百人一瞬
小林康夫
第66回 福武總一郎(一九四五― )
先月、たまたまTVを観ていたら、短い時間だったが、この人が映った。もう何年もお会いしていないけど、お元気そうでインタビューに答えてらした。ならば、こちらのスクリーンにも登場していただこう、と。
番組はNHKの新プロジェクトX「島に誇りをアートでよみがえった瀬戸内海」わたしもよく知る直島・豊島のアートによる復活プロジェクトがテーマだった。
わたしが最初に直島に行ったのは、一九九二年にオープンしたベネッセハウス・ミュージアムで開かれた三宅一生(本連載第1回!)の展覧会を、編集実務を担当していた雑誌『ルプレザンタシオン』(筑摩書房)のために、観に行ったときで、もちろん福武さんにお会いしたわけではないが、瀬戸内海・直島という不思議な場所がわたしの人生に刻まれた原点だった。その後、今世紀に入って、福武さんが設立した「文化・芸術による福武地域振興財団」の助成金の審査委員になったこともあって、十数年にわたって毎年のように直島や豊島に出かけて行った。海とはほとんど縁のないわたしなのに、この歳になってわずかに残る海の風光といえば、だから瀬戸内の海(そして強いて言えば、地中海)ということになるか。その扉を開けてくれたのが、福武さんだった。
というわけで会議、シンポジウム、成果発表会、セレモニー等々と多くの機会で福武さんと会ってお話ししてはいるのだが、では、どのようにクロスオーヴァーしたか、と自問してみると、なかなか手応えのある答えが返ってこない。交差はまだ起こっていないと正直に言うべきなのかもしれない。むしろわたしのレベルでは交差平面には届かないなあ、と。まあ、一言で言えば、真正なアーティストにも共通するような、けっして一般化できない特異な「世界構築」の欲望あるいは意思をもった人だ、と。
でも、そんな人が、あるとき若い高校生たちのところにまで降りてきてくれた。
二〇〇七年の夏、(実はベネッセからの寄付もいただいていた)東大の教養教育開発機構の企画で、直島で三泊四日の高校生のための「哲学キャンプ」を行うことになった。テーマは「海と空の間で〈人間の場所〉について考える」(わたしの講義タイトルが「ヘラクレイトスになる」!)。ならば、直島だからと、福武さんにも声をかけてみたのだが、驚いたことに、たったひとり(さすがにその頃ご愛用のヘリコプターではなかったが)車を運転してやってきて、高校生たちに日本の現状を批判するレクチャーを一時間にわたって行ってくれただけではなく、そのまま野外での夕食にも加わってくれて、楽しそうに若い人たちと会話を続けてくれた。
そう、わたしにとっては、あの瞬間こそが、福武さんとクロスオーヴァーした唯一のモーメントかもしれない。そこには、未来の時間にかけるピュアな思いのようなものが溢れていたのだった。
わたしにとっては、この直島「哲学キャンプ」ではもうひとつ、ひとりの女子高校生との忘れ難いクロスオーヴァーが刻まれているのだが、それについては拙著『知のオデュッセイア』(東京大学出版会)第9章で書いている。また、直島の地中美術館で行ったモネについての講演は『こころのアポリア』(羽鳥書店)で読める。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)