滅びゆく惑星で 第6回
増田俊也
植村直己がエベレストを目指していた一九七〇年代と現在では、「辺境」という言葉の意味がまったく違うものになってしまった。
数字を見れば一目瞭然である。一九五三年時にイギリスのヒラリーが初登頂したころから、エベレストの登頂者は年に数人で推移していた。植村直己が活動していた七〇年代は年二十人から八十人ほど。それが最近では年間千人近く頂上を踏んでいる。半世紀で十倍以上である。
植村が北極点へ単独で犬ぞりを走らせ、グリーンランドを横断し、マッキンリーに単独で登っていた頃、「そこへ行くこと」自体がまだ冒険だった。通信手段がない。GPSがない。天気予報も頼りない。救助は来ない。死ねばそのまま白い大地に消える。それが辺境というものだった。
現在のエベレストは違う。固定ロープが張られ、高所シェルパが先導し、衛星通信が繫がり、GPSで位置が把握され、天気予報も酸素ボンベも届く。もちろん危険には違いない。事故もあれば死者も出る。しかしそれは植村直己の時代の「未知の世界」とは別物である。八千メートル峰は、いまや高価な商業遠征のステージとなった。
失われたのは極地だけではない。沢木耕太郎が『深夜特急』で描いたあの世界――アジアの怪しげな博打場、インドの貧民街、トルコの裏道――もすでに消滅したと言ってよい。あの本が放っていた得体の知れない異郷の匂いは、もうこの地上から失われた。SNSや動画サイトの発達によって、世界中のどんな路地裏も画面に映るようになったからだ。アマゾンの奥地でも、サハラの果てでも、検索すれば誰かが歩いた映像がある。近づけなかった場所が、クリックひとつで見えてしまう。ネットで下見して航空券を一枚買うだけで、明日にでもそこへ立てる。
考えてみれば、人類はその歴史のほとんどを「辺境を持つ世界」の中で過ごしてきた。地図の余白に「ここから先は竜が住む」と書かれていた時代から、極地、深海、宇宙へと未踏の領域を更新しつづけることで、人間は自らの精神の張りを保ってきたのである。誰かがその遠い場所にいると知るだけで、後方にいる者まで背筋を伸ばしていられた。
辺境とは、地理的な遠さのことではなかった。情報の遮断であり、孤独の絶対量であり、引き返せないという覚悟のことだった。植村直己が氷の世界で受け取っていたのも、沢木耕太郎がアジアの裏町で吸い込んでいたのも、距離ではなく、その絶対の沈黙だったのである。
辺境を失った人類は、行く先を失った。地図の余白を埋め尽くしたあと、私たちの精神には何が残るのか。(ますだ・としなり=小説家)
