ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 451
『天使の入り江』が持つ独特の雰囲気
JD ジャック・ドゥミの『天使の入り江』のオープニング映像も、シャブロルのカメラマンによる仕事です。ドゥミとジャン・ラビエは、ある時期にはそうした〈異常な〉映像を作ることに成功しています。映画の中に、ニースの遊歩道全体を移動撮影で撮影したものを取り込もうと考える人などいませんでした。しかしながら結果は見事なものでした。
ニースの「プロムナードデザングレ」は、フランス有数の美しい遊歩道です。ニースの海岸全体にわたるものであり、非常に長い。その遊歩道を散歩するのは、とても気持ちのいいものです。しかし、その雰囲気を映像にすることは非常に難しい。ロングショットで遠景を撮影したり、もしくは南仏を舞台とする多くの映画のように撮影したりすることもできます。しかし、それでは印象に残る映像にはなりません。独特な場所の持つ雰囲気を撮影するためには、その場が本来的に持っている機能についても考えをめぐらせなければなりません。もし山の中の村が舞台なのであれば、空間的にも精神的にも閉鎖的な雰囲気を漂わせているかもしれない。もし海が舞台なのであれば、おそらく開放的なそれが感じられます。映画を撮影する上で、舞台となる空間はどんなものであるのか。どのような動きを生み出すのか。いかなる物語を生起させるのか。そうしたことに考えを及ぼすべきなのです。最近のハリウッド映画が行なっているように、世界全体を平坦なものと考えることは到底するべきではありません。
だから、ニースという街を撮影する上では、何を撮影するかという問題がまずあります。ニースという街は、地中海に面したとてもいい場所であり、昔から英国人のブルジョワジーに好まれてきました。そして、そうした人々から金を巻き上げるために、カジノがあります。カジノがあるのであれば、そこには一つの経済があり、そのお金を求めにくる人々もいます。要するに、それが『天使の入り江』という映画になっているのです(笑)。
決して難しい映画ではありません。気取りのない感じの良い映画に仕上がっている。映画の全ては、オープニングの映像に記憶されていると言ってもいい。その映像は、ある時期からはヌーヴェル・ヴァーグのクリシェの一つにもなっています。ジャンヌ・モローが早朝に人気のない遊歩道を歩いている映像のことです。早朝に身なりの良い女性が一人で遊歩道を歩いていることは、まずありません。何かが起こっていることが想像できます。南仏の街であれば、パーティーの帰りであったり、またはカジノで一文無しになりタクシーで帰れなくなったりなど、何か〈訳あり〉の姿であることがわかります。その映像は、映画の摑みとしては非常に効果的な良いものになっていると思います。そうやって物語を想像させながら同時に、かつてリュミエール兄弟が撮影した南仏のような雰囲気も感じられるからです。
『天使の入り江』という作品の中にも、『ローラ』やその後の映画につながるテーマをいくつも見出すことができます。カップルの結びつきの問題や、現実と想像の世界の混合などが見られます。それに加えて、彼が南仏で撮影した珍しい作品でもあります。もう一作はイヴ・モンタン主演の『思い出のマルセイユ』ですが、こちらの作品はイヴ・モンタンの映画なので、彼の出身地であるマルセイユで撮らざるを得ません。しかし『天使の入り江』の場合は――当時を考えると、状況が彼に撮影をさせたのですが――つまり五〇年代から、南仏を舞台にしたアメリカ映画、ヒッチコックの映画やプレミンジャーの映画があって、それらが成功を収めており、さらには当時のフランス映画においても、南仏を舞台にするものが流行っていました。そうした映画を作ることができる監督が求められていたのです。
根本的なところで、南仏の持つ雰囲気は、ドゥミの映画と相容れないものがあります。おそらくマルセイユのような港町とは似通ったものがあるのかもしれませんが、ドゥミの映画にはニースやモナコの持つ開放的な空気感が漂っていません。彼の映画には、常に何か苦々しいものが付きまとっているのです。
〈次号へつづく〉
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテークブルゴーニュ)
