2025/10/17号 6面

アメリカのリベラリズムとカトリックの中絶問題

アメリカのリベラリズムとカトリックの中絶問題 池端 祐一朗著 相澤 伸依  人工妊娠中絶の可否がアメリカ社会を分断する問題だということは、日本でもよく知られている。本書は、アメリカにおける中絶問題の中でもあまり知られてこなかった、カトリックを信仰する政治家たちの思想と実践に光を当てる。  WASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント)が支配階層を占めていた20世紀後半のアメリカ社会。カトリックの信徒が政治の表舞台に躍り出ようとするには、大きな障壁があった。それは、教皇を頂点とした位階制をとるカトリックの信徒が政治権力を握った場合、カトリック教会がアメリカを統治することになるのではないかという人々の危惧である。カトリック初の米国大統領となったケネディは、自らのカトリック信仰と政治を切り離すと強調することによってこの危惧を払拭しつつ、WASPではない自らの出自と呼応する人権擁護の姿勢を打ち出した。この「リベラル・カトリック」の系譜は今日(直近ではバイデン前大統領)まで続いているという。  このようなアメリカ社会特有の文脈におけるリベラル・カトリックの葛藤を象徴するテーマとして、本書は中絶問題を取り上げる。今日のカトリックの教説によれば受精の瞬間から中絶は禁止されるべきだが、その主張を自分以外の人々にも適用することを目指すのか否か。リベラル・カトリックの政治家にとって中絶を認めるか否かは、自らの信仰と政治家としての実践との折り合いをどのようにつけるのかが試されるテーマなのである。  そのケーススタディとして検討されるのは、1984年の大統領選挙で注目された二人の人物である。一人は、女性初の民主党副大統領候補となったジラルディン・フェラーロ。彼女はカトリック信徒であるにもかかわらずプロチョイスの政策を支持し、カトリック内部に「騒動」を引き起こした。もう一人は、元ニューヨーク州知事のマリオ・クオモ。現職のニューヨーク州知事だった彼は、大統領選挙最中の1984年9月13日にカトリックの有力大学であるノートルダム大学で、中絶を話題にした演説を行った。この演説でクオモは、カトリック信徒である一個人としては中絶に反対であるものの、異なる宗教的信念を持つ人々がともに暮らすコミュニティを統べる政治家として中絶反対という信条を人々に強制することはできないと論じた。この二人の検討を通して、リベラル・カトリックの論理と政治哲学的意義を炙り出すのが本書の眼目である。  本書は三部から成り、読者が持つ複数の関心に応える著作になっている。第一に、日本語で手軽に読める、中絶に関するカトリック教説史の本として。カトリックは伝統的にすべての中絶に反対してきたかのように捉えられがちであるが、長い歴史を振り返れば、中絶を許容する教説が有力だった時期もあった。第一部では、中絶を全面禁止する今日の教説に至るカトリック教会の変遷が辿られる。  第二に、アメリカにおける中絶論争史の重要な一側面を紹介する本として。上で述べた通り、リベラル・カトリックの政治家がどのように中絶と向き合ったのか、あるいは向き合うことが可能なのかを明らかにするのが本書の目的である。第二部では、ケネディ以後のリベラル・カトリックの流れを辿った上で、1984年の大統領選挙におけるフェラーロとクオモの中絶に関する主張とそれに対するカトリック教会をはじめとする周囲の反応が検討される。  第三に、価値の多様性を認める社会において、信仰と政治実践をどのように両立させるかを考察する思想書として。第三部では、前二部をふまえつつ、クオモの演説がロールズの政治哲学および伝統的な寛容論との関係から検討される。  本書は、カトリック政治家たちの思想と実践という見逃されがちだったテーマを扱っており、アメリカ社会およびカトリックの中絶問題について、新奇な知見を私たちにもたらしてくれる。同時に、本書の根底にあるのは、価値観の異なる人々が共存するためにはどうすればよいのか、という極めて今日的な問いである。中絶という個別のテーマに関心を持つ読者のみならず、幅広い読者の問題意識に応える一冊であると言えるだろう。(あいざわ・のぶよ=東京経済大学教授・哲学・倫理学)  ★いけはた・ゆういちろう=公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構人と防災未来センター研究員・倫理学・災害対応。一九八五年生。

書籍

書籍名 アメリカのリベラリズムとカトリックの中絶問題
ISBN13 9784779518720
ISBN10 4779518725