| ISBN10 | 4772421459 |
