2026/09/18号 4面

中国残留日本人「三世・四世」という経験

中国残留日本人「三世・四世」という経験 蘭 信三・伊吹 唯・山崎 哲編著 藤浪 海  中国帰国者に関しては、戦後日本における海外からの集合的な人の移動の先駆けとして多くの研究が蓄積されてきたが、日中国交正常化から半世紀以上が経つ中で、日本生まれ日本育ちの三世・四世(中国残留日本人の孫・曾孫世代、日本への移民第二世代)へと世代交代が進んでいる。  かれらは多くの場合、日本社会で「普通の日本人」としてパッシングして生きることが可能である。また中国残留邦人等支援制度が確立して以降、中国帰国者としての集団的活動もあまりなされなくなっている。この結果、かれら三世・四世は「見えづらいマイノリティ」となり、かれら自身においても中国残留日本人の歴史が継承されづらくなっている。そしてこのことが、かれらに少なからぬ葛藤も生み出している。  こうした状況を踏まえ、これまでの中国帰国者研究とは異なる方法や視角から、中国残留日本人三世・四世とかれらに連なる歴史を問い直しているのが本書である。  第一部で検討されるのは、三世・四世自身によるオートエスノグラフィーである。日本帝国の満州支配から連なる複雑な家族史の中に自らを位置づけながら、ルーツに関する沈黙(あるいは「中国人」や「日中ハーフ」といった付与されがちなカテゴリー)を超えて、あえて「中国残留日本人三世・四世」として名乗っていく過程が検討され、主体的に自己を定義づけようとする切実な名乗りの意味が考察されている。  第二部「帰還移民一世/移民第二世代の経験」では、中国残留日本人二世・三世の「移民」としての経験に焦点を当て、来日後のかれらが直面した様々な困難を、移民研究(あるいは移民第二世代研究)の枠組みを援用しつつ検討している。来日時のタイミングがその後の生活に与えた影響をはじめ、家庭における世代間ギャップや、ジェンダーと階層が交わるエスニック文化、コミュニティとの関係の難しさなどが検証され、これらが第一部における三世・四世の葛藤にも関連していることが明らかにされる。  第三部「中国残留から日本帰国へ」は、中国残留日本人一世の経験に注目し、その日本移住を規定してきた国家の制度的枠組みなどマクロな文脈を改めて問い直す部である。戦後の引揚者対策と中国帰国者政策の政策的断絶、「日本人」としての尊厳と生活保障を求めた国家賠償訴訟の意義と限界、さらには中国残留日本人女性一世の人生における構造的差別と主体的な「生」のあり方が検討され、これらが第一部や第二部で明らかにされた諸問題の背景にあることが確認される。  第四部「中国帰国者の比較社会学」は、他のマイノリティ集団との比較に基づき、中国帰国者をめぐる問題を「日本固有の」問題という枠組みから脱却させ、トランスナショナルな人の移動の一つとして位置づけなおす部となっている。具体的には、ドイツのアウスジードラー(帰還ドイツ人)、在日コリアン、在日台湾人二世、ニューカマー中国人第二世代との比較から、中国残留日本人三世・四世による「境界交渉」の行為主体性やトランスナショナルな主体のあり方が改めて検討される。  本書全体として、三世・四世の〈沈黙〉が単なる個人的な問題にとどまらず、かれらの存在を不可視化させるような社会構造(中国帰国者をめぐる歴史的文脈、移民として直面せざるをえなかった困難)と深く関わっていることが見えてくる。  社会の側から押し当てられる日本/中国(あるいは日本人/外国人)という二項対立図式の中に安住できないその複雑な家族史と出会い直し、それを受け止める中で「中国残留日本人三世・四世」として名乗ることは、学術界あるいは日本社会における前提や枠組みを攪乱し、問い直す行為である。  この点に関連して考えさせられるのが、本書でしばしば登場する在日コリアンとの比較である。両者の状況や行為には共通性(名乗りという行為の意味、日本帝国の植民地支配に関わる歴史的背景、日本社会における暗黙の権力関係の影響)があるとともに、差異も存在することが指摘される。在日コリアンが日本国籍と諸権利を剝奪され「反差別」を掲げ闘わざるをえなかったのに対し、中国帰国者は「同じ日本人」として同化することが至上命題とされ、反差別的言説を形成することが難しかったという歴史的差異である。  中国帰国者が直面してきたこうした不可視化の力学は、アイヌの事例とも重なる。かれらもまた、自らの権利を求めるため、あるいは差別から逃れるために「同じ日本人」であることを強調し、自ら同化の道を選ばざるをえなかった歴史を持つ。そしてしばしば、アイヌ/和人のいずれのカテゴリーにも安住できぬまま、かれらの苦しみや葛藤は語れないものとなる。アイヌと和人のハーフとして石原真衣が語った「透明人間」化(『〈沈黙〉の自伝的民族誌』(北海道大学出版会、二〇二〇年))の事態であり、これは評者がこれまで検討してきた日本本土に暮らす沖縄ルーツの人々にも当てはまる状況である。  マイノリティをめぐる既存のカテゴリーには、往々にして、マジョリティが「こうあってほしい」というある種の欲望が潜り込む。本書は、それを乗り越えようとする三世・四世によるオートエスノグラフィーを出発点とし、その声に呼応する形で既存の視角・枠組み自体を大胆に組み換え、その背景にある社会構造と歴史的文脈を丁寧に示してくれた。また第一部の元となった中国残留日本人三世・四世のシンポジウム自体が、かれらにとって安心してその思いや経験を表明し、既存のカテゴリーに回収されない語りの足場となるコミュニティの形成につながったことも示唆されている。  これらの点から、明示的に言及されているわけではないものの、本書は学術の脱植民地化のあり方(リンダ・トゥヒワイ・スミス『脱植民地化の方法論』(春風社、二〇二五)など)を示してくれる好例であると評者は受け取った。この意味で本書は、中国帰国者研究を超えた価値を有するものとなっている。(執筆=蘭信三・山﨑哲・森川麗華・田中はるか・伊吹唯・張龍龍・劉麗鳳・坪田光平・高橋朋子・大久保明男・劉罡・張唯・飯塚靖・坪谷美欧子・孫片田晶・岡野翔太(葉翔太))(ふじなみ・かい=関東学院大学准教授・国際社会学)  ★あららぎ・しんぞう=上智大学名誉教授・社会学。一九五四年生。  ★いぶき・ゆい=社会理論・動態研究所研究員・社会学・移民研究。一九九二年生。  ★やまざき・さとる=京都大学大学院特定研究員(学振PD)・社会学・移民研究・中国帰国者研究。一九八五年生。

書籍

書籍名 中国残留日本人「三世・四世」という経験
ISBN13 9784911029282
ISBN10 4911029285