「核兵器も戦争もない世界」は可能だ
大久保 賢一著
石田 昭義
本書は憲法公布八十年にあたっての提言になる。本書の「序章」は、広島に原爆が落とされたとき、銀行の石段に影だけ残して、一瞬のうちに蒸発して死んだ男の人の話から始まる。著者が母から聞いた話である。この「人影の石」のエピソードは、少年の心に自分も「突然、命を奪われる一人」になるかもしれないという恐怖心を植え付けた。そしてこのエピソードは、著者が核兵器を拒否し、被爆者との連帯を強く意識する原点になった。
帯文は「ノーベル平和賞」受賞記念講演の田中煕巳氏による。「「核兵器も戦争もない世界」をどう創るかを、核兵器や軍事力に頼る主張と対比しながら平易な言葉で語る本書は〈希望の書〉です」。
本書の目次は多彩である。そこには、核兵器廃絶と戦争のない世界の実現に弁護士として生涯をかけてきた著者の、想定される読者の質問にはできるだけ多く、ていねいに答えたいとの真摯な姿勢がうかがえる。本書は、章ごとに一応完結しているので、著者も言うように、関心のある所、どこからでも読むことができる。要は、自在に本書を活用して読者自身の考え、思いを深めていって欲しいということだ。
著者は、状況、事例を挙げて、今や日本は「戦争前夜」にあると警告する。国際人権会議の提言(二〇二五年)は「核兵器の危険性はもっとも高まっている。我々はまさに瀬戸際に近づいている」と。
評者も思う。まず、憲法の精神の根幹部分が改悪されようとしている。この八十年間、憲法は、〈憲法を敵視して守らず〉の政権にぼろぼろに痛めつけられても、戦争に向かわせることなく国民を守ってきた。だが、言論人、知識人と称する者、財界人なるものが、新聞に、テレビに「愛国心、防衛力」の名の下、武器の売買を叫ぶ。とにかく憲法九条が商売の邪魔なのだ。
ロシアの作家トルストイは、日露戦争の折、許されないことは、肩書のある教養人と称するものが、自分は安全なところにいて、若者を欺き煽り、戦場へ駆り立てることであるとして、皇帝以下に直言した。「それほど戦いたければ、まずあなたたちが砲弾のあらしの中に立てばよい」。
著者は【はしがき】で(核兵器も戦争もない世界を作る力は、未来を担うあなたたちの中にある)、【あとがき】で(どうしても伝えたいことがあります。どうか、その未来を、皆さんの手でつくってほしい)と呼びかける。著者の心からの叫びだと思う。
今から八十九年前、日中戦争がはじまった年、本書と同じように「生き方を問う」書が出版された。『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)である。主人公は十五歳のコペル君。出版の目的は、「言論出版の自由が著しく制限されているこの時世で、凶暴ともいえる激しい弾圧がある」「せめて、次の時代を背負うべき大切な少年、少女には、偏狭な国粋主義や反動的な思想を超えた自由で豊かな文化のあることを伝えておきたい」(著者、要略)。吉野源三郎は、小説の終わりに「そこで最後に、みなさんにおたずねしたいと思います。君たちは、どう生きるか」と結ぶ。この本が出版されてから、戦争は、日中から太平洋戦争へと八年間続いた。コペル君と同じ世代の若者は成長し大人になった。でも彼らは有無を言わさず戦場に駆り出され、多くは砲火の下で、あるいは飢えて死んだ。彼らの骨は、いや、日本人百十二万人の骨が今も海外に残されたままだ。国内で三百十万人が死んだ。二千万人のアジアの人々が犠牲になった。日本国憲法は、「もう戦争はいやだ」と思いつつ無念の死を遂げた多くの人々への祈りの結晶である。
戦争、そして核兵器行使への危機感を持って読者に語りかける本書は、戦前の『君たちはどう生きるか』に連なる「時代を継ぐ書」として深い意味を持つ。さらに「希望の実現を願う書」として、皆が共にあるという勇気をもらえる。宇宙にあって、雨粒のような小さな地球で、人類が滅びずに生きていくためには、九条の精神を世界に広めるしかない。本書を手に取った読者が、自分のこととして読んでもらうことを願う。(いしだ・あきよし=地の塩書房主)
★おおくぼ・けんいち=弁護士・日本反核法律家協会会長。著書に『憲法ルネサンス』など。
書籍
| 書籍名 | 「核兵器も戦争もない世界」は可能だ |
| ISBN13 | 9784535529380 |
| ISBN10 | 4535529388 |
