東京で驚いた
井上 理津子著
友田 とん
長年ライターとして大阪で活動してきた著者が東京に移り住み、気になった小さな文化の違いを徹底的に調べ歩いたエッセイだ。取り上げられる十の対象はバラエティに富む。水道や公園といった都市のインフラ、富士塚・富士講、神社、酉の市、葬儀という信仰や風習、そして昆布や町寿司、鰻といった食、とおおまかに三つに分けられる。どれも東京で暮らしていれば見聞きし、口にし、恩恵に預かっているものだろう。だが、ごく当たり前に存在するあまり、深く掘り下げて由来を調べる機会はなかなかないかもしれない。
十年ほど前に大阪から移り住んできた著者は暮らしの中でふとそうしたものに目を止め、東西の些細な違いに気づく。例えば、世話になった人に差し上げた昆布茶がそのままになっているのを見つけた時のことだ。不思議に思った著者は自ら試しに水道水で入れてみて、東京ではうまみが出ないことを知る。普通なら硬水である東京と軟水である大阪の水質の違いで納得しまうところだが、むしろそこから東京の水道の成り立ちの探究を始める。あるいは、昔ながらの盆踊りが残ると聞いて訪ねた佃島で「何かが違う」と感じる。尋ねてみるとそれが元は川から流れ着いた水死体の無縁仏を供養する行事だとわかる。そこで佃島がどのようにできて、人々はどこからやってきたのか取材し、江戸の町の形成に尽力した土地の人々が実は大阪から移り住んできたことを知る。東京の町寿司には、なぜ大阪では締めくくりに食べる鰻の握りがないのだろうか。そんな問いから江戸前寿司について調べる。
文献を頼り、実際にその土地や対象を自分の足で歩く。店を訪ねて食べてみる。博物館や大学の専門家やお店の人々に話を聞く。時には外国からそこに訪ねてきた旅行者にも声をかける。そうして明らかになった事実に著者がひとつひとつ驚く。それは単なる事実や蘊蓄の羅列ではない。だとすればこうなるのではないかと由緒をさらに探り当てようとする問いの連なりを形成していく。しばしば懐かしい歌謡曲の曲名や歌詞が思い出され笑いを誘うが、これもただの横道ではなく、例えば「神田川」は神田上水が神田川になったばかりのころの曲なのだと知ることで、さらに芋蔓式に著者は別の事実に思い当たる。
こうした探究を可能にしているのは著者の引き出しの数の多さ、そしてタフな行動力である。問いはしばしば章をまたぎ、水道について東京を調べ歩くうちに目にした都会の豊かな緑から、今度は東京の緑、つまり公園を見ていく。そこで知った事実や、思い出された記憶を有機的に組み合わせて、仮説を立て、真相はこうなのではないかと推理してみせる。もちろん名探偵のようにズバリ真相を言い当てるわけではないのだが、そうしてぶつけた仮説に専門家が必ずしもそうではないのだけれどと、詳しい話を聞かせてくれる。例えば、日本の公園が明治以降に生まれたものだとすれば、それらはヨーロッパの公園をモデルにし、大名屋敷の庭が要になったのではないかと質問したことで、思いがけず明治以前の日本の「公」というものの考え方にまで話は及ぶ。自ら考え仮説を立てて尋ねてみたからこそ、一筋縄ではいかない経緯を聞き出すことができ、それを知った時に、本当に驚くことができたのだ。ここには、長年ライターとして多くの人に取材を繰り返してきた経験が生かされているのだろう。知って驚くためには、手間暇がかかるのだ。
だから本書は単なる東西の文化比較ではない。東京へと移り住んだ著者が大阪での知識や経験を手がかりに東京を見て、時には東京の中に大阪由来のものを見出していく。そのようにして東京の人になっていく過程だ。本書を読めば、鰻にしろ、寿司にしろ、あるいは蛇口をひねって出てくる水を口にするだけでも、この積み重ねられた経緯に一瞬思いを馳せるようになるのではないだろうか。(ともだ・とん=作家・編集者)
★いのうえ・りつこ=ノンフィクションライター。著書に『さいごの色街 飛田』『葬送の仕事師たち』『絶滅危惧個人商店』など。
書籍
| 書籍名 | 東京で驚いた |
| ISBN13 | 9784334109851 |
| ISBN10 | 4334109853 |
