文藝春秋社の文庫
噓つきジェンガ
辻村 深月著
水原 涼
人生というのはやり直しがきかないくせに、挫折の機会だけはたっぷりと準備されている。百パーセント思っていたとおりの人生を歩んでいる人なんて、たぶんそう多くないだろう。失敗と妥協と諦念と、ときどきの成功との繰り返しが現在を形作っている。こんなはずじゃなかった、というほどの強い悔恨ではなくとも、あのときああしていなければ、あっちを選んでいれば、と想像することは誰にでもある。せめて今後の選択だけでも、人生を良くする分岐を選びたい。
詐欺というのは、そういうちょっとした不安や期待を絡め取る。代表作の一つである『鍵のない夢を見る』で著者は、どこにでもいそうな市井の人が、ひょんなことから否応なく犯罪に巻き込まれるさまを描いていた。その姉妹篇と位置づけられる本書でも、平凡な主人公が関与してしまった詐欺事件の顚末を描いた三篇が収録されている。
二〇二〇年の春、大学進学のためひとり上京した青年。出来の良い長男とは違い、勉強の苦手な次男のお受験に悩んだ過去を持つ専業主婦。脚本家の夢に挫折して、人気漫画の原作者に強い憧れを持つ女性。彼らの境遇は、もしかしたら自分の人生も、違う分岐を選んでいればこうなっていたかもしれない、と思わせるほどのリアリティをもって描かれる。そんな主人公たちの、そのときどきは適切だと信じていた選択が、彼らを事件に引きずり込んでいく。
新型コロナの非常事態宣言、子供の人生を左右する中学受験、夢を失って引きこもった子供部屋、彼らの目に見える世界はそれぞれの事情で閉ざされている。それぞれの焦燥感は、まったく違う人生を送っているにもかかわらず、私も身に覚えのあるものだった。それは彼らの価値観や言動が、現実を生きる私たちとそう遠くないもののように感じられるからだ。思えば、雪の日に学校に閉じ込められた高校生たちを描いたデビュー作『冷たい校舎の時は止まる』からずっと、ときにファンタジックな設定であったり、読者の多くとかけ離れた境遇であったりしながらも、辻村の登場人物たちは、現実に街ですれ違ったことがある気がするような身近さを持っていた。
本書はもちろんフィクションだし、登場人物たちは私とはまったく違う人間だ。念入りな筋書きのおかげで、彼らがどこで道を踏み外してしまったかも指摘できる。だから私はこんなふうに騙したり騙されたりすることはない、そう思いながら読んでいた。しかし本書を閉じて、その内容についての文章を書きながらふと思う。もしかしたら私は、私の家族や親友は、今まさにこの本で描かれていたような詐欺に巻き込まれる過程にいるのではないか? 注文してまだ届かない通販は、親が知り合ったという新しい友人は、子供が塾でもらってきたチラシは、その入口かもしれない。日々の生活に現れた新しいことごとが、不意にそれまでとは違うものとして存在感を増す。そうやって世界を見る目を変えてしまうことが、本書の持つ力を表している。(みずはら・りょう=作家)
新刊・近刊ピックアップ
本屋さんのある街で
凪良 ゆうほか著
昨年の春のこと。新たな暮らしが始まる時期なのに、全国の街から本屋さんがなくなりつつある――。こうした危機感を抱いて小説誌「オール讀物」が企画した特集が、〈本屋さんへ行こう!〉でした。書店を愛する五名の作家(凪良ゆう、瀬尾まいこ、坂木司、一穂ミチ、三浦しをん)に依頼し、「読むと本屋さんに行きたくなる」短篇の競作をおこなったのです。
そのとき誌面に掲載された珠玉の五篇を一冊に編んだのが、アンソロジー『本屋さんのある街で』。発売たちまち増刷を重ねて、現在、六万部を突破! 全国のリアル書店でたくさん売れているのが本当にありがたいことだと思っています。
人は、本との出会いを栄養にして成長していくもの。そして、本を届ける最前線にいるのは、日々、お客さんを迎えてくれる街の本屋さんです。そんな書店を舞台にすてきな日常(ときに非日常!)が描かれる一冊。ぜひ、近所の本屋さんで手に取ってみてください。(既刊・770円・文藝春秋)
書籍
| 書籍名 | 嘘つきジェンガ |
| ISBN13 | 9784167924362 |
| ISBN10 | 4167924366 |
