- ジャンル:芸術
- 著者/編者: フィリップ・デュラン
- 評者: 浅間哲平
美術館強盗事件簿
フィリップ・デュラン著
浅間 哲平
二〇二五年一〇月一九日、ルーヴル美術館からフランス王室ゆかりの宝飾品八点が持ち去られた。事件発生時刻、犯人像、侵入経路、そして、その被害額(総額約一五五億円)に好奇心を搔き立てられた向きも少なくはないだろう。私たちはなぜ、美術館強盗にある種の興奮を覚えるのか。
フランスのジャーナリスト、フィリップ・デュランによって書かれた本書は、副題のとおり「10ヵ国10事件の顚末」を手際よく紹介し、ちょっとしたやじ馬根性を満たしてくれる。前半の二章ではルーヴル美術館から盗まれた《モナ・リザ》とナショナル・ギャラリーから姿を消した《ウェリントン侯爵の肖像》の事件について、仏英の世界的に知られた文化施設を舞台として語られる。これらの事件は先般、NHKで放送されたフランスのドキュメンタリー・ドラマ『モナ・リザ盗難!消えたほほ笑みを捜せ』やロジャー・ミッシェル監督による二〇二〇年制作の映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』など、今までも映像化されてきた「絵画盗難譚」の言わば原型である。
このようなストーリーに続く八章での展開を追ってゆくと、徐々に著者の趣向が明らかになってくる。そこではヨーロッパとアメリカの圏域に属する美術館が事件現場として選定され(アメリカ・セントルイスのギャラリー、東ドイツ・ゴータの城、ノルウェイ・オスロの国立美術館、西ドイツ・フランクフルトのシルン美術館、スウェーデン・ストックホルムのナショナル・ミュージアム、ブラジル・リオデジャネイロの邸宅美術館、エジプト・ギーザのモハメド・マフムード・ハリール美術館、イタリア・ヴェローナのカステルヴェッキオ美術館)、盗品も西洋の近代絵画に限られている。つまり、ルネサンス以降のヨーロッパが作り上げてきた「芸術」とそれに対峙する個人こそがこれらの物語の主題なのである。
ルーヴル美術館やナショナル・ギャラリーに代表される国立美術館は、単に美術作品を鑑賞する場所ではなく、国家の正統性を象徴化する空間でもある。その機能は、「国民的」遺産を可視化し芸術の価値の「公的認証」を与えるもので、権力を行使する主体によって「何が価値あるものか」が決定され、保存・展示される場として作用している。
そのような領域に闖入する強盗こそ、本書のヒーローであろう。
泥棒たちは国家が保護する物を奪い去るだけではない。まずはその権能を攪乱する。語られる強盗事件は盗難にいたる侵入者の経緯というよりは、盗難後の警察(アメリカFBI、東ドイツ国家保安省、インターポール等)の右往左往、税関や警備の不備など、国家主権の保護機能が行きわたらない有り様がその中心にある。
盗人たちは芸術作品を「公共財」として所有する国家の権限にも問いを突きつける。美術作品が移動され隠される(なかには未だ行方不明のものもある)ことで、芸術は誰のものなのか。国家がそれを管理することは正当なのか。そして何よりも美は囲い込めるのか。以上のような美の所有にまつわる問題が提起される。
本書で暗躍する強盗たちは、国家が美的価値に介入する力を持つのかをも疑問に付す。著者が指摘するように、盗品の市場価値は必然的に下がる。なぜならば、正規のルートで売りさばくことはできないからである。しかし、美術品の象徴的価値はどうであろうか。ダヴィンチやゴヤの例が示すように、盗まれたという出来事は広く報道され、本書でのように物語化される。モナ・リザはフランス共和国の後ろ盾というよりは盗難にあったというその事実によって、「フランスの絵画」としてその名を世界へと知らしめたのである。
本書は、日本を含むアジアやもっともヨーロッパ的アフリカであるエジプトを除けばアフリカは対象としない。工芸品や聖遺物なども省かれている。ここで語られているヨーロッパ近代美術の世界に起こった盗難事件は、芸術を芸術たらしめる制度について疑ってみるよう私たちを促しているのではないか。(神田順子・田辺希久子訳)(あさま・てっぺい=明治大学商学部講師・フランス文学)
★フィリップ・デュラン=ジャーナリストおよびラジオ番組の司会者として活躍。映画史に造詣が深く、シモーヌ・シニョレ、アラン・ドロン、ジャン=ポール・ベルモンドの伝記を執筆。小説家、シナリオライターとしても活動。一九六〇年、北仏のリール生まれ。
書籍
| 書籍名 | 美術館強盗事件簿 |
| ISBN13 | 9784794228178 |
| ISBN10 | 4794228171 |
