2026/02/13号 4面

焚殺

焚殺 ロバート・W・フィーゼラー著 砂川 秀樹  一九七三年、米国ルイジアナ州ニューオーリンズのゲイバー「アップステアーズ・ラウンジ」で起きた火災は、三十二名もの人たちが亡くなった放火事件でありながら、「アメリカの歴史には決して刻み込まれることがなかった」という。  忘れられてきたこの事件を歴史に刻み直すため、著者は、ニューオリンズに居を移し四年をかけてリサーチし、その内容に基づき、被害者や周辺の人々の人生、そしてその地の同性愛をめぐる社会状況を丹念に再構成する。  一九六九年のストンウォールの反乱以降、全米に同性愛者の解放運動が広がっていたが、当時のニューオーリンズでは、同性愛者であることが知られると解雇されることが珍しくなかった。警察はおとり捜査でゲイを殴打、逮捕し、地元の大学の友愛会の連中は「ゲイ狩り」を長い伝統としていた。ほとんどの同性愛者は普段「異性愛者の仮面」をかぶって暮らしていた。しかし、ゲイはただ抑圧と差別だけを経験していたわけではない。マルディグラの祭りではゲイのクルーも参加し、ゲイパーティも開催された。ゲイ向けのバーや浴場があり、一九六八年に誕生し全国に広がっていた同性愛者を受け入れるキリスト教団体、メトロポリタン・コミュニティ教会(MCC)も集会を開いていた。  「アップステアーズ・ラウンジ」はゲイが安心して楽しめる場であり、ゲイを友人とする異性愛者も訪れていた。MCCが一時期このバーの奥の劇場スペースを集会に使っていたこともあり、MCCの信徒の多くがこのバーのなじみ客で、牧師を含めニューオーリンズの信徒の三分の一が火事で亡くなってしまう。  人々のことを知ったあとに読む火事の描写には胸がつぶれそうだ。多くの客を誘導し助けながら自らは亡くなった者、いったん安全な場所に逃れながらも恋人を助けるために戻り亡くなった者もいる。現場には焼け焦げた死体が積み重なり、MCCの牧師だったビル・ラーソン師も、窓の格子を前に亡くなった。  そんな悲惨な火災にもかかわらず、現場がゲイバーであったがために、巷では笑い話にされた。職場で下品にされるのを聞きながら感情を抑えなければならなかった常連客もいる。メディアはいかがわしい場所であるかのように報道した。民主党のリベラルな市長も、公民権運動の組織も、大司教も事件に追悼のコメントを寄せることはなかった。  火災が起きた直後に犯人に関連する証言があり、いったん被疑者を確保したりもしているものの、結局、警察は犯人を確定できずに捜査を終えている。事件を積極的に追及しなかった警察、消防の対応は、犠牲者の多くがゲイであったからと思わずにいられない。犯人と思われる者に関する詳細も本書で明らかにされており、そこには周囲の人物への放火の告白も含まれている。彼は、火災当日にバーでの行動をとがめられ揉めたゲイの客だった。  放火自体は憎悪犯罪ではなかったが、世間のとらえ方、捜査、追悼コメントの回避、そして忘却には同性愛嫌悪が満ちている。  しかし火災をきっかけに、社会を変えるような活動も展開された。火災直後に他都市のMCC牧師や活動家がニューオーリンズに入り、被害者の支援、全国規模の資金集め、差別的な表現への謝罪要求などをおこなっている。教会でおこなわれた追悼会には二百五十名の人が集まり、報道カメラに写される恐れがありながらも、正面入り口から堂々と会場を出ることを決意する様子には胸が熱くなる。  だが、そうした動きも順調ではなかった。外から入ってきた活動家への反発を感じる地元のゲイがおり、そもそも権力と闘うことを嫌うバーの経営者がいた。地元で生まれた団体も衰退していく。本書は、火災をきっかけにしてあらためて顕在化した同性愛嫌悪と、それと闘うものの姿を描き、忘却が政治的な力により生じること、追悼がその力に抵抗しコミュニティを力づけるものであるのか教えてくれる。  しかし何より著者は被害者たちが生きた証を残したかったのだろう。一人ひとりの人生を丁寧に描き込む作業には、忘れられてきた人々の生きた証を残そうとする熱意が感じられる。彼らは名も無き「被害者」ではなく、恋愛や友情を生き、信仰を持ち、悩みや恐れを抱きながらも、バーなどで楽しい時間を謳歌する人たちであった。  時代も地域も離れたところに生きる私だが、熱意とともに蘇った人々の人生に触れる中で、ゲイであることをオープンにして生きる者として命のバトンを受け取った気がした。(柿沼瑛子・西本理恵子訳)(すながわ・ひでき=文化人類学者)  ★ロバート・W・フィーゼラー=ジャーナリスト兼作家。ピューリッツァー賞トラベリング・フェローシップなどの受賞歴がある。

書籍

書籍名 焚殺
ISBN13 9784336078070
ISBN10 4336078076