2026/02/20号 1面

ミシェル・フーコー講義集成10 主体性と真理

鼎談=清水 雄大×坂本 尚志×佐藤 嘉幸<時代と切り結び、真実を突きつける>『ミシェル・フーコー講義集成10 主体性と真理』(筑摩書房)・講義集成完結記念
鼎談=清水 雄大×坂本 尚志×佐藤 嘉幸 <時代と切り結び、真実を突きつける> 『ミシェル・フーコー講義集成10 主体性と真理』(筑摩書房)・講義集成完結記念  昨年10月、『ミシェル・フーコー講義集成』(筑摩書房)が『10 主体性と真理』(清水雄大・坂本尚志訳)の刊行によって完結した。フーコー晩年のミッシングリンクを繫ぐ最重要文献群として知られ、フーコー研究に著しい好影響を与えてきた講義録が、全て日本語で読めるようになった。  完結を記念して、訳者の清水雄大氏・坂本尚志氏に、哲学・社会理論を専門とする佐藤嘉幸氏を加え、鼎談していただいた。(編集部) ◆死後出版が開いた新しいフーコー  佐藤 『ミシェル・フーコー講義集成』の邦訳がとうとう完結しました。邦訳最後の刊行はこの第10巻『主体性と真理』です。  清水 ありがとうございます。『講義集成』は、フーコーが1970年にコレージュ・ド・フランス教授に選任されてから、1984年に亡くなるまで、1976―77年度を除く毎年度開講した講義の記録です。当時開発・普及が進んでいたテープレコーダーによって彼の肉声は記録されていましたが、世間にはフーコー自身の手による講義要旨が流通しているのみで、長らくその内容は知られていませんでした。  これが1997年にまず『社会は防衛しなければならない』(第6巻)が公刊され、後でお話しするように、フーコー研究に大きな衝撃を与えることになります。フランスでは2015年に『刑罰の理論と制度』をもって全13年度分の講義が出揃いました。日本では2002年に『異常者たち』(第5巻)から刊行が始まり、昨年刊行の『主体性と真理』(第10巻)で完結したわけです。  坂本 実はフーコーは、1982年のポーランド行の前に遺言状を残しています。そこにはなんと、自らの著作の一切の死後出版を禁ずる旨が記されていたのです。同業者から諧謔として指摘されたのですが、この事実に照らせば講義録の翻訳・刊行というのはまさに墓暴きの如き所業だと(笑)。最近では彼の修士論文まで公刊されています。その点で、若干の後ろめたさを感じないではありません。  佐藤 とはいえ、あの遺言状が今でも機能していて死後出版が一切なかったとしたら、フーコーの仕事はもはや忘れ去られてしまっていたかもしれません。『性の歴史』(新潮社)3巻までで彼の仕事が完結し、『性の歴史』の中断期1976年―84年の「空白の8年間」を残したまま、フーコーに関する議論は終結していたかもしれない。しかし、こうしてコレージュ・ド・フランス講義が出ることによって、それまで見たことのないフーコー像が明らかになりました。しかも、フーコーの思索の中身が判明しただけでなく、彼が同時代の社会とどのように切り結んで仕事をしていたかということも見えるようになった。とりわけ、1978―79年度講義『生政治の誕生』(第8巻)で展開された新自由主義分析は、私たちが今生きている社会を分析するための基本的なツールを提供している。その意味でも、この一連の死後刊行は非常に重要です。  また、遺言書通りなら『性の歴史』も最終第4巻が出版されていなかった。私がフーコーを研究し始めた1990年代には既に、『性の歴史』第4巻が原稿の束として存在していて、出版されぬままガリマール社の編集部の机の引き出しに眠っているという噂が囁かれていました。なぜ出ないんだろうと誰もが思っていた。それが2018年にようやく原著が出版され、2020年には翻訳も刊行された。フーコーの分析は古代ギリシア・ローマで途絶していたわけではなくて、キリスト教初期のセクシュアリテ(性現象)統御システムの分析にまで到達していたこと、そして「告白」の装置に繫がる西洋社会のセクシュアリテ統御システムを通時的に描き出そうとしていたことが明らかになりました。  そして、フーコーは70年代末から「司牧権力」という概念を使っていました。断片的なインタビューや講演しかなかった当時は、その含意が判然としなかったのですが、『性の歴史』第4巻の公刊によって、キリスト教権力がどのような機能を持つかを分析するための概念だったことが判明した。