2025/12/05号 3面

論潮・12月(高木駿)

論潮 12月 高木駿  或る学校でジェンダーに関する講義をしました。ジェンダー(不)平等についてフロアにリアクションを求めると、高市早苗が女性初の総理大臣になったことに対して、「女性が初めて首相に選ばれたことに勇気をもらった」というコメントが寄せられました。おそらく女性の学生さんからの反応だと思われますが、こうしたポジティブな感想が持たれる一方で、例えば「ワークライフバランス捨てる」、「馬車馬のように働いて」という発言を受けて、「高市の選出を手放しでは喜べない」、「高市は名誉男性にすぎない」というネガティブな感想を持った女性もいるでしょう。  世界経済フォーラムが毎年公表している『世界ジェンダー・ギャップ報告書』からも簡単に分かる通り、日本は、政治において(も)男性が圧倒的な力を持っています。そのトップである総理大臣に女性が初めて選出されたこと自体は、他の領域においてもジェンダー不平等を感じている女性、そしてこれから不平等な社会に本格的に進出する学生をエンカレッジする大きな意味を持つはずです。ただ、やはりその一方で、選ばれた高市という女性がどんな人物で、何をするのかについては、「初の女性首相」とは別の事柄として考える必要があるでしょう。  中でも、女性に関わる政策は、女性からの評価を二分してしまうもの、あるいは女性たちを分断しかねないものが多いように思われます。旧姓使用の法制化の動きは、選択的夫婦別姓の実現をはばみ、同姓を好む保守系の女性と、女性の権利を重視するリベラルな女性をより明確に分断する可能性があるだろうし、先のワークライフバランスの軽視も、キャリアや労働を重視する女性と、シングルマザーやケア労働者など(働きたくても)働けない女性を分断する恐れがあります。分断が進めば、社会における女性の総体的な力はどんどん低下していき、結果として、ジェンダー不平等は是正されるどころか深刻なものになっていくでしょう。  さらに、新たに「検討」を指示した売春防止法の規制のあり方についても、一部の女性を抑圧・周縁化し、そのような分断を促進する危険性があるように思えます。戦後、連合国軍総司令部の命令により公娼制度(性の売買を国が公に容認する制度)が廃止され、売春防止法が整備されました。売春防止法は、「何人も、売春をし、又はその相手方となってはならない」として、売り/買いどちらの禁止も宣言しています。しかし、実際に処罰されるのは、公衆の目に触れる仕方で、買い手を勧誘したり、場所を提供したり、客待ちをしたりする売り手になります。売り手が未成年の場合には、児童買春/児童ポルノ禁止法によって買い手が罰せられるということはあるものの、基本的には買い手は処罰の対象になっていないというのが現状です。  こうした現状に対して、高市は、十一月の衆議院予算委員会において、売春の相手方(買い手)への処罰の必要性をめぐって、買春行為の罰則化を検討するように法務大臣に指示する旨の答弁をしました。売り手には女性が多く含まれ、買い手には男性が多く含まれているので(もちろん、その逆もありえます)、現状、売春への処罰はジェンダー不正義の状態にあります。買い手を処罰することになれば、そうした不正義は是正されるでしょう。  このような動きに対して、SNSやネットメディアなどで高市を批判していたフェミニストからも「これはナイス」、「評価できる」との声があがりました。僕も、不正義の状態を正すという点に限れば、売り手/買い手を等しく処罰するのが妥当であると考えます。しかしながら、話はそれほど単純ではありません。すでに多くの論者が指摘している通り、買春の厳罰化にはデメリットも伴われます。例えば、買い手が処罰されるリスクが高まると、売春は人目につかない場所で行われるようになります。売春が「地下化」し、売春に携わるセックスワーカーはより不可視化された環境で働かざるをえなくなります。セックスワーカーがより危険に晒されやすくなるのはもちろん、売春の管理者からの搾取を受けやすくなります。  また、売り手も買い手も等しく処罰の対象になれば、売買春自体により強い規制がかけられる方向へとシフトしていくでしょう。たしかに、女性の性の売買が本質的に女性への暴力であると理解するなら、売買春は法律で禁止されるべきものになります。この立場を支持するフェミニストは多く存在します。けれども、そのような考え方は、売春やそれに準ずる性風俗に従事するセックスワーカーに、「被害者」か「犯罪者」という社会的烙印(スティグマ)を押し、彼女たちから、「労働者」としての地位や主体性を奪うことにもつながってしまいます。さらに、貧困や孤独などの社会的な問題を抱え、周縁化された人々がセックスワーカーになりやすいという分析を踏まえれば、彼女たちは、売買春の厳罰化によって、社会的にも経済的にも、よりいっそう周縁へと追いやられることになるでしょう。セックスワーカーは、「犯罪者としてスティグマ化され、警察による取り締まりに怯えながら働くことを余儀なくされる」(福永玄弥「日本で脱植民地化を論じるために」(『世界』)ことになるのです。  このように、売春防止法の規制のあり方は、そのいかんによっては、売春やそれに準ずる性風俗に従事する女性をより劣悪な環境へと、経済的・社会的な周縁へと追いやってしまうかもしれず、「まともな仕事」をする女性と、「犯罪となるまともじゃない仕事」をする女性という女性の分断を産む可能性があります。  いや、それだけではありません。以前からフェミニズム内部に存在した対立、すなわち、性売買を女性への暴力ないし搾取と考え、その廃絶を主張するフェミニストと、性労働を労働の一形態と考え、従事者の権利を擁護するフェミニストとの対立を激化させる可能性もあります。事実、SNSでは、すでに両陣営から正反対の声や意見があがっています。フェミニズムの内部でも分断が顕著になっていく恐れがあるわけです。  じゃあ、どうすればいいのか?具体的ないい案がまだ浮かびません。「だったら、何も言うな」と言われるかもしれません。しかも僕は男です。「男は黙ってろ」と言われるかもしれません。それでも、知ってもらいたいことがあります。  女性もフェミニズムも一枚岩ではなく、いろいろな意見や価値観がある/ありえるということ、どの立場にもメリット/デメリットがあるということを。女性のフェミニストに限らず、自分の立場や意見を主張することは大切ですが、それとともに、相手のことや、異なる意見を十分に知って、考えることも、あるいは対話することも重要なのではないでしょうか? そして、男性にもこうした事情を知ってもらいたいと思っています。女性の問題は、社会の問題です。男性が無関係なはずはありません。(たかぎ・しゅん=北九州市立大学准教授・哲学・美学・ジェンダー)