2025/02/21号 3面

ガリツィア全史

ガリツィア全史 安齋 篤人著 小島 亮  …東ガリツィアは「未回収のロシア」になるどころか、オーストリアの政治力によってウクライナの「ピエモンテ」へと変貌した。本来はカトリックの統合願望によって押し付けられた東方帰一教会さえ一種の国教会へと変貌し、オーストリアの支援を受けた東方帰一教会派のウクライナ人は、独自の民族性を表すために「ルテニア人」なる名称さえ発見した(トインビー『新しいヨーロッパ』、一九一五年)。  ガリツィアをイタリア統一運動の発祥地になぞらえたこの表現は、ポール・ロバート・マゴチ『ウクライナ・ナショナリズムのルーツ―ウクライナのピエモンテとしてのガリツィア―』によって人口に膾炙した。第一次大戦期までガリツィアはオーストリア・ハンガリー二重君主国の一部として知られるも、逆にウクライナの名はやや曖昧で、長らくウクライナ人は「かつて国民であったためしがない」と認識されてきた(マルセル・モース『国民論』)。ところが、二〇一四年のクーデター(いわゆる「マイダン革命」)とドンバスとクリミアへのロシア侵攻以降、ウクライナをロシアと切り離し、独自な老舗民族とする見解に取って替わった(西スラブのサモやモラヴィアから説き起こす本書も、近年の流行に気を配ったのだろうか?)。  この北米ディアスポラ知識人によって巧妙に描かれたウクライナ史観は、塩川伸明氏や松里公孝氏によって批判的に注釈され(『ロシア・ウクライナ戦争』)、佐藤優氏に「皇国史観」(『ウクライナ戦争の噓』)と喝破される目的論的進化論の色も濃い。やや譲歩してウクライナ民族の生成と矜持を了解したとしても、ソ連崩壊期の版図を帰着点とする「歴史的領土」の弁明にまで遡及し得るか、という疑念を残す。日本ではあまり検証されないこの論点は、レコンキスタを弁明するロシア帝国史観に掬い取られる危険を避けつつも熟慮するに値すると思われる。  本書はウクライナ・ナショナリスト史観をやんわりといなしつつ、ガリツィアを独自な歴史的領域として叙述した本邦初の文献である。本書の構成は通史的叙述に則り、キエフ・ルーシ、ハーリチ公国、ポーランド・リトアニア、ハプスブルク二重君主国、再生ポーランド統治下からソ連崩壊後の独立ウクライナの現時点までを扱う。著者の専門分野であるユダヤ人史、特にリヴィウ都市形成史にも目配りしながら、多くのエピソードも盛り込み入門的通史としても成功している。私のような旧人類は、驚くべき博覧強記と人文的教養を備えた若い俊英の登場に、「彼ら(次世代)は私たちより多くを知るだろう」と歌ったサッチモの「この素晴らしき世界」のセリフを思い浮かべる。「旧領土スタディーズ」と同じく、本書(「境界地域研究」第一巻)に採用されたチャート式参考書(『地球の歩き方』?)風レイアウトも新感覚にマッチし、担当編集者の慧眼と匠の技にも心服する次第である。  以下は本書の観点を継承する私注に過ぎないとお断りする。ひとつはガリツィアとリヴィウの関係を、タリク・シリル・アマールに倣うと「パラドックス」(Tarik Cyril Amar, The Paradox of Ukrainian Lviv: A Borderland City Between Stalinists, Nazis, and National-ists,Cornell,2015)として強調すべきであったかも知れない。一四世紀以来マグデブルク法都市として発展したリヴィウは、ユダヤ人の存在形態を含め中東欧の社会的分業の中で形成された多元的都市であった。この空気に触れてウクライナの知的世界は洗練されたとしても、再版農奴制(ウェーバーの東エルベ研究でおなじみ)の展開するガリツィア総体は「西欧的」地域ではなく、本書の記述するように「半アジア」的な周縁であった。ショーヴィニズムに転化しがちのウクライナ・ナショナリズムには「外国」=リヴィウへの農本主義的怨念も含まれていなかっただろうか。ちなみにガリツィアのウクライナ編入はロシアのカリーニングラード併合と同じくソ連の軍事占領の結果に過ぎない。ガリツィアはピエモンテよりもトランシルヴァニアやバルカンに似ていて、リヴィウのウクライナ帰属に至ってはヴィリニュスを「歴史的領土」とするリトアニアほどの正統性もない。ガリツィアをボスニア・ヘルツェゴヴィナさながらの民族洗浄のキリング・フィールドとすれば、リヴィウこそ「忘れられたサラエヴォ」だったのだ。この点、本書に特筆されたソ連時代の新興都市建設は「ソ連版市民」生活とセットになったウクライナのクアジ・ナショナリズムの形成の謎を解き明かすかも知れない。ドンバスやクリミアを含めた領土観念は「メイド・イン・USSR」であり、ウクライナ・ナショナリズムのナラティブにも内在していなかった。  今ひとつはガリツィアからカルパチアにかけて散在するルシン人についてである。ウクライナに同化しなかった東スラヴ人はルシン人としての自己主張を行い、ロシア志向を旗幟鮮明にした場合、ウクライナ・ナショナリズムとの確執を引き起こす。ボヘミヤ出身のカール・ドイッチュが「レイアーケーキの中のレーズン」になぞらえた東欧小民族の好例として『ナショナリズムとその将来』に紹介した「分類不能の民」はおそらくルシン人である。冒頭に触れたマゴチは、『ウクライナ:イラスト付き歴史』や『山々に背を向けて:カルパチア・ルシン人の歴史』などで知られる研究者で、ルシン人とハンガリー人の血を引くせいかウクライナ・ナショナリズム史観に批判的な立場を取っている。ウクライナのネガ画像とも言うべきルシン人を鏡にすると、「民族とは、自分たちの先祖に対して抱く共通の誤解と、自分たちの隣人に対して抱く共通の嫌悪感とによって結びつけられた人々の一団である」という前述のドイッチュの著作で有名になった格言を思い出す。  「ソ連の平和」の崩壊後、社会的統合の破綻をナショナリズムによって彌縫するうちに壊れたパンドラの匣から「一九世紀のゾンビ」は次々と飛び出した。トインビーの比喩に再帰すると、そもそもガリツィアは「ウクライナのピエモンテ」にも「ロシア(やポーランド)のトリエステ」にもなり得ない地であった。ルシン人もウクライナ人(やロシア人)と別系統のルーツを持つとも言えず、帝国主義外交の関数値によってそうなっただけに過ぎない。ガリツィアに近接するカルパチア・ルシン人地域はウクライナを含めポーランド、スロヴァキア、ハンガリー、ルーマニア国境を跨ぐEU地域協力特区として安定を確保したのである。ガリツィアも本来EU地域協力特区モデルに従う場であって、ロシアの暴虐を免罪しないと断った上で、ウクライナによる「歴史の独占」もあってはならない。ガリツィアは「ウクライナ・ナショナリズムの涵養の地なのか?」という問いへは、「然り、しかしドニプロ川東地域のみかドンバスやクリミアを含めてウクライナ帰属は自明ではない」と答えたい。本書にも紹介された非報復主義的な多民族共存の萌芽の育つ彼方に希望を求めよう。(こじま・りょう=中部大学元教授・社会学・歴史学)  ★あんざい・あつと=東京大学大学院博士課程・中東欧ユダヤ近現代史。ポーランド政府奨学金を取得し、二〇二一―二〇二三年にヴロツワフ大学に留学。

書籍

書籍名 ガリツィア全史
ISBN13 9784908468803
ISBN10 490846880X