つまり、羊の群れを率いるかのように、人々の欲望のきめ細やかな統御に腐心するキリスト教権力のことです。『性の歴史』第4巻は、司牧権力がキリスト教初期に非常に綿密な仕方で展開されていったことを示しています。こうしたことも、フーコーの遺言の禁が破られなければ明るみに出なかったことです。 ◆古代ギリシアの性規範原理  佐藤 さて、それでは本書『講義集成10 主体性と真理』について、位置づけと内容を確認していただきたいと思います。  清水 はい。本講義は1980―81年度に行われたものです。実質的な講義期間である81年は、フーコーが1976年に『性の歴史』(新潮社)第1巻を著した5年後。近代において、性にまつわる言説は抑圧されていたどころかむしろ権力によって煽動されていたのだ、という逆説的な見方を立てた後の時期に当たります。『性の歴史』では、近代における「告白」や精神分析などの性的欲望の問題、出生と人口の再生産を管理する生権力などが議論の対象となっていました。  そして彼が亡くなる直前の84年に『性の歴史』第2巻と第3巻が出ます。これらは近代から一気に遡って、古代ギリシア・ローマを分析対象とする著作でした。この76年から84年までの8年間、フーコーは一冊も著作を発表していません。あれだけ近代という時代に固執していた彼がどうして古代ギリシア・ローマに遡ったのか、当時の人々には理解しがたいものがありました。その間隙を埋めるものとして、コレージュ・ド・フランスにおける講義録が登場したのです。  本講義「主体性と真理」が行われたのは空白の8年間のおよそ真ん中で、内容としては『性の歴史』第2巻・第3巻の元ネタになるような講義だと言えます。その点で、そこまで目新しいものがないと思われたのでしょう、フランスでの出版順でも後回しにされました。しかし後ほど触れますとおり、本講義には『性の歴史』の範疇に留まらない注目すべき点が認められます。  議論の内容について簡単にご紹介したいと思います。ヨーロッパには、キリスト教以前の古代ギリシア・ローマ時代――異教の時代――において、性は禁欲されずに自由に享受されていた、という通念があります。例えば当時は同性愛が認められており、婚外で女性や奴隷との性的関係を持つことも不道徳と見なされていなかった。しかるに、キリスト教こそが、性を抑圧したのだ、という通念です。  しかしフーコーは強く異議を申し立てます。なぜなら、古代ギリシア・ローマ時代の性にもある種のルールがあり、無規範的な状況では全くなかったからです。さらに言えば、性を夫婦間に限ることはキリスト教以前の、ストア派の発明であったと言います。さて、彼の考えでは、古代ギリシアの性規範には二つの重要な原理が見られました。一つは「社会的―性的同型性の原理」で、性は社会のヒエラルキーに即した形でのみ行使されなければならないというものです。例えば自由人男性と男性の奴隷がいたとして、性的関係を持つこと自体は許されます。しかし、奴隷が既婚女性と関係を持つことは同じ社会秩序の観点から認められませんでした。第二の原理は「能動性の原理」で、自由市民(男性)は常に挿入する側でなければならないというものでした。ですので、たとえば奴隷から挿入されて受け身に立つことは禁じられていました。つまりあらゆる同性愛が許されたのではなく、社会秩序を反復する限りにおいて許される、という理屈だったわけです。  ここで問題になるのが少年愛です。将来の能動的な市民男性になるはずの少年と成人男性が関係を持つとき、少年が受け身の位置に立つことは許されるのか。これが古代ギリシア人にとっての難問だったとフーコーは考えます。『性の歴史』第2巻で指摘されますが、プラトンは『パイドロス』で、身体的な関係を持たないいわゆる〝プラトニックラブ〟を志向しました。性を排除した愛をつうじて真理の認識を目指す考え方は、同性愛問題を解決するために導入されたのです。哲学の起源に同性愛という問題があったと議論していることは大変興味深いでしょう。 ◆性的欲望の主体の〝可能性の条件〟  清水 講義の後半は古代ローマの話題に移ります。当時、都市の民衆から社会全体へと一夫一妻制が普及してきており、それは政略結婚を基本としていたローマ社会の中心に位置する貴族層にも及びました。