2025/12/05号 5面

争わない社会

〈書評キャンパス〉佐藤仁『争わない社会』(須磨千草)
書評キャンパス 佐藤仁著『争わない社会』 須磨 千草  争いと競争とは似て非なる言葉である。争いとは、限られたパイを奪い合う、つまり「生きるための闘争」である。しかし世の中が豊かになるにつれて、パイ全体が大きくなり奪い合う必要がほとんどなくなり、「能力や富を他人と比較させる」競争の方が主流となりつつある。競争は争いとは異なり、一定のルールのもとで勝敗を決着させることであり、より良い社会を目指すために必要とも考えられる。競争を全面的に許容するのか、あるいは反対に競争を全面的に否定するのかという「従来の二項対立的発想」ではなく、競争を争いに転化させない仕組み作りが重要であるというのが、本書を通じた著者の主張である。  本書は3部で構成されており、まずⅠ部では、〈「自立した個人」を育てる〉ことを目標としてきたことが現代にどのような弊害をもたらしたのかについて考えている。例えば著者は、現代社会において大量生産を可能にし、経済発展に大きく寄与した「分業」に焦点を当て、いかに相互扶助を見えにくくしてきたのかを論じている。ここで著者は「医学界」を例に取り、専門の細分化が進んだことによる医業の分業化が、医療の基本とされる「全人的医療」が軽視する傾向を生み出したことを指摘している。分業が進みそれぞれの専門性が深みを増した現代ではあるが、一方でそれらを統合し、物事を総合的に見る力が今後はより重要となるのではないだろうか。  続くⅡ部では特権を集中させる方法を論じ、その方法の一つとして、独裁権力を取り上げている。著者は独裁権力を、「絶対的な権力を与えてしまった周囲の環境と、言葉を介してつくり出された人間同士の依存関係」によるものであるとし、その具体例としてマルコスが「社会の依存関係を閉じる方向に向けた」ことで絶対的な力を手に入れたことを示している。最後にⅢ部では、閉じられた依存関係を脱却するための「頼れる中間」を取り戻す方法を考究している。政治団体や職業組合などの「個人と国家の中間にあって両者を媒介しうる集団」と定義される中間集団をその方法の一つとし、中間集団を多数、そして厚く育てることが「争わない社会」を作り上げる上で重要であると結論付けている。  著者は「主体がよりよい依存先を自ら選択できること」が真の自立であると説明している。かつて、小児科医であり自身の脳性麻痺と長年向き合ってきた熊谷晋一郎氏が「自立とは依存先を増やすことである」と論じたが、著者の主張はこれに通ずるものを感じる。依存する、しないといった「従来の二項対立的発想」ではなく、その中庸である「開かれた依存関係」を作ることが争いを防ぐ方法であると著者は示している。  自立の対義語とも取れる「依存」はネガティブなイメージを含んでいるが、依存そのものが悪であると決めつけるのは早計である。本書を通じて、依存が争いに発展しないように「閉じられた依存」から脱却し「開かれた依存」へ向かうことの重要性を様々な事例を通して幅広く知ることができた。目まぐるしい経済活動の中で生活し、個人主義が幅を効かせる現代社会では競争の機会が多く、国家間の戦争など大きな争いに転化する例も多くある。そのような激動の時代に生きる我々こそ、手にとるべき一冊である。きっと我々の明日を照らす、珠玉のことばが見つかるだろう。  ★すま・ちぐさ=金沢大学医薬保健学域医学類5年。上智大学で英語、国際政治、国際協力を専攻。同大学を卒業後、医学部に編入学。現在はスリランカの教育支援に力を入れている。趣味は読書、ワインなど。弓道参段。

書籍

書籍名 争わない社会
ISBN13 9784140912799
ISBN10 4140912790