アメリカ文学
長岡 真吾
民主主義が/を支えてきた土台を容赦なく突き崩してきた本年の米国について考えようとするとき、新田啓子『セキュリティの共和国 戦略文化とアメリカ文学』(講談社)は間違いなく重要な書物である。序文において新田は米国を「セキュリティの共和国」と名付け、「自由を是とし、他者に開かれ、多様性に裏打ちされたダイナミズムとイノヴェーションに満ちた国は、ひとたびおのれの安全保障上の利益や軍事的な目的を遂げようとすると、その柔軟性、寛容性をかなぐり捨てて、覇権主義に傾く」という矛盾する特質を看破する。本紙での新田と大串尚代との対談では、同書が分析対象とするポーやメルヴィル、トウェインらの作品に込められたアメリカの「無意識」を焦点化しながら、文学が虚構(フィクション)だからこそ社会や国の実際的な矛盾を可視化できるのであり、現実の真偽を読み取る能力は文学によってこそ培われると提起する。新田には本年もう一冊上梓した研究書『アメリカの黒い傷跡 〈生態〉としての人種と文学の潜勢力』(青土社)があり、文学における黒人表象を軸に米国の人種主義を斬新な視座から論じている。『図書新聞』の永尾悟は、同書が〈生態〉を環境との対置ではなく相互作用の過程として捉えている点に着目して、「生態学的」なアプローチが「人種なるものがアメリカの社会制度と個人の内面構造に浸潤する状況を考察するうえで極めて有意義なもの」だと評する。個としての人間の重要さをもう一度思い出させる力と明晰な声、そして容易には答えの出ない問題を考え続ける不屈に満ちた新田の二冊である。
武田悠一『アメリカの〈無意識〉 文学と映画で読む500年の歴史』(彩流社)も、広範な視点から米国が「無意識」に脅え、排除しようとしているものの姿を文化テクストの分析を通して浮かび上がらせている。堂本かおる『絵本戦争 禁書されるアメリカの未来』(太田出版)は、米国の脅えと排除が出版物への検閲という形で表出してきた歴史のもっとも新しくて極端な例について分析し、特に子ども向け書籍の禁書をめぐる熾烈な「戦争」の内実を子細に報告する。周縁にあると見なされたものから社会全体を読み解いていく試みは、髙尾直知・伊藤詔子・辻祥子・野崎直之編著『病と障害のアメリカンルネサンス 疫病、ディサビリティ、レジリエンス』(小鳥遊書房)のそれぞれの論考において丹念な掘り起こしがなされている。また、禁止や制約にたいして文学が発揮する自由の実践が詩という形式に端的に現れることを思い出すなら、藤本雅樹監修/池末陽子・三宅一平編著『アメリカン・ポエジーの水脈』(小鳥遊書房)に収められた論考の数々は米国の作家、詩人たちの詩的想像力の拡がりと深度を巧みに言語化している。
作家研究ではポーの名前が幾重にも響いて、森本光『脱中心の詩学 エドガー・アラン・ポーの比類なき冒険』(彩流社)、竹内康浩『謎ときエドガー・アラン・ポー 知られざる未解決殺人事件』(新潮社)、そして松本靖彦・西山けい子編『響きあうポーとディケンズ』(春風社)などがそれぞれの独自性で各所で注目された。『SFマガジン』8月号では『ニューロマンサー』原著出版四〇周年を契機とした「ウィリアム・ギブスン特集」が組まれていることも特記したい。
ノンフィクションの翻訳ではまずタナハシ・コーツ『なぜ書くのか パレスチナ、セネガル、南部を歩く』(池田年穂訳、慶應義塾大学出版会)を挙げる。本紙書評の細田和江がコーツにとって「「書くこと」とは「目」と「声」と「力」を取り戻す闘いである」と洞察するように、同書は生身の身体が世界の現実に触れていく現場感覚に満ちている。グレイス・M・チョー『戦争みたいな味がする』(石山徳子訳、集英社)は社会学者の著者が、数々の暴力の記憶に苛まれる自身の母親をケアする体験を軸に語られ、『図書新聞』紙上での訳者と丸川哲史との対談も大変読みごたえがある。生身の声という点ではステファニー・E・ジョーンズ=ロジャーズ『みんな彼女のモノだった 奴隷所有者としてのアメリカ南部白人女性の実態』(落合明子・白川恵子訳、明石書店)も興味深い。詩の領域ではヨシフ・ブロツキー『レス・ザン・ワン 詩について 詩人について 自分について』(加藤光也・沼野充義・斉藤毅・前田和泉・工藤順訳、みすず書房)が印象的である。フィクションではイーディス・ウォートン『歓楽の家』(加藤洋子訳、北烏山編集室)の主人公リリーの生き方について多くの声が交わされた。同書の小林久美子の解説がわかりやすく様々に考えさせられる。ほかにもジェスミン・ウォード、マーガレット・アトウッド、ジェイムズ・モロウらの翻訳が各所で取り上げられたが、本紙の今年の始まりは上下二段組で七九六ページの大著ポール・オースター『4321』(柴田元幸訳、新潮社)からであった。重さと気迫を湛えた小説本文の一方で「訳者あとがき」は何度読んでも涙腺が緩む。『MONKEY』(vol.35/SPRING 2025)の「特集ポール・オースター 君に物語を語りたい」も忘れられない。(文中敬称略)(ながおか・しんご=福岡女子大学教授・アメリカ文学)