ここにおいては、性が夫婦平等の婚姻内に限定され、かつ婚姻規範が社会のヒエラルキー構造から切り離されることで、同型性の原理が成り立たなくなります。ここで能動性の原理と現実とでいかに折り合いをつけるか、という課題が生じたのです。  これに対し、ストア派哲学は折衷的な言説を発明しました。男性の能動性はもはや妻や奴隷といった他者ではなく、自分自身を対象とすべきだ、という論理です。現状を変えるのではなく、それを受け入れるために自分自身を変える「生の技術」を案出したのです。こうした発想の転換は、〝ポジティブシンキング〟や自己啓発など、今日の俗流哲学の言説に通ずるところがあるでしょう。  このように古代ローマの哲学において、自分自身に対して能動性を発揮する技術、自己への配慮を促す言説が登場しました。ストア派はキリスト教的な自己放棄と他者への完全な服従という地点までは振り切りませんが、自己のうちの欲望を主体的に制御しなければならないという点で、自己を主体と客体とに分裂させる契機が見られます。言うなれば、後のキリスト教社会における性的欲望の主体が出現するための〝可能性の条件〟を作ったと整理できるでしょう。  本講義の面白いところは、『性の歴史』を読むだけではわからないフーコーの視点があらわになっている点です。編者のグロも指摘するように、男性性の分裂や欲望の出現といった論点は、刊行された書物では明確ではありませんでした。また、古代の哲学言説がいかに男性の性の問題と関係していたのかを理解することは、ジェンダー、セクシュアリティを哲学の可能性の条件として捉え返す可能性を与えてくれます。この講義はそうした極めて現代的な問題を考えるためのヒントに満ちているのではないでしょうか。  坂本 そうですね。本講義録には、『性の歴史』第2巻・第3巻に通底する「主体性」というテーマを扱っていると同時に、それに留まらない挑戦的な視点が認められます。  実は私は、本講義録が出版される前の2005年に、その録音を研究に使用したことがあるのです。フランス北西部のノルマンディにIMEC(現代出版資料研究所)という組織があり、フーコーの残した草稿の一部や各国語で著された論文などが所蔵されています。ここで「主体性と真理」講義の初めの二回分の録音を聞き、博士論文で検討しました。この講義に注目したのは、70年代から80年代にかけてのフーコーの関心はなぜ近代権力から古代ギリシア・ローマの性倫理へと移っていったのか、これを明らかにしたかったからです。  他の講義録等と照合する中で判明したのは、キリスト教の「告白」を中心に持つセクシュアリテの装置のルーツを遡っていき、初期キリスト教教父研究にたどり着いたとき、フーコーは限界を自覚したらしいことです。古代において、キリスト教的なセクシュアリテ概念は存在しなかったからです。この断絶にフーコーは、性をめぐるシステムの大変動を認めました。アルテミドロスのテクストを子細に検討したり、結婚について考察したりする彼の肉声を聞くことで、彼の変化が腑に落ちたように思いました。  フーコー思想の重要な点は、彼が一貫して、今を生きる我々が当たり前だと思っているものがいかに偶然的に構築されたものなのか、そのことを暴き出そうとしていることです。刑務所、あるいは狂気と理性の分割、そして本講義録における結婚……といった諸制度は、決して自然のものではなく、極めて歴史的なルーツを持っている。例えば、本講義録で論じられた、ストア派が性道徳に対して行った働きかけは、結婚の自然性を人為的に作り上げるプロセスとして理解できます。一つの〝結婚の系譜学〟が紡ぎ出されているのです。  その議論は『性の歴史』第2巻・第3巻の議論へと至るわけですが、本講義録は、フーコーの着目が古代へと移ったターニングポイントを明確に示すものだと思います。実際、『性の歴史』第2巻においては僅かしか語られない結婚についての議論が、本当はもっと複雑で示唆に富んだものだということがよくわかります。こうした点は、講義自体を参照することでしかわからないことですから、そこに本書を読む意味があるのではないかと思います。    ◆『生政治の誕生』の驚き  佐藤 ありがとうございます。私からは、フーコーの講義録全体を振り返り、その特徴を指摘してみようと思います。 