百人一瞬
小林康夫
第96回 古井由吉(一九三七―二〇二〇)
今回は郵便配達夫に徹してみよう。つまりある人の言葉を届けること。年月を超えて、世紀を超えて、今の時代に。
たとえば次のような言葉――「戦後五十年の趨勢は、実社会では言葉を必要としなかった。経済的な成長期には合言葉や数字だけで十分だった。ところが社会が天井をついてみると、現状を保持するためだけでも、かなり錯綜した事態を把握する言語能力をまず要求される。言葉が試される。言語が事態の重層構造に耐えなくてはならなくなる。昨今はインターネットなどの高度な電子メディア社会になったから、読むことは不要になったなどと言われますが、よく考えれば逆で、社会が複雑になり情報が多量多様になれば、それを受け伝える言語も、より複雑になってくるわけですね。その時に言語能力が衰えているこの国はいったん破滅に近いところまで追い込まれるか、それとも長い伝統の中からもう一度言語能力を回復させるか、どっちか僕には見きわめがつきません」。
これは古井さんとわたしの対談からで、初出は「図書新聞」一九九七年一月一日号、今からほぼ三十年前。新春対談だから明るい話題でもいいはずが、その二年前の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件という天災と人為の二つの災厄に、古井さんご自身の子供時代の「目の前で自分の家が焼かれる」という戦中体験を重ねた地平において、『楽天記』や『白髪の唄』など古井さんのいくつもの小説作品を貫く困難なモチーフである「人間が〈難〉に出会ってしまう」ことをめぐるほとんど黙示録的な対談となった。
いや、「黙示録的」と言っていいかどうか? というのも、古井さんはそこで、〈難〉が「宿命的にどこかからやって来る」という聖書的な考え方ではなく、それは「そこここにあまねく隠れているようなものなんです、特に、人間の心情や感覚が濃縮するところ、あるいは強く燃えるところに〈難〉は潜んでいる」と言い、さらには日本について「戦争で失われた〈信〉を何か黙示録的な情念をくぐって、新たな〈信〉に鍛え直したという国ではないでしょう、この国は」と言い放ったのだった。
その後、われわれの対話は、〈難〉と〈信〉、ついで〈有〉と〈無〉をめぐって、世界の文化と日本の文化をめぐる応酬となる。古井さんがノヴァーリスを持ち出すと、わたしの方はパルメニデスで対抗する。こちらが鎌倉仏教について問いを投げると、古井さんが連歌さらには芭蕉へと問いを展開する……というスリリングな進行。話は、当然、現代の文芸へと至り、古井さんは「文芸世界というのは非常に遅れをとっていると思います」と嘆いたあとで、最後、「若い作家たちは、自分たちは古いものなんか読まないよと言いながら、日本近代文学のたかが百年の遺産を、まだ十分な遺産だと思って踏まえているわけです。たしかに大事な遺産には違いないが、消費一方を続けてきたので、表現の力としての、残高が問題なのです。寒貧な状態にいるという認識はかなり薄い。やはり絶望的な状態だと思います」と締め括ったのだった。
あれから四半世紀余りが経った今、「残高」はもうなくて「赤字」ばかりが積み重なっている……のでなければいいのだが……。
「対談・〈災厄〉の世紀と〈荒野〉の思想」と題されたこの対談、拙著『出来事としての文学』の講談社学術文庫版の「あとがき」として再録されたのだが、この文庫版もいまでは(残高はもうなくて)絶版となっている。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)
