映画時評 12月
伊藤洋司
貧しい初老の夫婦、シャルルとリュシーは南仏の豪邸の相続人となったと告げられる。相続の手続きに必要だという保証金を、全財産を売り払って用意すると、一足先に相続した高級自動車に乗って南仏のイエールに向かう。しかし、豪邸は見つからない。二人は詐欺師に騙されたことに気づき、しかも高級自動車が実は盗難車だったせいで、警察に追われるはめにもなる。二人は慌ててタクシーで逃げ、人気のない道で降りて歩き出す。そして地中海岸に辿り着くと、力を落として砂浜に座り込む。ネリー・カプランの『シャルルとリュシー』で描かれるこの海が素晴らしい。
ネリー・カプランは初期の作品、『海賊のフィアンセ』や『パパ・プティ・バトー』において海や船を直接描かず、これらのイメージと映画の関係を好んで曖昧なままにした。『シビルの部屋』では、夜の小舟の走行が描かれるものの、描写が大きく変わった訳ではない。だが、『シャルルとリュシー』では、海が明確に姿を現す。絶望したリュシーが海に入り、夫のシャルルも彼女を追って入っていく。カメラがその二人の姿を波打ち際から捉える。シャルルはリュシーを助け、彼女を抱きかかえて戻り、砂浜に横たわらせ、その濡れた身体の上に自分のジャケットを被せる。二人は言葉を交わし、やがてシャルルが立ち上がる。ここまでが、長回しのワンショットで示される。波が激しくうねりながら海辺に打ち寄せ、その音が、妻を呼ぶ男の声をかき消さんばかりに響く。水平線を高めに捉えつつ、最小限の動きで構図を修正する落ち着いたカメラが、この波の描写を一段と魅力的にしている。男が立ち上がると、二人の会話は切り返しで示されるが、濡れた髪から海水を滴らせつつ夫を見上げる妻の俯瞰気味のショットも見事だ。
船も当然出てくる筈だと、観客は期待するに違いない。事実、老夫婦は夜の寝場所として港の小舟に乗り込む。だが、翌日に目覚めると、その小舟が地中海を漂流しているのだから、物語は観客の期待を遥かに上回る。
こうしてみると、海の主題は死や絶望と結びついているようだ。だが、事態はより複雑である。夫婦は女性占い師に出会うと、再び海岸に行き、大気による太陽光の屈折がもたらす日没時の緑の光線を一緒に眺める。この海は明らかに夫婦に希望を授ける役割を担う。実際、二人は翌日に占い師と別れると、裸になって海に入り、幸せそうに戯れるのだ。
海の主題は水の主題の一種だが、ここでは特に、身体を水で濡らすことという主題と結びつくことで、死と再生の主題系に関わることになる。だからこそ、夫婦は一度絶望した海に再び入って戯れ、海を漂流して救助された後、公衆浴場に行き入浴するのだ。死と再生のそれぞれに対応する水があるかのようだが、死を通じてのみ再生が可能であるならば、同じひとつの水が二つの側面を持つとも言える。ラスト近く、消火のために飛行機が上空から水を撒くと、夫婦はまたしてもずぶ濡れになる。死と再生の物語の最後のステップだ。この災難とそれに続く不運を通じて、二人はついに新たな人生を見出すことになるだろう。
最後に、『シャルルとリュシー』の十二年後、ネリー・カプランはとても魅力的な『愛の喜びは』において、海や水浴の主題をさらに大胆に変奏することも指摘しておきたい。
今月は他に、『殺し屋のプロット』『少女はアンデスの星を見た』などが面白かった。また未公開だが、バンジャマン・ドゥラトルの『タヒチ、帰還の日々』も良かった。(いとう・ようじ=中央大学教授・フランス文学)