一連の講義録の出版で明確になったのは、フーコーは「空白の8年間」に沈黙していたわけではなく、それまで知られていなかった大量の資料を使って新たな理論を生産し続けていた、という事実です。講義録刊行以前、コレージュ・ド・フランス講義は生前に刊行された著作(以下、既刊著作)執筆の準備の場だったのではないかと考えられていました。しかし刊行が進むにつれて、しばしば既刊著作とは独立し、全く異なった主題を展開する場でもあったことが判明します。  中でも最大の驚きは、いわゆる「統治性」講義です。『安全・領土・人口』(77―78年)と『生政治の誕生』(78―79年)において、前者は古典的自由主義について、後者は同時代に展開されつつあった新自由主義について詳細に論じているのです。とりわけ驚きを呼んだのは新自由主義論でしょう。実は、コレージュ・ド・フランスの年報に掲載されていた講義要旨には、この講義で新自由主義が論じられていることはほとんど書かれていなかった。最後の一節で補足のように素描されているだけです。  もちろん私も驚いたうちの一人です。特に注目すべきは、講義が行われていた当時の時代背景です。「生政治の誕生」講義は、新自由主義を全面展開した英・サッチャー政権誕生直前に終わっています。フーコーは明らかに同時代の政治動向を見据えたうえで、この主題を選択していたのです。その意味で、『生政治の誕生』刊行こそが最大の驚きだったと言えるでしょう。  さて、ここで「統治性」とは何かということを簡単に振り返っておきましょう。統治性とは、「人間の操行(conduite)を導く(conduire)方法」のことです。この概念の導入によって一方では、国家権力が個々人の操行を導くといったマクロ権力の問題を扱うことができるようになりました。他方で、これが「セクシュアリテの歴史」プロジェクトに応用されると、セクシュアリテをめぐって主体が自己を統治すること、あるいは他者を統治することとして、よりミクロで間主体的な統治の問題として再定式化されるわけです。このように考えれば、統治性概念はマクロ権力とミクロ権力を結び付ける、いわば蝶番のような概念だと理解することができます。  フーコーは新自由主義を、国家による競争の生産を通じて社会全体を競争原理で満たすような統治システムと定義します。古典的自由主義の「レッセ・フェール(自由放任)」とは全く異なる統治システムだと論じるのです。同時に、主体の自己統治の仕方は、権力による規律化、つまり規範の内面化から、社会環境にゲームの規則として設定される競争原理を内面化することで自己統治する形に変わっていきます。そのような主体をフーコーは「自分自身の起業家」と呼びました。そして、主体への直接介入ではなく、その置かれた環境への介入によってゲームの規則を設定するタイプの統治を、セキュリティ権力と呼んでいます。新自由主義の競争社会では、競争原理に適応できない主体は容赦なく社会の外へと排除される。ここに、規律社会から競争社会=排除社会への明確な移行を見て取ることができるでしょう。  『生政治の誕生』は古典的自由主義的・ケインズ主義的福祉国家と新自由主義国家の差異を理解するための重要書となり、今や新自由主義理解のための基本書とさえなっています。私も近著『新自由主義権力と抵抗』(人文書院)の中で、この講義から出発して新自由主義的統治を論じています。  坂本 繰り返しになりますが、著作しか知られていなかった時代からフーコー研究のパースペクティブを劇的に変化させたのが、『講義集成』刊行の大きなインパクトだったと思います。とりわけ、佐藤さんが仰った新自由主義論です。これは講義録の刊行がなければ永遠にわからないことでした。  佐藤 私たちの新自由主義理解が1970年代のフーコーの講義録によって更新されるという、類を見ない事態が生じたわけです。もはや生きていない、しかも70年代終わりのフーコーの議論が現代社会を分析するうえで参考になるなどということは、誰も予想しなかった。とりわけ、新自由主義時代を生きる私たちが構築すべき理論が、フーコーによって誰も知らない間に構築されていたことは衝撃的です。  清水 そのときに一つ忘れてはならないのは、彼が定期的に渡米し、おそらくカリフォルニアなどのゲイコミュニティとコンタクトを取っていたことでしょう。当時のアメリカでは、「フレンチ・セオリー」の名の下で、フーコーやデリダ、バルトなどが積極的に受容され始めていました。