21世紀に絶滅した生き物たち
トム・レイサン著
大澤 隆文
「絶滅」という言葉は誰もが知っている。だが、ある生物種がこの世から消える瞬間を、私たちはどれほど具体的に想像できるだろうか。生きていることは、一個体の発見によって確かめられる。しかし、もはやどこにもいないことを証明するのは、はるかに難しい。絶滅は身近な言葉でありながら、ほとんどの場合、私たちの目から遠く隔たった出来事なのである。本書は、その「近くて遠い」絶滅を、統計や警告の言葉ではなく、一つひとつの種と人間の関わりをたどる物語として描く。失われた生きものの名を並べる図鑑でも、危機を訴えるだけの啓発書でもない。ある種がどこで生まれ、誰に見いだされ、どのような環境の変化にさらされ、最後に誰がその消滅を見届けたのか――その過程を、取材に裏打ちされたドキュメンタリーとして読み解かせる。
例えば、本書の「失われた楽園」の章では、大西洋の絶海の孤島であるセントヘレナ島のセントヘレナオリーブという種の一生を追った。孤島に育ったこの植物がどのようにしてこの島に辿り着いたのか。どのようにして発見されたのか。そしてまた、どのような環境の変化のなかで次第に数を減らしていったのか。さらには、人々がその価値に気づき、崖地に残った最後の木を頼りに、どのように懸命な「蘇生治療」を施したのか。最終的には、努力は実らず、2003年にこの種は絶滅した訳だが、その種としての一生の描写は、単なる植物の消失の記録ではなく、あたかも、集中治療室で家族の回復を願いながら、ついに別れを迎える人々の物語のようだ。救えなかったという痛みと悔い。その感情の輪郭まで伝わってくるからこそ、読者は「一種の絶滅」を抽象的な環境問題として片づけられなくなる。セントヘレナ島とそこで絶滅した植物の歴史は、地球の未来を小さく凝縮した寓話のようでもある。
このように、それぞれの生物種がどういう歴史をたどって、とくに人々がどのように関わって、この過去四半世紀のどこかでこの世から消えていったかを、本書では如実に取材した。この書を通じて、読者は生物種が如何に繊細な環境の下で何とか綱渡りで生きながらえてきたか、そしてこの過去20、30年間の中でも、実に様々な形で生物が消えていったかを実感することができる筈だ。いわば、無機質にしか聞こえなかった「絶滅」という現象を、よりリアルに感じ取ることができる。
本書で扱われる事例は海外のものだが、日本の読者にとって対岸の火事ではない。たとえば対馬のツシマヤマネコは、交通事故やわなへの混獲など、人間活動と切り離せない要因によって絶滅の淵に立たされている。日本のいくつかの動物園ではこうしたヤマネコを実際に見ることもでき、種が絶滅する手前の状態について学ぶことができる。しかしまた、この同じ対馬では、ヤマネコ達以上に、知られることも殆どなく、国内で姿を消しつつある種がいるのも事実だ。例えば、ハナナズナという植物は、元々は本州にも分布していたが、直近では対馬島内で最後に目撃されていた場所が崩落し、2023年以降、日本ではどこにも姿が見えなくなっている。さらに、こうした島々だけではなく、例えば、本書で紹介されていた巻貝がマレーシアの石灰岩地帯でしか暮らせなかったのと同様に、日本国内にも、石灰岩や蛇紋岩等、特殊な地質が「島」のように点在し、固有な種がいる。しかしまた、採石活動等がそこで繰り広げられれば、当然こうした種も消息不明や絶滅といった運命を辿りがちである。
そしてまた、上に述べたヤマネコこそ、どこかで聞いたことがあるという方が多いであろうが、これは絶滅危惧種という〝氷山の一角〟に過ぎず、氷山の本体は、日本各地の野山を廻って初めてその存在に気付く。ハナナズナなんかは、まさにその一例であろう。見た目がきれいな種などを除き、実は、多くの種は、実際の絶滅を迎える前に、人々の心理・社会の中では既に絶滅――いわば社会的絶滅――を迎えていることも多いのだ。地域の自然を丹念に観察し、記録してきた自然愛好家や保護団体が高齢化や活動停止に直面している日本では、そんな二重の絶滅の危機を、多くの種が背負っている。
本書を読み終えたあと、日本の野山や島々と、そこに分布する生物を眺める目はきっと変わる。そこにある自然は、当たり前に残り続ける風景ではない。一つひとつの場所に、有名・無名の生きものの、かけがえのない物語がある。そのことを静かに、しかし強く思い知らせる一冊である。(的場知之訳)(おおさわ・たかふみ=東京都立大学准教授・環境政策・自然保護論)
★トム・レイサン=イングランド南東部のケント州在住の作家・ジャーナリスト。
書籍
| 書籍名 | 21世紀に絶滅した生き物たち |
| ISBN13 | 9784791777983 |
| ISBN10 | 4791777980 |
