百花繚乱 日本の女学校
神辺 靖光・長本 裕子著
佐藤 環
本書は副題として「女子教育史散策」とあるように、旧制女学校に関する事実や事象を当時の社会事情に照らして解釈し、読者に「女学校」について興味を持つようわかりやすく叙述した教養書である。明治前期を扱った『女学校の誕生』、明治後期を扱った『花ひらく女学校』の続編として、大正・昭和初期の女学校を対象とした。良妻賢母育成や教員養成といった旧来の女学校、それらに接続する女子高等教育の発展過程に加え、女子の職業教育にも視野を広げ女学校の実態を俯瞰できるよう配慮されている。
まず、明治前期より女子中等教育を担った高等女学校と女子師範学校の展開について。女学校の設置・整備は地域性が大きく影響することを、東京府、兵庫県、長野県を取り上げそれらの特色が示された。兵庫県での県立高等女学校は県内全域の教育要求に配慮し設置されたけれども産業が盛んで人口が密集した大阪湾から播磨灘沿岸地域に約半数が集中しているうえに、ミッション系や裁縫伝授の私立高等女学校・実科高等女学校が大正期に陸続として設置された。対して、宗教系や私立の女学校が現れなかった長野県や山形県での女学校設置は、地域ニーズに対応して町村有志、そして市や郡が経営し、最後に県立校となる順序を踏む公立主義が定着していった。小学校教員養成を目的とする女子師範学校のエピソードでは、身体鍛錬を方針とする鹿児島県女子師範の生徒が陸軍に憧れるような気風醸成・実践がなされていたため、市民から「女子士官学校」と称されていたことは地域性を改めて認識する事例として興味深い。
次に、教養系のほか女子が選択できる職業の増加に対応した専門学校の展開が描かれた。明治期の東京音楽学校(男女共学校・現東京芸大)、女子美術専門学校(現女子美大)、東京女子体操音楽学校(現東京女子体育短大)、大正・昭和初期の東京女子大学、日本女子体育専門学校(現日本女子体育大)、帝国女子薬学専門学校(現大阪医科薬科大)、看護学の聖路加女子専門学校(現聖路加国際大)、東京家政専門学校(現東京家政学院大)、女子経済専門学校(現新渡戸文化短大)など都市部私立校のほか、福岡県立女子専門学校(現福岡女子大)、大阪府女子専門学校(現大阪公立大)、宮城県女子専門学校(現東北大)、広島女子専門学校(現県立広島大)といった地方の公立校が取りあげられている。私立校においては創設に尽力した人物の事績が描写され、その思いや情熱を知ることができる。私立が先行するなか、大正末年から府県立の女子専門学校が順次認可されていったが、最も大きな障害は開学資金の調達であった。そのために婦人たちが市民運動を展開するケースや実業家の寄附によるケースなど、公立校でも地域ならではの苦労が描かれている。
そして、職業技術習得のための各種学校の展開が述べられた。日清・日露戦争で大黒柱をなくした女性たちは、男子同様に教員、銀行員、医師など各方面の職業に従事していく。大正初期には雑誌『婦人之友』が「新しくできた婦人の職業」として、タイピスト、速記者、医師、歯科医、薬剤師、事務員及び簿記係、電話交換手、電信係、教員などを紹介した。音楽・舞台関係から宝塚音楽学校、服飾関係から文化服装学院とドレスメーカー女学院、商業実務関係では電話交換手養成の誠和女学校、美容師養成の東京美髪学校など、タイプライター養成の東京タイピスト学校などが紹介されている。これらの各種学校は高等女学校、女子師範学校や女子専門学校に比して社会的評価は低かった。しかし、大正末期に大学卒男子サラリーマンの初任給が50~60円という時代に、逓信省で邦文・欧文が打てて速記ができるタイプライターは月給が百円を超えており、新しい技術・技能を習得した女性の成功例として驚かされる。(さとう・たまき=茨城大学教授・教育学)
★かんべ・やすみつ=明星大学・同大学院元教授・教育学。
★ながもと・ゆうこ=新渡戸文化学園元嘱託・文学修士。
書籍
書籍名 | 百花繚乱日本の女学校 |
ISBN13 | 9784792361273 |
ISBN10 | 4792361273 |