フーコー自身も大西洋を越えてアメリカへ向かった。これが彼の仕事の幅を広げていたのではないかと感じます。余談ですが、フーコーが晩年に展開したスピリチュアリティ(霊性)の経験の議論なども、カリフォルニアのヒッピー文化(後にシリコンバレー発のIT革命につながる)との関係が一つ考えられます。  佐藤 そうですね。『生政治の誕生』では、シカゴ学派の新自由主義経済学理論が非常に綿密に分析されています。それはフーコーがアメリカで現地の学問的、社会的文脈をきちんと摑んでいたことと恐らく関係しているでしょう。純粋なフランス的知識人であれば、この時代に新自由主義に関する講義や問題設定を持つことはしなかったと思います。確かに、フランスでも同時代に新自由主義システムが準備されてはいましたが、1981年にはミッテラン政権が成立するなど、フランスは20世紀末や21世紀初頭にかけても福祉国家として生き残りつづけた歴史がある。それはやはりイギリスやアメリカなどとは決定的に異なる歴史展開です。だから、フーコーが度々訪米したことで身に付けた外部からの視点が、この講義には効いているのではないかと思います。 ◆資本主義を生産する規律権力の戦略  佐藤 さて、続いて『講義集成』の第二の驚きとして、『刑罰の理論と制度』(71―72年)、『処罰社会』(72―73年)におけるルイ・アルチュセールとの対決が挙げられます。アルチュセールはフーコーと同時代のマルクス主義哲学者ですが、フーコーにとっては高等師範学校時代の師に当たります。そしてこれらの講義は、『監獄の誕生』準備に留まらない論点を数多く提示しています。  背景から説明します。1971年から72年にかけて、フーコーは多くの友人と共に「監獄情報グループ(GIP)」の活動に携わっていました。それは彼にとって監獄の問題に対するアンガージュマンだったわけです。両講義はGIPの経験と同時期に展開されています。  フーコーは、これらの講義で「国家装置」という概念を駆使し、明らかにアルチュセールの論文「イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置」との対決を意図していました。『監獄の誕生』におけるフーコーは、規律権力を「ミクロ権力」と定義したために、これと国家権力との関係は見えにくくなっていました。しかし、講義録を読むと、規律権力が様々な意味で国家権力と深い関係を持つ概念であることが明確になります。  『刑罰の理論と制度』では、アルチュセールが「国家の抑圧装置」と名付けた「警察」について詳細に検討しています。常に社会の隅々まで監視を行い、必要に応じて抑圧を行う警察の展開が、軍隊よりも経済的な秩序維持を可能にしたと論じるのです。「国家の抑圧装置」概念を、単なる暴力による「抑圧」に留まらない、毛細管的な監視装置として再定義している。  続いてフーコーは国家装置としての監獄に目を向け、17世紀の監獄を例に、相対的過剰人口の調整弁として監獄がいかなる政治的・経済的効用を持つかを論じます。国家は、経済不況に陥れば、労働力として不要になったルンペンプロレタリアートを監獄に送り込み、プロレタリアートには監獄が嫌なら低賃金を受け入れろと迫りました。フーコーは、監獄と警察が資本主義の発展の装置として機能していたことを論じたのです。  さらに『処罰社会』では、工場をはじめとする規律装置に目を向けます。監獄のように主体を規律化=規範化する国家装置を、フーコーは後に規律権力と名付けますが、これが存在しなければ資本主義的生産体制そのものが存在しなかったと主張するのです。「規律権力は資本主義を再生産するだけでなく生産する」。これは明らかに、アルチュセールがイデオロギー装置を資本主義の再生産の装置と考えたことへの暗黙の言及であり、それを超える洞察です。  フーコーは、工場においても、効率的生産を志向して監視と規律化という監獄モデルが作動することを指摘します。それゆえ、規律権力は国家装置=制度には還元され得ないのであり、より深層の権力の戦略をこそ想定すべきだと提起するのです。ここに、規律権力は「制度」ではなく権力の「戦略」である、という彼独自の理論が提起されました。  