2026/09/25号 7面

永遠の記憶

追悼書評=東野圭吾著『永遠の記憶』からたどり、ふりかえる(古山裕樹)
追悼書評=東野圭吾著『永遠の記憶』からたどり、ふりかえる 古山 裕樹  今年の七月に亡くなった東野圭吾の遺作となったのが『永遠の記憶』である。物理学者・湯川学が探偵役として活躍する〈探偵ガリレオ〉シリーズの最後の作品だ。作者が自身の死を予期していたからかどうかは分からないが、内容もシリーズの終焉を暗示している。  本書は第一部「履歴る(たどる)」と第二部「終活る(ふりかえる)」からなる。二つの副題は読者からの公募で選ばれたというが、そのまま作品の骨格も表している――過去の履歴をたどり、事件が解決した後の物事をふりかえる。  第一部では、シリーズでおなじみの刑事・内海薫が老人にナイフで脇腹を刺される。老人は黙秘を貫き、内海との関係も見当たらない。だが、現場には内海が六年前に捜査した殺人事件の犯人の娘がいた。解決したはずの事件は、娘にとっては終わっていなかったのだ。この入り組んだ状況を解くために、湯川が動き出す。  第二部「終活る」では、内海を刺した老人の持ち物から、湯川がかつて関わった別の事件との関わりが浮かび上がってくる。湯川の心に長く残っていた記憶が、静かに掘り起こされていく。  正直なところ、東野圭吾の最高傑作ではない。謎解きならば、もっと精緻な作品はいくつもある。第一部と第二部のつながりもスムーズとは言えない。ただ、二つは「事件が解決した後に残るもの」というテーマの反復によって深く結ばれている。『探偵ガリレオ』以来、三十年近くシリーズを追ってきた読者への、丁寧な挨拶のような一冊だ。  本書の「表面的な解決の後に残ったもの」というテーマは、これまで複数の東野作品に取り上げられている。  東野圭吾のデビュー作は、一九八五年の『放課後』である。女子高で起きた殺人事件を描くオーソドックスなミステリだ。ただ、作中に描かれた犯行動機に対しては「そんな理由で人を殺すのか?」という批判が上がった(もっとも、今読むと特に違和感はない)。  その動機をめぐる作品で記憶に残るのが、一九九六年の『悪意』だ。ある作家が殺され、犯人が判明する。問題は動機だ。「誰が殺したか」の先にある「なぜ犯行に及んだのか」という謎。そこに入り組んだ仕掛けが用意されている。「表面的な解決の後に残ったもの」というテーマの先駆けでもある。  一九九〇年代の東野圭吾は、多彩なチャレンジを続けていた。たとえば、『どちらかが彼女を殺した』や『私が彼を殺した』では、手がかりを提示しつつ犯人を明示しないという趣向に挑んで話題を呼んだ。  挑戦はミステリの領域にとどまらない。東野はこの時期に『変身』『分身』『パラレルワールド・ラブストーリー』といった作品で、SF的な設定を用いて、記憶や人格をめぐるテーマを描いている。この路線での重要な作品が、一九九八年の『秘密』だ。妻と娘が遭遇した事故をきっかけに、死んだはずの妻の意識が娘の体に宿ってしまった――そんな不思議な状況での家族の物語は、狭義のミステリに収まらない作品として、東野のさらなる飛躍のきっかけとなった。  ミステリの枠を越えた試みとしては、二〇〇三年の『手紙』もある。犯罪者の家族と社会の視線を描き、謎解きとは異なる形で、事件の後に残ったものを語っている。  また、一九九九年の『白夜行』では、二人の主人公の内面を一切語らない。事件の構図は見えても、その人物が分かったとは言えないまま物語が終わる。  逆に、人間ドラマと物理的な謎解きを交錯させたのが、探偵ガリレオのシリーズ初の長編、二〇〇五年の『容疑者Xの献身』だ。丹念に構築された仕掛けを解き明かすことが、そのまま人物の理解につながる。謎の論理と人の情念を結びつけた一作だ。  以降の東野作品には、捜査や推理を通じて人間関係を解きほぐす作品が増えていく。二〇〇九年の『新参者』もそうだ。殺人事件を追う刑事が、商店や家庭を訪ね、小さな謎を解く。それが事件の解決だけでなく、そこに暮らす人々の秘密や誤解を解くことにつながっていく。  そして、「表面的な解決の後に残ったもの」をモチーフとした作品も書かれている。二〇二一年の『白鳥とコウモリ』では、解決したように見える事件を、加害者の息子と被害者の娘が問い直す。二〇二三年の『あなたが誰かを殺した』もまた、犯人がすでに捕まっている連続殺人事件を、遺族たちが検証して解き直していくミステリだ。  東野圭吾は、事件の解明と人間の理解との関係を描いてきた。謎が解けて初めて見える思いも、割り切れずに残るものもある。『永遠の記憶』も、解決によって終わらない事柄を描く物語だ。  もう東野圭吾が新作を書くことはない。だが、解決の後に残ったものは、読者にも永遠に記憶されるはずだ。(ふるやま・ゆうき=書評家)  東野 圭吾氏(ひがしの・けいご=作家)七月二三日、大腸がんのため死去。六八歳。  一九五八年大阪市生まれ。大阪府立大電気工学科を卒業後、エンジニアとして働きながら作家活動を行う。『放課後』で江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。九九年長編『秘密』で日本推理作家協会賞受賞。著書に『容疑者Xの献身』(直木賞、本格ミステリ大賞)『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(中央公論文芸賞)『祈りの幕が下りる時』(吉川英治文学賞)など多数。二〇二三年には、刊行作品数が一〇〇冊に達し、国内累計発行部数一億部を突破。日本推理作家協会理事長、直木賞選考委員を務めた。

書籍

書籍名 永遠の記憶
ISBN13 9784163921327
ISBN10 416392132X