2026/01/16号 5面

デモクラシーのいろは

デモクラシーのいろは 森 絵都著 藤林 道夫  舞台は敗戦一年後の一九四六年。占領下の日本で思ったように民主化政策の進まない状況に業を煮やしたGHQが、若い女性を集めて半年間デモクラシーのレッスンを企画するという設定だ。危機に瀕しているという現代日本の民主主義は、敗戦直後、どんな体をなし、その後いかに育まれてきたのかを問う意欲作である。  集められたのは、元華族で女子学習院を中退した経歴をもつ美央子、真面目な頑張り屋の孝子、奔放で洋裁に長けている吉乃、眠ってばかりいる謎めいた女、ヤエの四人である。全員二十歳前後、いずれも戦争による死者の影を引きずっている。レッスンの教師となるのは、ロサンゼルス生まれの日系二世リュウ・サクラギ、二十八歳。  生徒たちは、戦禍を免れた下落合の仁藤子爵別邸で共同生活を営み一緒に勉強することになる。快適な寝具と温かい食事付き。これだけでいまの彼女たちが参加するに足る条件を満たしているのかもしれない。さらに日給もある。ただ、この邸宅を差配する英語にも堪能な仁藤子爵夫人は、高慢でなんとも不可解な人物だ。夫とは別居中。もともとこの計画に深く関わっているらしい彼女の目論見は何か? 単に邸宅を米軍に利用させることで、接収を逃れようとしているだけではなさそうである。  民主主義を教え、彼女たちの世話をすることになったリュウは、巣鴨プリズンの通訳。アメリカでは軍人に日本語を教えていたという過去をもつ。自分はそうした専門家ではないと就任を渋っていたが、半年後の将校ポストを約束されて、無理やり押しつけられ、付け焼き刃で知識を仕入れている。  日系人としてさまざまな差別を受けて育ったリュウは、アメリカンデモクラシーなるものの現実を骨身にしみて知っている。民主主義とセットになって登場する自由と平等、彼はこれまでいかにそれを踏みにじられてきたことか。本来、自由と平等は両立し得るものなのか。自由はどうしても自己を増長させやすい。そこに他者との競争が起こり、競争は勝者と敗者という不平等を生じさせる。リュウはまだ暗中模索のただ中にある。  レッスン開始の前日、リュウは彼女たちに質問する「日本はどうして戦争をはじめたと思いますか」。ためらった後の答えは「日本軍がまちがった道に走ったせいだと思います」「国もまちがった考えを広めました。戦争をしないと日本やアジアを救えんと」。つまり「日本が戦争に走ったのは国や軍部の責任であり、一般庶民は被害者だった」というアメリカの撒き散らすプロパガンダにのった典型的大衆意識そのものだった。  レッスンは民主主義の歴史の説明から始まる。アメリカやフランスと異なり、自らの手で主権を勝ち取ったわけではなく権利意識に乏しい日本国民にはわかりにくい話である。戦前の日本は専制国家だったのか、一応は立憲君主国といえるのか。四人の生徒たちの生まれ育ちはさまざまであり、それぞれ教養も異なるからお互いすぐに打ち解けるわけではない。子爵夫人のお眼鏡にかなうのはふたり。あとのふたりはいい加減。  こうした彼女たちを、それぞれの思いに寄り添い、反省を重ねながらリュウが取りまとめていく。彼女たちは「民主主義のたね」という全員で作詞した歌で、子爵夫人の鼻を明かし、自らのコーラスと演奏でレコードデビューするところまで成長して彼に応えるのである。  直木賞受賞作『風に舞いあがるビニールシート』で難民問題、アフガニスタン問題を扱った森絵都の新作は社会派小説である。六年ぶりの長編は六百ページを超える大著。といっても森絵都ファンには十分受け入れられるよう、底知れぬ悪人は登場せず、いかにも軽やかで読みやすく仕上がっている。  一九四七年に華族制度は廃止され、朝鮮戦争の勃発を経てアメリカ支配が右傾化すると日本も変わっていく。なんと巣鴨プリズンを早々に出所したA級戦犯が政界に復帰したりする。戦争責任はそのまま曖昧になっていき、象徴天皇制の論議もすり替わっていったことを思うと、敗戦直後というのは日本の将来を占う貴重な時間だったのかもしれない。  ところで一九四六年といえば、坂口安吾の『堕落論』である。「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄のごとくではあり得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それゆえ愚かものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる」。時代は変わっても文学の追い求めるのは結論ではない。本書が描くように、民主主義が好悪のイデオロギーではなく、自らの姿勢の追求であることを忘れないようにしていきたいものである。(ふじばやし・みちお=フランス文学者)  ★もり・えと=作家。著書に『つきのふね』(野間児童文芸賞)『カラフル』(産経児童出版文化賞)『風に舞いあがるビニールシート』(直木賞)『みかづき』(中央公論文芸賞)など。一九六八年生。

書籍

書籍名 デモクラシーのいろは
ISBN13 9784041141762
ISBN10 4041141761