次年度の『精神医学の権力』(73―74年)では、監獄、工場と並んで規律権力を構成する精神病院が分析の対象となります。フーコーによれば、精神医学の権力は「国家装置」による家族の再生産として理解されるべきではなく、むしろその実践で展開されているミクロな権力関係の戦術を見なければなりません。この戦術の総体を彼は「権力のミクロ物理学=身体学(microphysique)」と呼んでいます。以上から、フーコーはこれらの講義で、アルチュセールとの対決を通じて自らの「規律権力」概念を練り上げていったことがよくわかります。  また彼は、アルチュセールが「イデオロギー」という概念を用いたことに対しても異議を唱えています。規律装置による身体の規律化=規範化が問題である以上、アルチュセールのように観念論的とも聞こえる概念を用いるべきではない、というわけです。アルチュセールは、身体的実践(「儀式」)を通じて主体を服従化する「国家のイデオロギー諸装置」の近代における代表例を学校装置と考えていました。その意味で確かに、「イデオロギー」は唯物論化されています。しかしフーコーは、それでも不徹底であって、「虚偽」というニュアンスが抜けきらないこの概念そのものを廃棄し、より中立的な「権力―知」概念で置き換えるべきだ、と様々な講義録で述べているのです。 ◆フーコーと格差の問題  清水 フーコーの権力論は格差を説明することができないと、しばしば批判されます。格差は資本による労働者の搾取から生じるものであり、ミクロ権力が資本主義を生産/再生産しているという議論は、格差の原因そのものを扱っていない。それゆえ、フーコーからマルクスへ、という思想潮流も生じているのだろうと思います。  とはいえフーコー自身も格差について考えていないわけではありません。『監獄の誕生』によれば、近代の刑法改革において、ブルジョアの脱税のような許される権利上の違法行為と、他方庶民による物の窃盗のような所有権を侵害する許されない違法行為とが切り分けられた。これはもちろん富の格差へとつながりますが、生産様式というより権力関係によるものです。  この手の議論の萌芽が、『刑罰の理論と制度』に見られると思います。先ほど警察の問題との関係で言及されたこの講義は、まさに徴税の問題をめぐる大規模な反乱の抑圧過程を詳細に分析したものでした。この講義はまだ権力を抑圧として描いているために後のフーコーの権力論と齟齬をきたすと見なされたのか、出版が後回しにされていました。しかし、権力関係から格差の問題を説明するためには、この講義が重要だろうと考えています。  佐藤 収監されるほとんどの人たちは、ルンペンプロレタリアートに相当する層、釈放されてもきちんと働けずに監獄へ戻ってきてしまう層だと認識されています。だから、プロレタリアートからは「犯罪者と一緒にするな」などと、切り分けの対象になってきた。しかし、ルンプロ対プロレタリアートという図式自体、マルクス主義的です。フーコーにとって、GIPの実践でもルンプロの排除構造そのものが問題でした。同性愛者が異性愛体制のなかで居場所を持てないのと同じように、ルンプロを景気が悪くなればすぐ解雇し、監獄に送り込めば済む存在だと捉える構造が問題だということです。彼は伝統的なマルクス主義の図式を裏から読んで、ルンプロを排除するシステムとしての監獄を問題にしようとした。  清水 そうですね。フーコーは監獄が、違法行為の切り分けを不問に付す切り札として機能していたと見なします。少なくとも、監獄が様々な問題の暗黙の争点に置かれていたことを見抜く彼の慧眼は強調されるべきでしょう。『監獄の誕生』を読んでいるだけだとその含意はわかりにくい。この点でやはり『刑罰の理論と制度』講義は面白いですね。  坂本 これら講義録によって、フーコーの理論が彼との対決で形成されたということが明瞭に見えてきました。フーコーには、アルチュセール、ハイデガー、ヘーゲルといった自身の発想の源をあまり明らかにしないきらいがあります。フーコー自身の思想の形成における重要性だけでなく、同時代の思想史における広がりを捉える意味でも講義録は非常に重要な参照点です。 ◆フーコーと「イデオロギー」概念  佐藤 ところで私は、フーコーが「イデオロギー」概念を否定した点には疑問があります。ポスト33・11の経験があるからです。権力―知概念には、確かに科学とイデオロギーという二項対立を避ける意義があります。