2025/04/18号 4面

ネオ・トランプ革命の衝撃

 目の前で刻々と変化する「情報の洪水」に速報メディアが日々対応しているとき、あるいは右往左往しているときに、出版はいかに振る舞えばいいのか、あるいはそもそも振る舞えるのか。大統領再就任からほぼ五十日後の三月一〇日の刊行となるこの最新のトランプ本は、現在をこれからの四年という長丁場の弾道の通過点と捉えて「アメリカン・デモクラシーの終焉」への軌跡を記録する。ジャーナリズムとは日記であり未来における検証材料であり、現在がどう作られてきたのかを常に思考する。資料性、記録性が第一義の通信社の記者として社会・外信畑を歩んだ著者は、報道の根幹たる、第一期トランプ政権の八年前からの客観的な事実と歴史とを仔細になぞっていく。そこにあるのは突飛なトランプとMAGAの人々の行動だが、それを記述する筆致は突飛さを繫ぐ論理と分析だ。その地道な記録に、著者本人の取材エピソードを編み込んでいったのが本書である。  序盤からトランプ政権を象徴するキーワードが乱舞する。陰謀、報復、攻撃、憎悪、歪曲、神、カルト……。しかし極東の私たちにはそのそれぞれがどのように繫がってアメリカの現在を紡いでいるのか、詳細緻密には伝わってこない。朝の報道ワイドショーのあれこれとして、断片的で気まぐれなトピックとして思い出すくらいだ。  第二章ののっけに、このトランプ現象のじつに象徴的な出来事が紹介される。  カイル・リッテンハウス、十七歳、白人男性。二〇二〇年八月、バイデンがトランプに勝利することになる前々回の大統領選の七十日ほど前のウィスコンシン州で、警官による黒人男性射殺事件がまた起きた。「BLM(黒人の命だって大切だ)」抗議デモがここでも発生。一部の暴徒化に対応して保守派市民が自警団を結成すると、そこに加勢すると称してこの十七歳の少年が高性能ライフルAR15を携えて車で駆けつける。彼はその現場で抗議デモ隊側にいた三人を射撃、うち二人を殺害し一人を負傷させた。リッテンハウスは第一級殺人罪で起訴されるが、裁判では正当防衛を主張。被害者たちと口論になった際に「銃を奪われそうになったので発砲せざるを得なかった」と抗弁した。「もし私が銃を奪われていたら、彼はそれを使って私を殺し、おそらくもっと多くの人を殺していた」と。七十五歳の白人裁判官は検察に被害者を「犠牲者」と呼ぶことを禁止し、弁護側には「暴徒」「放火魔」と呼ぶことを許した。翌二〇二一年十一月、黒人のいない陪審評決は全員一致で無罪。リッテンハウスは一転、BLM運動という「極左活動」を阻止する「ヒーロー」となった。保守派集会に呼ばれては「銃撃で一般家庭を過激デモ隊から守った」「女性が惹かれるタイプの男性」ともてはやされた。落選一年後の当のトランプも彼と母親の二人をマールアラーゴに招いて記念写真を撮り、「この良い若者はそもそも訴追されるべきではなかった」と自派世論を煽った。  振り返ればトランプの在野の四年は全てが自派世論の醸成期間だった。リッテンハウスの件だけではない。Qアノン、プラウド・ボーイズ、不正選挙の連呼、罵詈雑言の連続、白人至上主義、連邦議事堂襲撃、ナンシー・ペロシ自宅襲撃、「中国ウイルス」、反コロナ・ワクチン……「ああ、そんなこともあった」と読者に思い出させるそんな事象のバラバラな記憶が、本書によって繫ぎ合わされる。そこに「プロジェクト2025」など、〝次期〟政権での臥薪嘗胆の政策遂行立案期間でもあったことを重ね合わせれば、新たなマッカーシズムを連想させる現在の状況が立体化する。  俗に「噓と犯罪の五段階」と言われる状況変化のパターンがある。①そんなことは起こっていない②起こったが、言われるほどひどくはなかった③確かに起こったが違法ではない④起こったし違法だったが、それ以外に方法はなかった⑤起こったしそれを誇りに思うべきで、疑問視するお前の方が反乱分子だ──それはいわば、デモクラシーがファシズムに変化してゆく五段階をも暗示している。この本を閉じたとき、今のアメリカが、そしてトランプの現在が、そのどの段階にいるのかがわかるはずだ。  なお、冒頭に触れたとおり本書出版は時間との競争でもあったと思われる。そのせいで誤植や欠字もある。二版が出るなら索引の加筆充実も含めて検討されたい。(きたまる・ゆうじ=ジャーナリスト・コラムニスト)  ★はんざわ・たかみ=共同通信特別編集委員兼論説委員。一九八八年共同通信社入社。二〇年―二二年ワシントン支局長。二二年五月から現職。著書に『銃に恋して』など。一九六二年生。

書籍

書籍名 ネオ・トランプ革命の衝撃
ISBN13 9784806807810
ISBN10 4806807818