文芸 5月
松田樹
「現代人はもう第二次性徴に耐えられなくなっている」。千葉雅也はそう指摘する。浅田彰との対談「私とは一個の他者である――トランプ時代のクィア・セオリー」(『新潮』)において。記号論や構造主義など、大雑把に言って二〇世紀の思想は、主体や社会を一つのシステムとして捉える見方を提供した。その上で、性(フロイト)や言語(ソシュール)といった自らの中から湧き起こる理解不能なエネルギーに構造を超える契機を見出してきた。ランボーがかつて「私とは一個の他者である」と高らかに謳ったように。が、対談の中で言われる通り、現代の文明はもはやその内なる他者をも懐柔しつつあるのかもしれない。確かに、抗精神病薬、ホルモン注射、大規模言語モデル、等々。私は対談の構成を担当したが、現代思想の行先を占う二人の発言は、優れて文学の未来をも測るものであると思われた。
堀内翔平「試行錯誤のできない社会で、恋の不可能性を考える」(『文藝』特集「失恋、あるいは恋の不可能性」)にも繫がる話だ。堀内によれば、今出会いの場に求められているのは、他者との接触による「ときめき(非日常感)」ではない。むしろマッチングアプリの流行に見られるように、同質的なものとの繫がりによる「安心感」である。舞城王太郎「ベルゼバビブベボ」(『群像』)はこの文脈で取り上げたい。腹部レントゲンにハエの影が映った。理由が判明しないまま、影は絶えず姿を変える。ハエが人体の中に出現した「怪談」はチョロQの「タラップ車」に変化した後は階段話となり、車体に刻まれた数字「89178」は「厄のことは言うなや」にも「89×167」で「色んな厄」にも読める。「私」は内なる不思議に夫とともに解釈をめぐらせるが、そのうちに夫婦の間には性行為が復活する。だから、腹部を切開した後に「私」はまた異物の訪れを求めてしまう。『好き好き大好き超愛してる。』から舞城の作風は不変である。ゼロ年代を代表する舞城は安定安心を志向する令和の時代に逆行し、ままならない愛の衝動こそ文学の原動力であると主張し続けている。
性愛のままならなさ。だが、それを無条件に言祝ぐわけにはいかないのは――先の対談や『文藝』特集が慎重に留保を加えている通り――、そこにはつねに差別や暴力がまとわりついているからである。平野啓一郎「決定的瞬間 The Decisive Moment」(『新潮』)。学芸員を務める水巻香澄。彼女は写真家の賢木稔を敬愛している。ある日、賢木の遺品から「ペドファイル」を思わせる写真が見つかった。証拠を隠滅しようとする遺族との関係はこじれ、上司から展覧会の中止が言い渡される。水巻は「少年の命は夏の一日である」と稲垣足穂を引用し、性の目覚めを捉えようとする芸術家の姿勢を理解してみる。が、フィルムを見つけた際に「生理的な嫌悪感」を覚えたことは事実で、賢木の振る舞いが許されないことも知悉している。本作が巧みなのは、その引き裂かれを写真というメディアに即して提示している点。「決定的瞬間」(アンリ・カルティエ=ブレッソン)との言葉の通り、写真は偶然の一瞬を捉える芸術だ。だが同時に、それはフィルムに定着されることで、死後の生を獲得する。賢木の代表作に水巻は一瞬と永遠の調和を見る。けれども、本作自体によってその調停が不可能であることが暴かれている。賢木はランボーを愛誦していたそうだが、そんな刹那的な生き方は今や暴力的でリスクであり、二一世紀は放蕩者をコンプライアンスとデジタルタトゥーの中に囲い込む。優れた時代観測である。
林芙美子文学賞と文學界新人賞が発表された。前者は、山本莉会「むこうの景色は知らない」(『小説tripper』)。山間の過疎集落で電力会社技師として働く主人公。彼は衰退していく故郷を眺めつつ、地域のインフラを支えることに誇りを持つ。が、スマート農業を持ち込もうとする都会の青年がそこに移住。見た目には派手に見えるコンサルと、台風が来れば断線を修復し植物が繁れば伐採する技師の地味な仕事との対立が描かれる。後者は、村司侑「ソリティアおじさんがいた頃」(『文學界』)。関西の老舗味噌屋で働く三〇代女性。彼女の元に訃報が入る。ソリティアばかりしていた窓際族の元上司が亡くなった、と。周囲が死を受け入れ日常に復帰する中、彼女は違和感を抱え続け、いつの間にか彼氏と別れてしまう。出色なのは、別れの寸前、一人でソリティアをする場面。「手詰まり。戻す。マウスを連打して戻す。でも、別れたら、たぶん、きっと、そのあと一生ひとりだろう。戻れ戻れ」。
人生はゲームのようには戻れない。その如何ともしがたさが、小気味良いリズムの短文に定着されている。新人の二作が書き留めるのは、このダラダラと続き、どうしようもなく手に負えない生活のリアリティだ。今問われているのは、ままならなさをロマンティックに謳い上げるというよりも、小さな違和をどう保持し育て上げていくかなのだろう。(まつだ・いつき=文学研究・批評・愛知淑徳大学創作表現専攻講師)