しかし原発をめぐる権力―知言説は、明らかな科学的虚偽を広報することによって、福島第一原発事故の科学的=社会的影響をなきものにしようとしてきた。原発事故そのものをなかったことにはできないので、その科学的=社会的影響をなかったことにしようとしたのです。  例えば、「100100ミリシーベルト閾値説」があります。政府と御用学者は、科学的には否定されているこの説を使って、福島第一原発事故での被曝は100100ミリシーベルト以下なので、その程度の被曝であれば健康に何ら影響はないとして、原発事故の影響をなかったことにしようとしてきた(小児甲状腺ガン裁判を参照)。科学的には被曝影響に閾値などないとされている以上、これは事故が起こったにもかかわらず健康被害は一切ないとする明確な虚偽宣伝です。こうした点に注意するなら、フーコーが権力―知という洗練された概念を作った点は評価できるとしても、イデオロギーという概念の有効性も依然として残されているのではないでしょうか。  清水 しかし、それは権力論以前の問題という感じもします。被曝限度健康被害の閾値が11ミリから100100ミリに変わるなんてあまりに杜撰であり、フーコーが議論するようなレベルに、日本政府や原発関係者は到達していないかのようです。  佐藤 しかし同時に、権力メカニズムは常にフーコーが言うような洗練された形態で作動するわけではない、とも言える。チェルノブイリ原発事故が発生した際、原発大国フランスでは、チェルノブイリから放射能雲が流れてきたものの、運がいいことに国境線で曲がって逸れていった、と報じられました。実際に、その様子を示す天気図が作成され、ニュースで報道されたのです。今見ると失笑を禁じえませんが、実際に起きたことです。  清水 確かにそうですね。原発の専門家じゃなくても明らかにおかしいと見抜けるプロパガンダに対して、フーコーの区別で言えば、特殊領域の知識人ではなく普遍的知識人の立場から戦わざるを得ない状況が生じているような気もします。  坂本 言説を操作することで現実を操作するメカニズムをフーコーは批判していますが、「知への意志」(70―71年)講義で言われるように、言説そのものもある意味で物質的な側面を持っています。その点でやはりこうした例は、表象によって現実を改変する事例として、まさしくフーコー的な議論のなかで捉えられるでしょうね。 ◆真実を突きつける勇気  佐藤 それではフーコー最後の二つの講義録についてです。フーコーは『自己と他者の統治』(82―83年)と『真理の勇気――自己と他者の統治Ⅱ』(83―84年)で、「パレーシア(危険を冒して真実を述べる実践、真理陳述[véridiction])」について論じています。これもまた既刊著作には現れない論点です。とはいえ実は、市田良彦さんが『フーコーの哲学』(岩波書店)の注で触れているように、フーコーはパレーシア論を独立した著作として、まさに『自己と他者の統治』というタイトルでスイユ社から出版するつもりでした。  この議論では、『真理の勇気』の中でフーコーが取り上げたキュニコス派の実践がとりわけ重要です。ディオゲネスは、公衆の面前で愛を交わし、マスターベーションをしたと伝えられています。なぜ彼はそんな世間の常識を逆撫でする行為をしたのか。それは、こうした行為が社会に対する彼なりのアジテーションだったからです。フーコーはこれを、常識とされる規範は歴史的に偶然的な仕方で決定されたものでしかなく、侵犯するのはかくもたやすい、と人々に見せつける実践だと解釈した。  公衆あるいは権力の前で真実を述べることは非常に危険なことであり、一つ間違えば排除され殺されてしまう危険を伴います。だからこそそれは同時に、ニーチェ的な「価値転倒」の実践になるのです。こうした限界点にある「パレーシア」は、最晩年のフーコーにとって極めてスリリングなテーマに映ったのだと思います。  坂本 「主体性と真理」をはじめとした講義で行っていた「自己への配慮」の議論が『性の歴史』に結実したわけですが、「主体の解釈学」(81―82年)講義までのフーコーが、ある実践が社会において自明だとみなされるにいたるプロセスを描いているとすると、パレーシア論はむしろそうした偶然的で恣意的な自明性・主体性をいかにして打ち破るのかを追究する議論を展開していると言えます。これがクリアに見えてくるのが非常に面白い。  先のキュニコス派の例だと、キリスト教的な「夫婦から絶対的な孤独者へ」という道徳に対応する「夫婦の性からマスターベーションへ」という図式を描いているわけです。だから、フーコーの議論がパレーシア論を中心に単著としてもう一度展開を見せていたらどうなっていたのか、とても興味深いところです。  清水 ただ、パレーシア講義の到達点は明らかになることがなかったようにも感じられます。リスクを冒しても真理を語るという行為は、告白と対になって考えられているものですよね。殉教者から修道者へと至る、初期キリスト教におけるパレーシアの問題もまたフーコーの中にあったようなのですが、『真理の勇気』末尾で若干の分析を加えたのみで終わってしまった。  とはいえ、主体性の系譜を論じていた晩年のフーコーが、再び政治と接続する回路をこのパレーシアという問題に見出したという点こそ、多くの人々がパレーシア論に興味を持つ最大の要因だと思います。  フーコーが『自己と他者の統治』でパレーシアの範例としたのはプラトンの例でした。プラトンは、先方からの希望でシチリアの僭主に哲学教育を試みるのですが、失敗して命からがら逃げだすことになります。当時のフランス首相ミッテランに助言する立場にあった自身の姿が重ねられているようにも思いますが、フーコーはこれをパレーシアの範例だと論じている。パレーシアの範例は僭主との対決だというのです。トランプを筆頭とした、権威主義の台頭する現状を予見していたかのように。しかしそれとは別に、民主制とパレーシアという論点がある。このあたりが私の中ではいまだにうまく繫げられていません。  佐藤 「政治的パレーシア」から「哲学的パレーシア」への移行の問題ですね。後者において僭主を諫める言葉は、聞き入れられなければ一巻の終わりだというわけです。ただ、それに対してキュニコス派の実践が重要なのは、大衆に直接訴えかける方法をとって規範の転倒を図った点だと思います。ダイレクトアクションの最たるもので、「活動家の生」(マイケル・ハート)そのものです。それは君主一人に徳を身につけるよう迫るより有効だったのではないか。  もう一つ述べておきたいのは、「セクシュアリテの歴史」プロジェクトが常に告白の装置批判に定位してきたという点です。告白の装置とは、自らの真実を他者に述べよという命令のことです。主体は常に自らの欲望を定式化するよう迫られ、これを通じて欲望は規律化=規範化されていく。しかしフーコーは、パレーシアに全く別の真実の使い方を見出した。すなわち、見たくない真実を人々に突きつけることです。ここから彼は、規範を内面化させる告白の装置を、パレーシアによって打破しようとしたのではないか。  だとすれば、「セクシュアリテの歴史」プロジェクトという、決して私たちが逃れることのできない告白の装置との苦しい闘いを、彼は死の直前の「パレーシア」講義によって打破しようとしたと考えられます。一連の講義録が私たちの心を打つとすれば、フーコーが告白の装置に対して死の直前に一矢報いることができたからです。美しすぎる読みかもしれませんが。  坂本 パレーシア論においては、古代ギリシアだけでなく、カントの『啓蒙とは何か』も登場します。パレーシアの歴史から理性の公的使用を説くカントへ繫がるとき、どのような系譜を思い描いていたのかが気になります。やはりセクシュアリテの装置への抵抗や、自由への努力だったのではないか。  佐藤 フーコーは晩年に、自分はカント的な現在性の哲学をニーチェ的な系譜学のひねりを加えて行ってきたと語ったのですが、これこそがまさに規律化=規範化装置に対するフーコーの闘いの軌跡だと理解できるかもしれません。 (おわり)  ★しみず・ゆうだい=獨協大学非常勤講師・哲学。訳書に『評伝ロラン・バルト』など。一九八五年生。  ★さかもと・たかし=京都薬科大学准教授・哲学・哲学教育。著書に『バカロレアの哲学』、訳書に『フーコー『言葉と物』を読む』など。一九七六年生。  ★さとう・よしゆき=筑波大学准教授・哲学・社会理論。著書に『権力と抵抗』『新自由主義権力と抵抗』など。一九七一年生。

書籍

書籍名 ミシェル・フーコー講義集成10 主体性と真理
ISBN13 9784480790507
ISBN10 4480790500